10月に入りました。

だんだんと冷え込んできましたね。

昔、この季節になると、農民のみなは冬に備えて、食べ物を大事に保管していたということです。

お米が収穫されたときは神に感謝の祭りを捧げるのも、この冬を無事に乗り越えるのも神々のお陰と心から喜ぶのです。

私たちはだんだん、豊かになった生活から何故かアナログになっていくのも、

神が「生かされている喜びをもう一度味わいなさい」とおっしゃっているような気がしてなりません。

豊かな生活になったのも私たちの責任です。

生活は豊かになったけれども、その代り、「食べ物に対する感謝」が欠けてしまったことです。

人間は欲ばかり得ているとろくなことはありません。

汗を流して、魚を捕り、農物を得る。

その経験を通じて、私たちは「生かされていること」に感謝するようになる。

その簡単なことが重要なのです。

神が与えてくれた経験、受け入れることです。

 

祈・マリンカ

9月に入りました。秋の神楽祭は、神に感謝し国民の平和を祈って 春と秋の2回行われる祭です。

生きていることに感謝する。食べることに感謝する。

稲の神様、水の神様、太陽の神様・・・という自然の神様を

昔の民は形(像)をつくり、感謝の祈りを捧げておりました。

私たちは普通に食べることがあたり前になっておりますが、

食べ物に感謝するという習慣はあまりないと思います。

けれど、食べ物を頂くとき「いただきます」という習慣は身につけ、

そのとき「感謝する」という気持ちを持つことだけでも

ずいぶん大きく違ってきます。

日本の便利さと豊かさに慣れてしまい、心のゆとりを忘れてしまった私たち。

気が付くと、日本はだんだん苦しむという自然に変化しつつあります。

神は自然に苦しみ、共に助け合うことを私たちに教えようとしています。

危機感を忘れてしまった日本。日本よ、ひとりひとりの民が苦しみ、

今の私たちに何ができるのか、悟り、考え、行動するべきである。

祈・茉凛花

8月に入りました。


風雨の順調、五穀の豊穣をお祈りする月に入りました。


雨がたくさん降ったあとはお日様の力を借りるのみ。あとは田んぼや畑に水をつなげて、


実が実ることを祈った民は、神々の力を借りながら生きてきました。


神々の力で実が実り、食物を食べることは神に感謝をすることからはじまりました。


私たちが生きて、今があるのはご先祖様のお守り、そして神々のお陰です。


8月は最も戦争で亡くなった方が多いのですが、亡くなった人たち、生き残った人たち、それぞれの役割があります。


「魂の役目」というものがあります。


生きている者は魂への経験を重ねると共に役目を果たす、という課題が与えられています。


前世を振り返り、今世の自分になんの役目があるのか考えるのもひとつの方法です。


自分らしく生きる。


これが人間の生き様でしょう。


祈・茉凛花