Twitterのつぶやきは、

電車や人がくるあいだや料理を煮込むときなど、

<待ち時間>に眺めていることが多い。

リツイートというかたちでも届くので

覚えておきたいツイートがあったとしてもそのほとんどは、

いいね!のタイミングがうまくつかめず、ぼやぼやしているうち

つぶやきの渦のなかへ吸い込まれていってしまう。

どことなく心がわさわさしたという実感だけが残っても

どんなつぶやきで心が動いたのかさっぱりわからないというのは、

まあわたしの老化ということもあるけれど、つぶやきは

スクロールすればするだけ吐きだされてくるので、

もうこのごろはわさわさわさわさすればいいじゃんと

すっかり諦めがちだ。

 

でも。

 

わたしのアカウントに流れてくるつぶやきの発信は

短歌関係者が多いのだけど、

やはりクリエイターだけあって、そのつぶやきは

明るくても暗くても闇でも光でも惹かれるし、わたしのほうが

発信力も知名度も能力もなにもかもで劣るとはいえ

おなじ制作者として共感できることもあるから

気になったつぶやきはできるだけ書き留めておこうとおもう。

 

 

先日、

スヌーピーの相棒のような名まえをミドルネームに持つ歌人さんが

 

(略)みんなに褒めてもらえるような一首を頑張ってつくりたいって

きらきらした目で言ってて(略)

 

※(略)はどうしてもおもいだせない部分。

というより読めていない(すみません)

 

新人歌人さんが彼に言ったことばを紹介していた、

というようなことだったとおもう。

 

わたしかよ?

 

きらきらの目以外は、完ぺきにわたしだ。

褒めてもらえるような一首。

好きといわれるよりも、褒めてもらうというのは、

究極の甘味料だ。

「すきすきすき」って抱きしめられると

恥ずかしいのも窮屈さも同時に迫ってくるので、

逃れたくなる気もちになるが

あなたは偉い素晴らしいよくやった、と撫でられれば

もっと撫でて、と言いたくなる。

想像するだけで断然うれしさがある。

 

頑張れるだろうか。

きらきらした目の歌人さんは今ごろ頑張っているんだろうなぁ。

いいなぁ。

ああやって声に出して言えるというのがいい。

わたしみたいにちまちまと、褒められたいっていじけているのとは

なんだかスケールが違う。

わたしの<褒められたい>はもしかしてすこし腐りかけていやしないか?

腐っても<褒められ鯛>。

やばい。

木の芽どきなのでここはなんとか見逃してください。

 

 

 柔らかな世界のなかのやわらかめかためいずれも蹌踉くプリン

                 漕戸 もり

 

 

お嫁さんにしたい歌人さんにいただいた桜の紅茶。

一気に春らしくなってきました。