インナーチャイルドってどんなイメージがあるでしょうか?

知らない方は「なにそれ?」って思うでしょう。
言葉として知っている方は、
「自分の中の傷ついたままの子ども」というようなイメージがあるかも知れません。
ヒプノセラピーでの「インナーチャイルドの癒し」という言葉はそういうイメージを持つのではないかと思うのです。
「癒し」とつくので、癒されるべき何かがあるという感じがね。

わたしは、子どもの頃の生い立ちから、
家族関係、特に母との関係が消化できないままに大人になりました。
子どもの頃を振り返った時に、
してもらえなかったこと、わかってもらえなかったことばかりが思い出され、
『自分の子供時代はなんて可哀想だったんだろう』なんて、ず~~~~~~~っと思っていたんです(笑)

でもね。
本当はそれは事実ではないんですよね。
楽しい事愛された出来事、たくさんたくさんあったはず。
でも、人は「されたこと」は当然だと思い、
「してもらえなかったこと」は『なんで!!!』と根に持ったり(笑)

そういう自分勝手な(それが悪いということではないですよ)思いは、
『エゴ』と言われ、
自分らしい楽チンな生活を送るためにはこの『エゴちゃん』との付き合いが結構大事になって来ます。
インナーボイスセラピスト養成講座では、この『エゴちゃん』ってどんな所にいるのだろうか?という所も学んで行きます。

わたしがこの『エゴちゃん』をジャッジ(エゴは悪いモノ。あってはならないモノ)しないという感覚を持てるようになったのは、セラピスト養成講座中だったか、終わった後でした。

インナーチャイルドに会いにタイムラインをさかのぼって行くと、
すごく小さな頃に戻りました。
先日書いた両親の離婚の時の5歳の子どもよりももっと小さい子。
3歳くらいでしょうか。

その子は、おばあちゃんに連れられて床屋さんに行って髪を切ってもらいました。
おばあちゃんは先に帰ってしまいました。
おかっぱに髪を切ってもらって、オデコにパッチン止めをしてもらって上機嫌♪
そして、その子は意気揚々と道を歩いておばあちゃんと二人暮らしをしている家まで帰って行ったのです。
その時の帰り道は輝いていました。
道端のいろいろなモノ、道の先に見える風景。
何も怖いとも感じたりせず、自信を持って歩いているんです。

その風景を感じていると、母親としての自分の意識が
「え。こんな小さい子が一人で道を歩いているなんて!」って思ったのですが、そこはど田舎で車も通らない所でした。
わたしは自由に制限されることなく近所を歩きまわっていました。

そのイメージを見ながら、
ああ。本来のわたしは何も怖いものはなかったんだ!と思いました。
いい意味でものすごいショックでした。
その後に、「これは怖いモノ」「これはしてはいけない事」という教育を受けた。
そして、それが嫌なときは大声を出して泣き、抵抗してた。
自分を信じていたり、主張していた、と気づいたのでした。

わたしは長年誤解をしていました。
わたしの本質は傷つきやすく、繊細な子どもだと。
でも、違うんだ!!!わたしはタフでパワフルで、意に沿わなかったら泣いて主張をする『自分』の強い子どもだったんだ、って。

なんだか、脱力でした…(笑)

でも、そうして根底のセルフイメージ、
わたしは弱くて繊細ではなくて、
タフでパワフルで自己主張が強いんだ、と変わったことで起こることが変わって来ました。

いつも、傷つくこと、繊細に感じてしまう事にばかり気持ちを取られ、それをどうやって前向きにするか?という風に考えていたのに、
今は、
「あ。こういう風に傷ついたポーズをしてみてるんだね。ホントはタフな子がかまって欲しいからゲームをしているんだな。」
という風に気にしなくなりました。
そんな自分を笑えるようになりました。

その小さな子どもとの出会いが、
わたしの中にしっかりとした自信(理由はないのです。自己肯定感と言う事)と自分を愛するという感覚を取り戻させてくれたのです。

こういう感覚が生まれると、言いたいことが言えるようになって来ます。
次には、「言いたいことが言えないって?」ということを書いていきたいと思います(^^)