景数 | 70景 |
題名 | 中川口 |
改印 | 安政4年2月 |
落款 | 廣重画 |
描かれた日(推定) | 嘉永3年 |
中川は江戸中心部から見るとすでに郊外にあたるが、前回解説した塩の他に漁場としての役割も大きい。河口付近の汽水域はハゼ、ボラ、スズキなどが釣れた。
そして特にあげたい魚として、白魚と鱚(キス)がある。
4景 「永代橋佃しま 白魚漁の疑問」でも取り上げたが、佃島の漁師は将軍に献上する白魚の漁業権が千住大橋から隅田川河口までの範囲にないことから、味の最も良い川を遡上するときの白魚を、別の河川で確保しなければならない。そのため佃島の漁師は、わざわざ中川まで出向いて漁をしていたのである。
鱚は江戸の釣りブームで人気の高い魚の1つである。江戸の釣りブームで人気魚の番付を付けるとすれば、冬の大関はタナゴ、夏の大関がこの鱚となるだろう。以下は、鯉、ハゼ、手長エビといったところである。
鱚はアオギスとシロギスがいて、特に神経質で釣りにくく大型のアオギス釣りが人気であった。現在は東京湾のアオギスは水質悪化のため絶滅してしまい、全国でも数か所しか生息していない。また鱚は魚偏に喜ぶと書くことから縁起が良いとされ、将軍の食卓には必ず出たという。
鱚釣りは舟釣りが一般的だが、おもに釣りやすいシロギス狙いである。江戸名所図会に鱚釣りの様子が描かれている。
アオギスは天保年間になると、脚立釣りというのが開発され、以後明治になってもこの釣り方が一般的であった。アオギスは遠浅の砂地に住んでいるので、脚立釣りの前は、高いゲタを履いて海を移動して釣っていた。しかし警戒心が強いアオギスは人の影でも釣れなくなってしまうし、何より立って釣るのは疲れる。そこで高い脚立(梯子を2つくの字に付けたもの)にまたがって座って、高い位置から釣ることで影が水面に映らなくする釣り方ができた。
さて記事の最後に、いつものようにこの絵が描かれた日の推測をするのだが、残念ながら江戸の郊外を描いた絵は、安政地震の痕跡もなく、特定は難しい。
この絵の改印は安政4年であるが、これよりも前に出版された「絵本江戸土産」で同様の構図の絵がある。広重は、この絵を竪構図に描きなおしたのだろう。
今回は、「絵本江戸土産」が描かれた嘉永3年を描かれた日とする。
参考文献
広重 名所江戸百景
新版 江戸水の生活誌―利根川・荒川・多摩川
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