※今回は、ブログを書くリハビリと、活字を読むリハビリを兼ねて小説をご紹介させていただきます。

 

 

ご無沙汰しております。

 

なかなか文章を書くテンションにならず、期間が空いてしまいました。

 

漫画は相変わらず読んでおります~。

ただアウトプットが煩わしい時期でした。

自分の中が未整理のものが多くてごっちゃごちゃです。

いかんなぁ。

 

気分を変えて、何か活字を読もう!と思ってみたものの。

 

やばい。思ったように入ってこない。すっごい目がすべる。

自分のブログすら目がチカチカする。

あああ~なんっかこう、つるっと読めてスカッとできる都合のよい小説がないものか。。

 

で、見つけたのがこちら。

 

 

いろいろ、いまの差別を見直そうというご時勢の中、このタイトル。

そして乱発されるブスというワードには、ちょっと「ん?」と思わなくはないものの。

 

どうしたってなくなりはしない性別の差別、美醜の差別、年齢の差別。

じゃあその中で力を付けて強く生きていったるわい!という弁護士馬場添泉の、明晰な罵倒が踊りまくる本作です。

 

34歳になった主人公貝谷が、高校の同窓会で遭遇したのは、弁護士になった馬場添さんでした。

彼女は高校生の時「ガリ勉うんこ」という衝撃のあだ名を付けられていた人。でも言われたことは全力で言い返す。大人になった彼女は、その弁舌と法の知識を武器に、弁護士となって罵倒の限りを尽くします。

 

主人公が若干チャラついた美容師なので、馬場添さんと立ち位置も持ち味も違い、作品のよい緩和役になっています。最初は価値観の違いからガンガンやりあっていたけれど、後半は二人して協力して案件に取り組んだりもしています。貝谷、毎回巻き込まれすぎやろ、という突っ込みは置いとく。

 

人はいつかみんなババアになるんだから、それまでに自分の武器を磨いて戦わなくては。

理不尽な目にあった時、不遇を跳ねのける力がなくては、自分が望むようには生きてはいけない。馬場添さんはそんな風に強くなっていった人です。

…まあ、馬場添さんは強すぎかなとは思いますが。

東大卒の弁護士で火力強め。ひと昔前のマンガのヒーローみたいです。

 

35歳になった自分にはとても耳が痛い言葉満載でした。

が、馬場添さんが勢いよくお話を進めてくれるのでとてもすんなり読める作品でした。

 

 

自分のテンションが落ちているとき、テンションが上がるものが欲しいんですよ。

 

私が今一番テンションが上がる創作物を作る方たちがこちら。

 

 

竹輪大学大学院言語学研究室です。

 

 

竹輪言語研究のvol.2とvol.4がやっと買えたんですよ!!

うれしーー!!

 

 

こちらの大学紀要がどんな内容なのかは

よかったら竹輪大学さんのツイッターとか見ていただいて。

 

※ちなみに、この大学は実在していません。

 若手言語学研究者のユニット名になります。

 

最近このユニット名で寄稿された書籍が以下2冊です。

 

 

恋って何ですか?

 

 

 

 

わたしの外国語漂流記

 

 

 

 

いわゆるYA(ヤングアダルト)世代に向けた書籍です。

YAは13才~18才頃までを対象としています。

 

私は、YA図書は本に普段触れない人の糸口でもあると思っています。

 

YA図書の本来の立ち位置は、子供でもない、大人でもない人のための本です。

 

ただ、私も30数年生きていると、精神的な意味でどこにも属していない時期というのは、大人になってもあるよなと感じていて。

 

子供のように経験が少ないわけではないんだけれど、新たなきっかけが欲しいという大人にも、YA図書は向いているのではないかと思うんですよね。

 

小説以外の、分類別になってる物は特に。

 

あらゆる分野を極めると、それは他者から見てとてつもなく高い山であったり、深い谷であったりします。

 

その道を極めた人物の体験談や、その人の言葉というのは貴重なものです。

 

