今晩はエピングで自殺予防トレーニングに出ました。行ってみたらサイコロジスト用ではなくて、GPスタッフ用でしたが…。

研修を受けながら興味を持って調べてみたら、日本の自殺率はオーストラリアの約二倍。先進国の平均の約一.六倍。2004年で、韓国が第三位、中国が第九位、日本が第十三位、オーストラリアが第五十位。自殺率の上位国は、日中朝韓の他は、旧社会主義国。男性の自殺率は、女性の約三倍。

何で東アジアの国や日本がこんなに高いの??と思って、その理由を調べてみました。

ユダヤ教やキリスト教やイスラム教では、はっきりと宗教的に自殺=悪いこと。日本にはその宗教的戒律が一般的にはない。

「死んでお詫びをする。償いの究極的な形」慣習、武士道精神の切腹に見られるように。「解決不能な問題に対する答え」として、自殺が広く許容される。「死者は鞭打たない。死者は生前どんな人でも仏様になる」だから一発逆転ができてしまう。

STAP細胞騒動の教授のように、マスコミも世間もあれだけバッシングして断罪しておきながら、自ら命を絶たれた後には掌を返したように、「日本の、世界の科学の発展に惜しい人材を亡くして大損失だ」「マスコミがそこまで追い詰めたのか。他のやり方はなかったのか?」と、急に同情口調になる。

これでは、死ぬ以外に、教授や教授の家族や研究グループが、世間からの総スカン、国がかりの村八分の心理的な拷問状態からの大逆転で、同情的な目に転換してもらい、追い詰めたことへのギルティを感じてもらい、心理的拷問のムチを緩めて、許してもらう方法はない。そのような効果を得られ、名誉の回復に、究極的で唯一の解決方法が自殺のようだ。

これでは自殺を奨励しているようなものだ。自殺して初めて大問題にできる、学校のいじめや職場のパワハラ、労災を見ていても、そう思う。自殺する前に大問題にしないと。

日本でも、自殺という方法に全面的に依存しないで問題解決ができる社会システムや行政の制度、みなの考え方になって行かないと。

マスコミでも世間でも、バッシングが始まったらそれ一色に、一丸になり過ぎてしまうのが怖い。いろんな違う意見を言う人がいて、それを許容する雰囲気になればさらに良いのに、島国で単一文化だから難しいのか…。

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