ブックレビュー河合隼雄特集㉓:新しい教育と文化の探究 1978 創元社 | こころの臨床

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心理学は、学問的な支えも実践的身構えも、いずれも十全と言うにはほど遠い状況です。心理学の性格と限界を心に留めつつ、日本人が積み重ねてきた知恵を、新しい時代に活かせるよう皆さまとともに考えていきます。

「カウンセラーの提言」という副題です。

 

家庭、親子関係の問題、学校教育への提言(苦言も含む、これらの多くは当時だけでなく現在の学校現場にもしっかり通じると思います。)、現代日本の社会と文化の深層への考察、カウンセラーとして相談室で出会った事例を通しての考察(これは、教育領域での相談実務者の指南書となると思われます、)へとつづきます。

 

 

最後の章(内容的には、付録の位置付けかな?)では、河合先生が臨床心理学を学び始めた頃の思い出を語っておられます。ロールシャッハテストに出会い、フルブライトで渡米、クロッパー先生をとおしてたユング心理学との出会い、ユング研究所留学など、異文化とのコンフロンティーションに関わる論考などが綴られています。

 

 

ところで3月5日にもご紹介した漫画論に関してですが、当時流行っていたらしき「むき出しの感情表現」や「どぎつい」表現は、河合先生はあまりお好きではなかったようです。

 

「子どもはおさえられた感情をより低俗なものの中に求めてしまうのである。(p53)」との記述が見られます。ともあれ、河合先生が主張されたかったのは、その後の部分です。

 

…[略]…ここで考慮しなければならないことは、もともとそれらの話は「語られる」ものであって「読まれる」ものではなかったということである。ものがたりには語り手が必要であり、語り手いと聞き手の心の交流がある。そのような関係のあるところでこそ、残忍な物語も、子供[ママ]達に深い感情体験をもたせつつ、その統合に役立たせることができたのである。(p53)

 

最近のコミック(とくに「少年漫画」)は死生を扱ったもので「どぎつい」と言ってもよさげな凄惨な描写があるものも少なくないのですが、主題また主張(言いたいこと)そのものは、かなり当時よりもスペキュレイテヴな傾向の作品群が主流になっているように思います。

 

アニメ化が連載中からなされていて、結末が異なるケースもあると聞いたことがあります。

 

その点から愚考するに、直接的で即時的な「心の交流」はないものの、アニメは、コミックと河合先生が言われた「語られる」ものとの間に位置するのではないかと思われます。