長い時間かけて身に着けたものがある人の言葉は、自分という枠を超えるきっかけを与えてくれます。

 

これから人生の岐路に立とうとする人には、指針になったり、物事を始めるきっかけになったりすることもあります。

 

そこに到達するまでには必ずはじめの一歩があるはずなんですけど、その一歩目を踏み出すきっかけはなんだったのか?とかね。

 

聞いてみると自分にも新たに選べる道が見つかる気がします。

 


 

あとは、実は本を読むのあんまり好きじゃないっていう人とかもいるよなぁと思っていて。

そんな人にも、とっかかりという意味ではおすすめです。

 

YA図書を読んで、ちょっとこの本も読みにくいから、もっとさかのぼって児童書から読み始めてみようかしらとか。

 

自分はもう少し専門的な物の方が読みやすいなとか。

現状をとらえるのにも向いているかと。

 

昔、知人に「本読むのあんまり好きじゃないねんけど、どうしたらいいんかな」って聞かれたことがあって。それ以来ずーっと考えてはいるんですよね。

その時はうまく答えられなかったもので。

 

どうしたら。っていうか、何から読んだらいいかってことだよなーって。

 

本を楽しんで読める人って、自然と読めるようになった方が多いので、読めるようになった最初のきっかけがわからない人が多いのかなって思ってて。

自分がそうだから思ってるだけなんですけどね。

なので、当時は

 

何からって?えー、初歩だと絵本?

でも成人男性に響く絵本って?

 

とかで考えが止まってしまってました。

いや、そもそもその人が絵本読む気かどうかも聞けなかったんですけどね。

 

まあ、本以外にも楽しみ方なんて星の数ほどあるので他のものがお好きなら全然それでもいいんですよ。

 

ただ、義務教育で文章を読むことが定着化されていると、「読まなければならない」という気で読んでる人はたくさんいらっしゃるんじゃないのかなーと。

強制されてると、楽しめるものも楽しめなくなったりするじゃないですか。

私の場合、それは料理なんですけど。

自分だけの栄養管理なら自己責任の範囲で実験として楽しめるんですけど。

他者が絡んでくると、栄養管理責任とか在庫保持責任とかエンタメ要素とかなんかいっぱい求められてる気がしてね。そして片付けのことまで考えるともうほんと頭パーンてなります。

あーやだやだ。

 

文章に対してある程度までの情報を読み取れなければならない。というのと。

えーなんか行飛ばしながら読んでるけどめっちゃ楽しいのわかるー!あがるー!

超楽しーーー!

っていうのは全然違うんですよね。

 

私は必要に迫られて、岩波少年文庫を苦しみながら読んだりしたこともあるので。

ほんと、ロビンソンクルーソーはびた一感情移入できないし。

もう最初の船沈没で私死んだー。ってなってしまって。幽霊な気分でしか読めないのです。あれ。

でもサバイバル生活の名作だとは思う。

 

 

 

 

義務と楽しみは全然違いますしね。

でも楽しみを知らないと続かないなとは思うんです。

 

本を読んで楽しいなと感じたことがある身としては、どんな本でも楽しめるとか、そんなことは言えません。

 

ただ、楽しいと思うもので基礎体力を増やしとくと、ある日思いもよらないものが読めたりするんですよね。

 

だからねー、なんか、どんな本にも出会うきっかけみたいなところは用意しときたいなと思ってて。

 

なので、なんかすごい頭いい人たちがすごいエンタメをしようとしてるぞ!っていうのを感じる竹輪大学さんはほんと大好きなんですよね。

 

これをきっかけに言語学に興味を持ったり、なんだか意味はわからんけどすごい面白いなこの漫画!?っていう不思議な体験をしていただけたらなーと思います。

 

 

もうほんと、自分が楽しむための読書なんて、別に内容を覚えておく必要はないとおもいます。

なんかよくわからんけどすごい楽しかったぐらいでいいんじゃないかな。

 

と、自分にも言い聞かせながら終わる。

 

