おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ

 

 

昨日は

ユスティニアヌス1世

(東ローマ帝国2代目皇帝)

の誕生日で

 

ローマ帝国の皇帝というとやっぱり紫!

 

昔から洋の東西を問わず、

紫はVIP中のVIPの色として

紫色を身にまとえる人は

ごく限られた人だけ、

ということを書きました。

 

でも今は

普通に紫色を一般の人も

楽しんで着ることができます。

 

それはこのようなことがあったから…。

 

合成染料の発展

1845年

ロンドン王立化学大学に赴任した

ウィリヘルム・ホフマン教授は

コールタールの誘導体に興味をもって

実験を続けていました。

 

そこに

ホフマンの弟子の

当時18歳だった

ウィリアム・ヘンリー・パーキンが

当時の流行り病だった

マラリアの特効薬のキニーネの

合成法を実験したところ

偶然

赤紫の色素を合成してしまいました。

 

パーキンは

絵画や写真に興味があったため

師のホフマン教授に内緒で実験を進めると

絹を染める能力があり

しかも日光や洗濯に堅牢であることが

わかります。

 

そう、

いくら染めることが出来ても

洗濯や日光で色が抜けてしまったら

染料としては成り立たないわけですが、

 

今回パーキンが発見した

紫の染料は

堅牢度が高いということは

とても大きなことでした。

 

そう…

パーキンは即座に

この染料が技術的に

製造が可能であること

また

商品化における成功性を見抜きます。

 

それは

当時のヨーロッパで

紫色の染料はきわめて

高価な貝紫しかなかったためです。

 

 

そんな大変貴重で高価な紫色を

実験室で作り出せたことに

興奮したパーキンは

この染料の商品化を考え

ホフマン教授に学校をやめて

染料生産の道に進みたい旨を

申し出ました。

 

当然、ホフマン教授は大反対。

パーキンを引き留めますが

その反対を押し切って

パーキンの父に

経済的援助を受けて

兄とともに

1857年、最初の合成染料工場を

設立し、やがて商業化に成功。

 

後に巨万の富を得ることになります。

 

「モーブ」の由来

パーキンが開発した紫色は

リヨンの染料業者によって

ゼニアオイの花に似ていることから

「モーブ」と命名され

 

1858年から続く10年以上にわたり

ファッション界はモーブ色が

大流行したそうです。

そして

1862年のロンドン万国博覧会において

ヴィクトリア女王は

パーキンが合成に成功した

モーブの絹のガウンをまとったそうです。

 

いかがでしたでしょうか…

1000年以上にわたって

人間に尊ばれてきた紫色。

 

しかし、人間自らの手によって

人工的に作り出した最初の色が

その憧れの紫でした。

 

貴重な貝殻や自然界の草の根

ではなくても

簡単に鮮やかな紫色を

得ることが実証され

 

「誰でも、自由に色を

選択して楽しむことが出来る時代」を

最初に切り開いたのでした。

 

そんな時代があったからこそ

私たちは

紫をはじめ様々な色を

楽しむことが出来るわけです。

 

色が大好きで

洋服にさまざまな色を

取り入れる人も多いと思いますが

 

偶然とはいえ

パーキンが合成染料を

発見したことによって

もたらされたことは

本当に大きなことですよね。

パーキンに感謝感謝です!

 

明日も素敵な1日をすごしてください虹

 

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!