こんばんは^^
心の処方箋カウンセラー佳子(よしこ)です。
あなたは まちがえること 怖くないですか?
私、「怖くない」と言いたいのですが…
言いたいということは、本当は怖いってことですねf^_^;
私が子育てにつまずいた大きな理由も
この「まちがえたら大変」という気持ちです。
子育てに限らず
私の苦手意識の裏には
まちがえたら「否定や非難される」があるのです。
すなわち、まちがえることの恐怖は、否定されることの恐怖だったってことですね。
昨日、この恐怖を減らしてくれる文章に出会いました。
息子の公文教材に載っていたのですが
その中の一節に
「科学のいろんな真理だって、昔の偉い科学者が、正しいことを見抜いたように本に書いてあることがあるが、あれは一画的だと思う。
偉い科学者というものは、正しいことの何倍も、誤ったことを言っている。
正しいか誤っているか、まだはっきりしないままに、いろいろと議論したので、その正しいことだけが今に残ったのである。
誤りを言う人がいなかったら、学問なんて進まなかったろう。」
これを読んだ後、スタップ細胞の発表が頭に浮かびました。
世界を巻き込み、議論するきっかけになっていますよね。
それは、新たな可能性に着実に近づいているということ。
更に学問が進むということです。
また、こんな一節もありました。
「正しいかどうか、あやしい意見をのべてこそ、討論にあたいするのだ。
『正しい』ことがきまっていては、おもしろくもなんともない。
討論にとって有効な意見というのは、正しいかどうかできまるのではなくて、それが討論を発展させるかどうかできまる。
ものの本に書いてあるような『正しい』ことを、いくら並べたところで、それが発展しないようでは、有効性はない。」
なるほど~と過去の私を思い起こしてみますと
かつての私は、本当に「正しさ」の追求ばかりしていました。
今もそういう一面がないとは言いません。
でも、やっぱり子育てのおかげかな。
発達障がいと向き合ってきたおかげかな。
そこを求めてもあまり幸せを感じないのですもの。
子どもに善悪をおしえることは大事です。
でも別に、正しい人になってもらいたいわけではない。
私自身が、正しい人ではないしね。
親子関係だけでなく
夫婦関係
友人関係
どれも共通ですね。
私、討論好きです。
でもそれが、正しさを追求するものだと確かに面白くありません。
そこから、あらたな気付きがあるから好きなのです。
「まちがったっていいじゃないか」
それは、科学的、文化的な発展はもちろんのこと
人間関係の精神的発展にもなっていますね。
まちがえることへの恐怖
否定されることへの恐怖
今より更に手放せそう^^
あなたはいかが?
まちがってもいいんじゃない?