家の中で不幸なことが起こった時。

自分が無力な子供に戻ってしまったような気がしたとき、思い返す話があります。

 

 

文庫だと全5巻。

各話完結なので、読みやすいんだけど。

一筋縄ではいかないの。だって吉野朔美だから。

言葉の切れ味は軽く鋭く、心理面では心の奥底まで一瞬で見透かされそうな作家さんです。

でも、おかしみも親しみやすさもある。

この計り知れなさにどっぷりつかってしまいます。

 

今回は、3巻より、第19話「犬」。

4巻より、第21話「嘘をつかずに男を騙す方法について」。

 

「犬」は、子供のころ突然失踪してしまったお父さんの行方がわかって、お父さんに会いに行く男子高校生のお話。

でも実際に、お父さんとやりとりすることはなく。お父さんが自分のお母さんとそっくりな女の人と、自分と同じ名前を付けた男の子と暮らしているのを遠目で確認するのみ。

主人公の男子高校生の中で、その時お父さんという存在はじわじわと死んでいくのですね。

親だって人間で、抱えきれないものがあって、逃げてしまうこともあるのだと。

そうして、電車に乗って主人公が家に帰っていくんですが。そこでの主人公の言葉がすごい。

 

「今 ぼくが考えているのは ぼくの ぼくに対する責任について

 どんな人間かということよりも 明日 どんな人間に なれるかということだ」

 

そうして、自分が子供の頃飼うと決めた犬のところに帰っていくんですよ。

決断の潔さと、過去との断絶が一瞬で描かれててね。

切れ味のすんごい良い日本刀で体真っ二つにされるくらいの衝撃があるんですよ。

過去との断絶がすなわち大人になるってことだと思うんですけど。

もうあっけにとられてしまう。すごすぎる。

 

「嘘をつかずに男を騙す方法について」

これは、男たちから全く同じ指輪を5つもらって、その4つを質屋に売ろうとして「1つは偽物だよ」と質屋のじいさんに言われるところから話がスタート。

はあ?ってなりますよね。話を読んでてもそうなりますから、安心してください。

主人公の女性の強さに圧倒されますよ。

 

んで、この話の主人公の女の人が、指輪をくれた一人であるおじいちゃんの孫をとっちめるシーンがあるんですよ。

おじいちゃん、お金好きなように使った挙句、この女の人の家に家出してきてるんです。

んで、孫が言うんですよね。この女の人に「おじいちゃん返して!」って。

家の中がめちゃくちゃなのは、全部この女の人のせいだ!とも孫は言うんですよ。

 

さて、女の人はどう返したと思います?

 

「あなたが もし人並みに敬語を使える娘なら おじいちゃんは 家出なさったり しなかったでしょうよ。

 なぜなら そういう娘は ご両親がケンカをしたら トマトをぶつけて 犬と赤んぼを連れて 散歩に出るからよ」

 

はぁ~ごもっとも!

こういうところに、吉野朔美の優しさと、冷静な視線が見えて好きです。

同じ家に住んでいるからと言って、こどもだからと言って踏みにじられるものがあってはいけないと、きちんと線引きをしてくれている気がするんです。だからその分、自力で何かをしなければならないんだと教えてくれています。

 

いい年をした大人になっているのに、親と子という関係性だけに囚われて身動きが取れなくなるときがあるんですけど。

こういうお話を読むだけで、トマトぶつけるまではせんけど、ちょっと散歩行ってくるわーくらいのことができるんですよね。

明日、ちゃんと生きるためにどうしたらいいのかしらとか、考えたりできるのですよ。

すごい作家さんなので、ぜひ機会があれば作品読んでほしいです。

 


とうとうA子さんが動き始めました。

デビュー作を見つめなおす事が、A太郎やA君との関係を見つめなおす事に繋がっているとは。

 

最近、吉高ちゃんの出ている「知らなくていいこと」っていうドラマを見てたんですけど。

その中で主人公が元カレとヨリを戻せそうになってるのに、いろんなことがズレて結局くっつかずに終わるんですよ。

あのズレと、すごく似てる気がする。

 

