元夫との離婚を決める半年ほど前に、ある女性と知り合った。

初めて会った日に、すぐに意気投合した私達は、気がつけば4、5時間も話し込んでいた。

 

私の今までのキャリアや考え方、生き方に共感してくれた彼女は、

話を聞きながら「すごい!すごい!」「わぁ、素敵〜!」と一つ一つにリアクションしてくれた。もちろん、初めて会った人に否定的な反応をいちいちする人はいない。

 

それから私達は時々あっては、色々な話をシェアした。

彼女のパートナーとも会って、二人は私の旅の話を特に興味を持って

もっと君の旅の話を聞かせて!と言ってくれた。

 

20代の時に初めての一人旅、バックパッカーの旅は、私の人生の宝物で

沢山の事を学んだ、私の人生でなくてはならなかった大切な経験だった。

 

でも、私の元夫は、私のその旅を否定しかしなかった。

そんなストレスな危ない旅をして、何が楽しんだ!?

しかも最悪なのは、それを武勇伝のように語る君の神経だ!

なぜ、その旅が間違っていたと気が付かないんだ!?

 

彼は、今現在の私だけでなく、過去の私も否定した。

私が感じた感情さえもコントロールしたかった。

私が、楽しかったと感じた過去の感情も、そのように感じるのは、間違っていると。

 

生き方、思考、感情、全てを否定され続けるのに慣れすぎていた。

 

だから、私の話にいちいちリアクションしてくれる彼女と会うと嬉しかった。

会った後は、心が軽かった。

軽い心で帰り、家のドアを開けた時の重い空気が辛かった。

 

彼女と時々会うようになって気がついた。

私は、ずっと彼に肯定されずにいたんだ。と。

彼から肯定されたことがあったか?

 

いつもいつも否定されたいた。

何か新しい事をしようとする時も、「出来るわけがない」「そんなの簡単じゃない」

「お前のような不注意な奴に、出来るわけがないだろ!?」と。

 

ずっと否定され続けたから、気がつかなった。

肯定されることが、どれだけ自信につながり背中を押してもらえるか。

肯定される事で、勇気が出て心が温かくなり人に自分に優しくなれるかを。

 

否定され続けて、私はすっかり自分には何も取り柄がない気がしていた。

何かをしようとしても、勇気が出なかった。

 

でも、彼女に会い、自分がしてきた経験がとても素晴らしことだったことを思い出し

自分の感性や思考に少し自信が持てた。

 

自信が持ててもすぐに、何かあるとサディスティックに私に詰め寄り、そこまで言うか?

と言うほど言葉を選ばずに攻め、それでも気がすまない彼は、

1時間でも2時間でも私を責め続けることによって、その自信は消え失せた。

 

別居した後、どうせミスするお前に手続きなんて任せられないと言われ続け、

したことがなかった多くの手続きを全て自分でした。

長くニューヨークに住みながら、英語が全然出来ない!と怒られていたが

英語の契約や手続きは、結構普通にできた。

 

なんだ。出来るじゃん私。

 

否定は、人の能力、自信、やる気を奪い、人を小さくさせ

肯定は、人の能力、自信、やる気を起こさせ、人を伸び伸び自由にさせる。

 

これ、育児にも言える。

 

長く否定されつづけた私、小さな一つ一つに結果を出し、あの否定は間違っていた。と

証明している最中。

 

私の思考、感情、人生、これは私の物。

それを誰かに修正させたりコントロールさせてなるものか。

 

自信を取り戻し、もっとのびのび自由に私の人生を生きるぞ!