那覇に行ってきました | M子の乳癌日記

M子の乳癌日記

浸潤性乳癌と診断されたので自分の観察日記を始めました

那覇に出張してきました。

東京より涼しくて、爽やかでした。沖縄はきれいな海に囲まれた、温暖な気候のとても良いところですよね。本気で移住したいと思ったりしました。台風が大変ですけど、それでも島の人たちはずーっとそういう自然と折り合いをつけて生きてきたわけですよね。

今回はスケジュールが厳しくて一泊して東京にとんぼ返りで、残念でした。ハワイに移住した友だちが名護に来ていたので、会いたかったのですが、それもかないませんでした。

そんな素敵なところ、人間を含むいろいろな生き物にとっての楽園が、戦争や、その後の占領で踏みにじられています。私はスキューバダイビングが好きで、沖縄は世界有数の美しいサンゴ礁があり、とても貴重な環境に囲まれているのに、それが破壊されていることに本当に心を痛めています。辺野古の海を埋め立てて、環境を破壊する米軍基地建設は地球に対する犯罪だと思います。それをどうすれば止められるのか…本当に多くの人が頭を痛めている問題ですが、ただ抗議運動を続けても解決できない気がします。

首里城

ところで、飛行機に乗るまで少し時間があったので、首里城に行ってみました。あらためて、沖縄の悲しい歴史を思い起こしました。

今修復工事中でカバーが掛けられていたので、インターネットのサイトから写真を拝借します。

琉球王国は独立国家であったとされる頃から、清国の配下にありましたし、その後は薩摩に統合されて、明治維新後は首里城から王様も追い出されて…挙句の果てに日本陸軍に使われた首里城は米軍の激しい爆撃目標にされてしまったのですよね。そして、所謂「本土決戦」で本当に多くの人が犠牲になって、占領されて、「復帰」したのは名ばかりで、依然として米軍に牛耳られています。

本当に辛い、悲しいことです。

日本が太平洋戦争に参戦しなければ、こんなことにならなかったのか、もっとさかのぼって沖縄を薩摩が統合しなければこうならなかったのか…わかりません。でも清国の配下のままだったら、台湾のように国民党に踏みにじられていたのかも…歴史に「もしも」はありませんから、今更そんなことを考えても仕方ないかもしれませんが、史実をしっかり考察してこれからどうすべきかを考えたいです。

少しでも状況を改善するためにどうするのが良いかを、日本人皆で考えるべきだと思うわけです。

もう、これ以上アメリカにへつらうのはやめにして、隷属から脱しなければならないと思います。

ところで、ここもUNESCOの世界遺産に認定されたということですが、なぜ15世紀に造られた素晴らしい建造物が70年そこそこの歴史しかない、しかも日本に宣戦布告した国の集まりが出自の団体に「認定」していただかなければならないのか、物凄く抵抗を感じます。

それについてはまた別の機会に書きたいと思います。