先日2年点検を終えました。


2年前と何も変わっていない風景。

変わったことと言えば、カウンター上のミニ観葉植物が伸びすぎたことと、壁のタブレットがiPhoneになったことだけ。



変わらず美しいキッチン。


2年間変わらない風景。

ニャンコがいつもソファーで駆け回り壁に三角飛びなどしながら遊んでいるから、ソファーの爪痕は相当なものになったけど…


変わらず美しい洗面所。

洗面ボウルには相当な傷がついたけど…


ファミエスの人には

「お掃除完璧です」

と言われ、最高の褒め言葉にテンション上がる。

一年点検でどこをチェックされるのかを知っていたから、ということもある 笑



この家を建ててくれて、静かな暮らしを与えてくれた夫に感謝。

今この瞬間穏やかに幸せを感じている。


どんなに頑張ってもこの先経済的に自立することは難しい、という結論に落ち着いた。

だからもう仕方がないのだ。

これまでの苦労に対する対価をありがたく享受しようと決めた。


そして何もできなくなっても、そんな自分を責めることもしないでおこうと思う。

誰もが年をとっていくのがこの世の理。

今まで頑張って生きてきたんだからそれでいいじゃない。


この場所で犬猫と息子との穏やかな暮らしが最高に幸せ。

足りないものは何もない。


友達からは

「1ミリも愛情がなくてこの暮らしを与える事はできないと思うよ。これも愛情だよ」

と言われ、

「罪悪感からだよ」

と答えたが、罪悪感など持ち合わせていないわと即座に思った。


そこに愛情があってもなくてももうどっちでもいい。

自分のことは自分で愛し認め、自分で自分をご機嫌にしていけばいいんだから。


だから、買ってあげると言われたものは断りません。

欲しいものも買ってもらいます。

これまでどんなに不当に扱われてきたかを忘れてやるもんか。

どんなに辛く不自由な思いで生きてきたかも忘れない。

これまでの謝罪の気持ちを受け取ってやる。


それくらい強気で生きていけ!

とヘタレな自分に喝を入れる。


と言いながらも、与えられたものには心から感謝しています。



辛い想いをして生きている人、生きてきた人はたくさんいる。

私以上に苦しんできた人は五万といる。


井戸の中ほどの狭い世界であっても与えられているものに感謝することは当たり前のこと。


こんな狭い世界で、泣いたり強がったり自分を偽ったりしながらもがいている自分も人間臭くてかわいいじゃないか。


でももういつまでも後ろを振り返って何度も追体験をして生きていくのはやめようと思う。


生きていれば嬉しいことや楽しいこともある。

こうして日々家の中で美しい景色を目にしていることも喜び。

お料理をしたりお掃除ができることも喜び。


だから


これでいいのだ。