めちゃくちゃ忙しい、
または
なんだか忙しい、
そう感じている人はどのくらいいるだろう。
私は
実際どのくらい忙しいかと言えば
ときに立ってゴハンを食べるほどだ。
しかし
忙しさなんてを比べるのは難しい。
たぶん拘束時間ではなく、
頭の中のもんだいだからだと思います。
ばたばた忙しい、というのは
収集がついていない、
パソコンで言うビジー状態で、
処理速度も遅くなっている、
ということと思います。
実際は人間だから頑張れば処理できるんでしょうが
「集中力がでない、なんかやる気ない」
これもヒューマンビジー状態のよい例と思う。
処理が進まないのでイライラして
さらに処理を加えるとフリーズする。
眠くなったりするわけです。
私は
急に首が凝り、
ちょっと運動不足だなと思いはじめたり
ふいに甘いものを食べはじめたり、
誰か暇な知人がいないか調べたり
部屋が散らかっていると気づいたり、
爪がのびてると爪きりを捜したり
だいたいこんな感じです。
さて
これは自覚の問題ですが、
「時間を過ごしていると老ける」
という説がある。
要は
「時間を過ごしている自覚があると老いる」
という意味だ。
「つまらない時間を過ごした」
または
「ああやっと終わった」
このような意識が時間の経過をひときわ認識させるのだと。
「時間」というのは「生きている時間」なわけだから
人生そのものだ。
つまらない分、長く感じる、
十分に時間を感じているから
脳内で自ら老いるよう促してしまうのだ、と。
口に出さずとも
心の奥底では分かっている、
この「自覚」が作用してしまう。
逆に
時を忘れるとき、人はあまり老いないのだ。
例えば私は
「歌うとき」「書くとき」「話すとき」「読むとき」
我を忘れ時間を忘れます。
10分間が瞬きの如きに過ぎます。
「耽(ふけ)るほどに老(ふけ)けない」
この説をどこで得たのか思い出せないのだが
妙に納得したから心に残っている。
さて
ハワイ出身の元横綱、
曙関が大相撲放送の解説席に座ったとき
意味深いことを言った。
番付を上げ、品格も出てきた力士に対し
やや訛りながら
「立場が人を作るんです」
と自らをふり返りながら語った。
後輩が出来れば先輩らしくなり
子が生まれれば親らしく自らなってゆく
広い意味のある言葉だった。