議長は、石橋党首から税制議論の口火を切るよう促した。

 「議長からのご指名ですので、私の方から、税制に関して皆さんで議論していただきたい具体的内容を提案させていただきます。まず、最初にお願いしたいのは、税を哲学してほしいということです。今まで、私も含めて、政治家はそれを避けてきました。逃げていたと言われても仕方ありません。『サピエンス経済』は、消費税に軸足を置く税制を提案しており、社会に波紋を広げました。今がまさに、税を哲学する時ではないでしょうか」

 「ありがとうございました。党首の話にありましたように、『サピエンス経済』では、所得税のように、担税力に応じて課税する応能税ではなく、消費税のように、社会から受ける便益に応じて課税する応益税に軸足を置くことが提案されています。共著者の川本副党首か畠中さん、その理由は簡単に書かれていますが、もう少し詳しくお話しいただけませんか」

 川本は、畠中に向かって手を差し出してどうぞというような仕草で、説明を委ねた。畠中は、川本に向かって軽くうなずいて説明を始めた。

 「それでは、私の方から説明させていただきます。私がまず考えたのは、民主主義社会における税制はどうあるべきか、ということです。歴史を振り返れば、暴君が領民から、“生かさず殺さず”と形容されるほど過酷な税を暴力的に取り立てることが珍しくありませんでした。振り返って、今はどうでしょう。さすがに暴力的徴税はありませんが、取りやすいところからできるだけ多くを搾り取ろうとするところは、封建時代の暴力的徴税と、程度の差こそあれ、根っこは同じではないでしょうか。権力者というものは、税は自分たちの金だと思っているようです。民主主義国家においては、国民のためという体裁は整えながらも、その実、鉄のトライアングルと呼ばれる政官財の互助関係に資する、お為ごかしにすぎないような事業が目に余ります。その思いが『サピエンス経済』執筆のモチベーションになりました」

 石橋は、それを『サピエンス経済』の提案を具現化してきた政策を振り返った。

 「これまで、国民による官僚の人事評価制度と、有権者の投票内容をプライバシーコードごとにデータベース化して前回投票を変更でき、定期的に変更を集計した結果に応じて当選者の入れ替えが行われる当選者入替制度を導入してきました。これらは『サピエンス経済』で提案されているものですが、その実現に向けて背中を押してくれたのは、『人は誰しも自分最適な生き方をするもので、政治家も官僚も例外ではない。その結果生まれたのが鉄のトライアングルで、悪いのは個人の資質ではなく彼らの自分最適な行動を国民最適から乖離(かいり)させている制度だ』という記述です。その言葉に押されて制度改革を断行してきました。制度を変えただけですが、鉄のトライアングルと呼ばれる政官財の互助関係は自然消滅しそうな雲行きです」

 「小選挙区制をやめて、州単位で全州1区とする記名併用比例代表制に移行したことで、政治家の質がずいぶん上がりそうですね」と、川本が補足すれば、石橋がすぐに返した。

 「僕も二世議員だからよくわかるんだけど、小選挙区制で先代の地盤を引き継ぐと、能力や高まいな志など関係なく、当選回数だけは重ねることできたからね。でも、これからは引き継いだ地盤だけで当選することは難しくなるね。当選回数だけは多いけど能力的に不安のある議員が持ち回りで大臣の椅子に座るというようなことは、これからは無くなるだろうね」

 「これらの制度改革で、国会議員も官僚も、国民目線に立って、国民に最適となる税金の使い方をするように行動パターンが変わることは間違いないでしょうね」と、中川幹事長がこの話を〆ると、石橋は本題に移った。

 「さて、税金の使い道については、今後、健全化されていくことが期待されますが、次に問題になるのは、税の集め方です。『サピエンス経済』では、公平な税制として消費税に軸足を置いています。所得税は、業種によって所得の捕捉率に大きな差があるために不公平で、クロヨン(9・6・4)などと呼ばれてきましたが、ベーシックインカムの財源を所得増税に求めると不公平を増幅させるだけです。だから、公平に捕捉できる消費税を財源にしようという考えですよね」

 そう言って、畠中に目をやると肯いている。石橋は先を続けた。

 「でも、大幅な消費増税は消費不況をもたらすので、消費時に消費税を間接税として支払うのではなく、消費額を捕捉して所得税と同じように直接税として消費税を次年度に徴収する。しかし、消費の捕捉はプライバシーの侵害になりかねないので、プライバシーコードを国民に割り振り、個人を特定することなくプライバシーコードごとに消費額を、支払先も含めて捕捉する。そして、個人を特定することなくプライバシーコードごとに所得税なども含めた総税額を算出して徴税する。さらに、消費税と所得税の二重課税を避けるために、所得から消費額を控除すれば、所得税の課税対象は貯蓄増分となり、実質的に貯蓄税となる。この実質的な貯蓄税を消費税よりも高くなるように設定すれば、消費が促され、消費額を正直に申告するようになる。消費額が支払先も含めて完全捕捉できれば、結果、所得の捕捉も確実になる。とまあ、“風が吹けば桶屋が儲かる”みたいな長いパスですが、こんな流れでしたよね」

 「はい、その通りです」

 「一本道を突き進むように、消費税に軸足を置いた税制に行き着いていますが、はたして本当に一本道で、他の選択肢はないのでしょうか。応益税である消費税に決め打ちしているようですが、なぜ、応益税かという理由は簡単に述べられていますが、説明が不十分ではないでしょうか。記された説明によると、国民の権利である参政権は、昔は、高額納税者だけが選挙権を有していた制限選挙でしたが、今は、平等な普通選挙に移行しています。だから、納税の義務も平等であるべきで、だから税率が一律の消費税にすべきだと論じられています。本当にそれでいいのか、今日は皆で税を哲学しましょう。かく言う私も、恥ずかしながら、長い政治家人生の中で、そのような議論をしたことは一度もありません。皆さんの活発な議論を期待しています」

 こうして、我が国の政界ではいまだかつて行われたことのない、税の哲学論議が始まることとなった。活発な議論は、党執行部と、畠中と、新人議員の浅田の間で繰り広げられたが、それ以外の多くの参加者は、なかなか議論について行けず、フラストレーションのたまる最も長い1日だった。だが、活発な議論を繰り広げた人たちにとっては、心が熱く燃えたぎった最も長い1日となった。