モトカレマニアという番組が始まるらしい

脳内会議っていうシーンがあるらしい・・・・

けれど

どうも私は

インサイド・ヘッドを思い出してしまう。

 

 

脳内会議は、

それぞれの性格の主人公が

脳内で会話をするんでしょうね?

 

 

いつもありがとうございます

らいふ~すと^り^~研究所

こころ相談者/コディ

ひろうゆきです。

 

 

 

昨日のアイスブレイク

いかがでしたか?

 

 

ほめるってことが話題になった時

ほめ方

与えられる側にもほめられ方っていうのがあることについて

ちょっとした話題になりましたよね。

 

 

ほめたい方がほめたいようにほめても

ほめるということで得られる効果が薄くなるって

ことについて。

 

あの時話題になった

ほめるって

ほめることが目的じゃないんだけれども

ほめるということが独り歩きしてしまった部分が

結構あったように私は思います。

 

 

 

人には

その人の育ってきた背景のような

文化があります。

 

これを評価したり

他の育ち方と比べることに

あまり意味がありません。

 

比べたり評価することで

その人が

こころの悩みや問題から

リカバリーするのであれば、

おおいに良いかもしれませんが、

 

人によっては

逆効果につながることが

多くあります。

 

 

例えば

あなたは

こころの病です。

という言葉も

それを与えられることで安心する人もいれば、

それがかえって重みになったり、

もしくは

私は、おかしくなってしまったというような

意味を連想させてしまうならば、

 

 

こころの病っていう名称についても

与えすぎないようにしなければなりません。

 

 

逆に

こころの病だからといって

人格がすべて変わるということではなく、

不都合な部分があっても

これまでのようにはいかなくとも

できることがあったり

理解することができていたりすることは

あります。

 

 

自分がどんな状況であるのかを知るのと

専門家が名称を与えて

その枠組みに置くのとは

少し違います。

 

名称の枠組みに一度焦るのは、

そこから解決策やリカバリーについて

考えやすくするという側面がありますが、

 

それを与えて

「あなたはこうです」

と決めつけることではありません。

 

 

 

面白かった

ドリフターズの

志村けんさんといかりや長介さんや

他のメンバーとのコントで

 

いかりやさんがお母さん役をして

志村さんがけん坊役をしたコントがあります。

 

 

お母さんが

けん坊に

ある言葉を与えていたりします。

けん坊がその言葉を

自分に話しかけるかのように

独り言を話します。・・・

 

 

 

 

 

 

私たちが

いまの状況を把握するために理解するのと、

いまの状況を断定して理解し

そのものにあたえるのとは

少し違うと私は考えています。

 

 

 

 

 

 

例えば

うつ病を患う母とした場合

うつ病からとらえようとする試みが強く

そのひとや移り変わりしている状況からとらえようすることが

少なくなることがあったりします。

 

 

 

いろんな意味で

よいこともあれば悪いこともあるかもしれませんが、

その知識が

自分だけではなく

関わる皆がそれぞれに生かしきれているのか?

 

その知識が重くなっていないのか?

別の知識が今の知識よりも

いまの自分にはマッチするんじゃないのか?

いまの自分に状況や環境に適した

情報や知識と対話したいものですね。

 

 

 

もしかしたら

すぐに答えが欲しいっていう場合

その知識や情報に惑わされる場合があるかもしれませんね。

 

らいふ~すと^り^~研究所