ありがとう。それが一番の想いです | わたしの「らんにんぐ★ふぃろそふぃー」

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走ることでいろんなことを学ばせてもらいました。それはある意味自分の人生哲学になりうるかなという思いで、日々思ったことをランニングネタで書いたり書かなかったり、ゆるく、ほそく、ながく続けていけたらなと思います。どうぞ、末永く見守ってやってください。

期末試験から始まり一連の忙しさの中で、気がつけばもう三月も終盤ですね。昨日七年間お世話になった職場から荷物を全て持って帰り、いよいよやめる実感が出てきました。いそがしかったからこそ考えずにすんでいたことがたくさんあったんですね。何にもなくなった机を見て急に寂しくなってしまいました。

20代はICUの子たちと一緒に過ごさせてもらいました。自分が高校生の頃の思い出といえば陸上部のこと以外あんまり思い当たらないのに、ここの子たちのバイタリティの本当に刺激を受け、高校生活をもう一度経験させてもらったような感覚です。

教師としては未熟な20代。でもそんな中で僕が大事にしてきたことは

"教えることが楽しみであること"
"どんなにへたっぴいでも情熱を持ってやること"
"自分がこれだって思うことを追求すること"

です。先生って呼ばれることはえてして危ういこともあります。やっぱり基本的に生徒との立場の差が出ちゃうから、偉そうになったり、その立場に甘えたり…そういう人であっちゃ駄目だと思うんです。だから自分が走ることにも、夢を持って勉強することも、何かに悩んだら逃げずにきちんと考えて前に進むことも大切にしてきました。自分がどれだけあの子たちに想いを届けられたかは分かりません。だけど、一緒になって笑ったり泣いたり、そんな時間が本当に僕にとっては大きな財産になりました。楽しかったし、教師になることは僕の昔からの夢だったので、幸せな20代だったよ。

僕は非常勤という立場だったし、自分で自分の生きる道を切り開いていかなくてはいけません。この七年間で僕がもう一つ追い求めた夢が治療家の道でした。最近になって専門学校案内で取り上げられた記事の「いいね」が再燃していますね(笑)やっぱり僕は走ることが大好きで、行動基準はそれなんです。だから、ケガをして思うように走れずに悩む生徒を見て、自分が力をつけたい!単純ですがそれがきっかけでした。

この七年間でやってきたことはここじゃ書ききれないくらいろんなことがあって、それがいろんなことを我慢したり頑張ったりすることの大きなモチベーションになっていました。何足もワラジを履く中で、本当に何かを極めたいって思ったら、後ろの扉を閉めなゃいけないし、夢を自分の中で整理していかなくちゃいけない。教師を辞めることが決まってからの約半年間。この日が来ることを心のどこかでわかっていながらも考えないようにしていました。でもいつかは必ずこの日が来る。

最後は笑って次に進みたかったので、きちんと笑顔でまたねって言えて良かったです。伝説に残るくらい泣いてもいいんじゃないですかって言われたけど、それは自分の中で自己完結するだけになっちゃうし、特に試合が近い陸上部の子たちの緊張の糸は切りたくなかったので、今までとなんら変わらず、4月からもひょこっと授業や部活に出るかのような声かけをしました。

辞める時に陸上部の子たちのうちの一人からのことば。

「宮川さん、山梨まで見に来てくれますか」

でした。今年のIHが行われる場所です。

「もちろん行くよ。」

二人で号泣しながら、辞める時に流す涙はここまでにしようって決めました。近くで見てあげられないさみしさも申し訳なさもいっぱいだけど、僕がしっかり夢を追いかけて頑張ることがあの子たちへの最大のエールになると思ってます。

長くなったけど、これから必死に頑張るよ。いつか大人になったら飲みながらゆっくり話をしましょう。

お酒が苦手な宮川さんより


(3月22日Facebook)