愛しいラムちゃんとの日々
伝えたい想い 🍀🍀🍀
漠然と愛犬と過ごしてきたので犬のことについてわからない過去のわたしでした。
ただ、ひたすら最後はラムの為に尽くして
今までの恩返しのつもりで看病しました。
ラムが7ヶ月の闘病の後亡くなり、その2ヶ月後にレオの肥満細胞腫が発覚しました。
レオの闘病中になんとしても最後はきちんと看取りをしてあげねば❗❗❗❗❗❗❗
との思いで老犬介護士の資格を取得しました😭
恥ずかしながら、当時の私は愛犬の服ばかりこだわり、保険も入らず、身体にいいフードも知る努力をしませんでした😭
所詮は犬だから、という軽い気持ちがあったからだと思います💦
大切にはしていたけど動物を育てる上で欠けていたのが基本的な知識でした。
それぞれのおうちで愛犬愛猫にかける金額もしてあげることも差があることは
わかっています。
しかし、このブログの記事を読んで
自分のペット達に対して、ここはもう少し考えてあげてもいいだろう、もっと見直しをするべきだろうと感じ、それを行動に移してもらえる人が増える。
そうしたらもっと日本で育てられるペット達も共に過ごす人間もHAPPYで幸福感が
増えるんじゃないか💕💕💕
そう信じています☺💖✨✨
このコ達と長い年月を過ごしてきて
ひたすら感じてきたこと、レオラムミユからずっともらいつづけてきた物は
私達飼い主を信じ、ひたむき
に向けられる愛と幸福と
笑顔あふれる毎日でした✨
余命宣告から5ヶ月経過
すでに外にいくことはなくなり、
フードはドライでは食べれませんでした。
ウェットフードといういい商品を知らなかった😱上、ほとんどの食べ物を受け付けず毎回ドライフードをぬるま湯でふやかし、クッションをあてがい抱っこでスプーン
もしくはシリンジでの強制給餌でした😭
ひたすら、1日でも長く生きていて欲しい
一心での介護生活でした。
痛み止めのパッチを首にまいていました。
人間でいう麻薬成分なので、直接は触れず
使用年月日を記入し、
使用済みのテープは動物病院に必ず返却するという厳重管理された薬でした。
あまりに強すぎて1日のうちかなりの時間
寝てばかりでした。
ラムちゃんのことを思い出すとかならず
脳裏に浮かび上がるのは、夏
余命宣告された後、同じことを言われ、
失意の中タクシーで新宿に向かう道のりでみた夕日🌇の美しさでした。
どんなに辛い時でも、時間は刻々と過ぎていきます。
涙を拭き、ふたりで残りの時間を、精一杯
看取りしようと決意しました✨
藁にも縋る思いで行き、診察を待ったものの、全身麻酔をかけないとMRIはできないという事実。
すでに体力的に限界がきて、
膵臓由来の癌は血管に絡みついて転移している可能性が高い。
血管に絡みついてる癌では、切除は到底無理です。
肝臓も腎臓も数値は相当悪く、脾臓には白く石灰化が進行していること。
もう手の施しようはなく、神様はいないんだと実感しました😭
その後、闘病生活が始まりました。
9月の時まだ元気で雨の中、💩をしにいくことも出来ました。
散歩が大好きで日常的にしていたので外に出たがり、カッパを着て走り、出ると走って帰ってきました。
🍀 🌿 🍀 🌿 🍀 🌿 🍀 🌿 🍀
寒くなってきてだんだん散歩が辛くなってくると外では歩かないので、レオとミユの
散歩にワンちゃんバッグに入ってもらい
一緒に連れ出し外を見せてあげました。
早くに食事は自分で食べなくなったので
ずっと強制給餌を続けました。
更に温度が下がると、すっかり外には出なくなりました。
やはり、転移もしてるのでしょう。
今までお腹を出してなでてもらうのが
何より好きだったのに、
触られると痛いらしく、お腹をだすことは
全くなくなったのがただ悲しかったです😢
12月になり。。
今まで一緒に毎日寝ていた高校3年の娘が
🚗の免許を取りに行き始めました。
賢いラムちゃん、わたしが娘を🚗で送って
いく時間までに夜の食事を済ませ、
玄関で待ち伏せです✨☺
唯一、出かけられるタイミングで
何回も一緒に夜のドライブでした✨
寒くないように毛布でくるんでのせました
❤🩷🧡💚💜🤎💛
いつまでも可愛いラムでした✨
夜のドライブでのラムの顔は忘れられません。