名所江戸百景 12景 上野山した | 広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

百景が描かれた時代背景、浮世絵の細部、安政地震からの復興を完全解説!

 景数  12景 
 題名  上野山した 
 改印  安政5年10月 
 落款  廣重画 
 描かれた日(推定)  安政5年10月 

広重アナリーゼ-上野山した


 改印が安政5年10月で、広重は安政5年9月6日にコレラで死去していることから、二世広重の作と言われている。また、この絵は広告の効果を狙った作品であることは、過去の絵から関連して明らかである。おそらく版元の魚栄が広告契約をして代金をもらってしまったが、当の広重が死んでしまったため、二世広重に描かせたと思われる。ただここで二世広重を出してしまっては、売り上げに影響すると思ったのか、落款を「広重」としている。同じ改印の作品に他「市ヶ谷八幡」「びくにはし雪中」があるが、「びくにはし雪中」は広告のある浮世絵として電通が保有していて、「広告で見る江戸時代」にそのことが記述されていることから、この絵も同様に広告目的であると思われる。「市ヶ谷八幡」については明確に店を描いていないので真意ははかりかねるが、同じ時期に「二世広重」と落款を入れると、この絵と「びくにはし雪中」も二世広重を疑われ、売上に影響し、広告契約にも影響すると考えたためだろうか。

 筆者は初代広重作でないと感じているが、一番の理由が空のツバメの描き方にある。過去の広重の作品でもツバメが多く描かれているが、いずれも単独飛行で描いていて、その習性を良く知っていた。しかしこの絵では編隊を組んでいる。春先のツバメには絶対に見られない飛び方であり、二世広重はガンなどと同じように編隊で描いてしまったと思われる。また草木の描き方が細かすぎる。初代広重は、このような構図の場合下草をここまで細かく描くことはしないし、奥にある木々もここまで細かく描かない。この草木の描き方は「二世広重」と落款した119景「赤坂桐畑雨中夕けい」に似ている。また筆者にはわからないが、見る人が見ると落款の筆跡も初代とは違うとのことである。

 この絵の場所は題の上野山下とは、少し場所が違う。森の中に鳥居が見えるが、これは仁王門前町の東側にあった五条天神であることが切絵図でわかるため、下谷広小路と山下の間を描いたことになる。この絵では五条天神の鳥居は、正面を石垣に阻まれていて入ることとができない。この石垣は、寛永寺の入口と上野山下へ行く道を隔てる石垣と思われる。従って、本来ならば伊勢屋は石垣に対してもっと奥まった位置にあるはずであるが、構図を重視して石垣と並んだ位置に描いたのだろう。
 安政地震では、この辺りの被害はひどく、火災が起こって付近一帯は焼失してしまった。被害については、次の13景下谷広小路で詳しく説明することとする。

 目立つように描かれている店の看板は、「伊勢屋 しそめし」とある(「し」は志を母字、「そ」は楚を母字とした仮名)。二世広重作ということで調査を怠ってしまい、この店の絵にある当時の様子を調べてないが、見たところ魚屋、紫蘇飯屋、よく見ると笠が掛けてあることから小間物屋を兼ねているようだ。また二階は提灯と数人の女性がいることから、高級な料亭を思わせる。魚もヒラメであろうか、とびきり大きく描かれていて、さりげなく高級感を出している。この店は明治に入り店名を「雁鍋」として、営業を続けていたそうだ。下谷繁昌記という本に詳しく書かれているそうだが、入手できていない。

 手前には揃いの着物と蛇の目傘を持った一行がいる。これは当時、吉原遊女や習い事の師弟が花見に行くときに、お揃いの傘で行くのが流行っていた。広重も過去の作品で何度か描いている。堀晃明「広重の大江戸名所百景散歩」では、この一行は大奥と予想しているが、よく見ると着物の帯が前で結んでいる。このような風俗は吉原しかないので、堀氏の推測は誤りであろう。ただ吉原から上野山内に花見に行くには、御成道を通るのは不自然なので、吉原の遊女一行をここに持ってきたのだろう。ちなみに吉原遊女が大門から出られないのではないかという疑問があるだろうが、江戸吉原図聚には「毎春には禿の花見と唱え、全楼の遊女一隊をなして、上野、飛鳥山、或いは向島に赴きて花の下に酒を酌み、舞をまひ終日歓を尽くすを例とせり(吉原大鑑)」とあり、例年花見に行っていたことがわかる。

 さて、最後にこの絵の描かれた日であるが、二世広重作ということで、調査不十分である。そもそも伊勢屋がいつ開店したのかわからない。絵の季節は桜の咲くころであるが、実際に描いたのは広重の死後から、改印の10月までの間ということになる。

この記事で参考にした本
広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))
広重―江戸風景版画大聚成
新収日本地震史料〈第5巻 別巻2〉安政二年十月二日 (1985年)
広告で見る江戸時代
広重と浮世絵風景画
江戸吉原図聚 (中公文庫)
広重 名所江戸百景

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