A君なんて、A子さんに会いたいがためにアメリカから(文字通り)飛んできたのに。

あんなに阿佐ヶ谷で楽しい時間を過ごしたのに。

なぜ婚約を白紙にしちゃうのー。

いや、A子さんを束縛することなく答えを出してほしいというのはわかるけどさ。

 

6巻は全体的に、いつも話している人の別の側面を見ることができましたね。

A子さんとA君、A子さんとA太郎、K子ちゃんとU子ちゃんなどなど。

 

中でも、A太郎は強烈ですね。

なんせ「A子ちゃんになりたい」ですもの。

で、なれなくて沈んでいるので。

A子さんにそれを救えっていうのも違うよな。

自力で上がってこないと。二人でおぼれてしまうよ。

 

次巻で最終巻ですかね。

A君は一抜けしたし、たぶんA子さんももうちょっとですね。

A太郎のいいとこ、最後に一回は見てみたいな~!

 

既刊2巻。以下続刊。

主人公の綾乃は既婚者だけど、配偶者以外の人を好きになってしまった。

しかもそれは自分と同性の人。

綾乃は、今の配偶者の渉にこれといった不満はない。

自身の職も教師で収入も安定している様子。

というのが前提のお話。

 

恋人と不貞についての話ってしたことあります?

私はありますよ。もうそりゃ心の狭い人間なので、恋人が異性と手つなぐところから嫌だわって言いました。

決定的な不貞といわれるのはセックスの有無だと思うんですけど。

でも、そこに至るまでの許容範囲はグラデーションではありますね。

 

今回作中で、綾乃が正直に渉の母(姑さんですね)に、浮気相手の朱里とキスをしたことを話してしまいます。

配偶者の渉は、それを聞いて離婚も視野に入れ始めます。

私もこのタイプだなー。だって綾乃さんめっちゃ心動いてるもの。

自分の恋人が他の人に心動かされてるのってなー。やだわー。

 

でも、渉と綾乃は恋人じゃないもんな。

結婚って好きという気持ちだけで成立はしていないんですよね。

相手の家族とか、生活とか。二人の背景まで地続きになってるんですよね。

私は結婚したことがないので、自分の両親が前提ですけどもー。

 

綾乃に告白された姑さんは、浮気相手とキスをしたことについて「それだけ?」と聞いてきます。

そこから出てくる言葉が、世間がしゃべってるみたい。

こんなことで離婚なんてバカバカしい。渉が女の子とキスしちゃったくらいで別れるの?と。

まあ、法的制度に守られた結婚だからね。

気持ちだけで結婚できるわけではないよね。でも、気持ちも大事なのではないの?

結婚をしたからといって、今時絶対に別れないというものでもないし。

自分と同性の人に心奪われてしまうこともあるかもしれないし。

 

綾乃の場合、同性に恋愛感情をほのかに持っていた過去の初恋の話も出てきています。

ただその初恋は、相手が綾乃を男の子の代わりとして見ていたことによって、綾乃が相手を静かに拒否しています。

 

綾乃は女性として経済的にも精神的にもかなり自立している方ですし。

教職という関係上、朱里の存在は今は表に出せないかもしれないけれど。

本気になったらちゃんと離婚できそうなんだよなぁ。

ただ、配偶者の渉側は一筋縄ではいかない様子。

 

自立したおとなになったら、パートナーが自由に選べるけれど。

その自由は思った以上に複雑なんだよなーと教えてくれる作品です。

人を好きなるのってなー。あの勢いづいてるのは何なんでしょうね。

 

世間から祝福されなければ、恋愛なんて意味がない、というのも違うし。

法的手段の結婚という形で結ばれているのに、それでも他の人を好きになってしまうとか。

自分がパートナー一人とうまくやっていくのも難しい人間なので、ー結婚してさらにほかの人を好きになるなんて、パワーがあるなあと感心してしまいました。