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精神科ナースここあんですニコニコ



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ところで現代は大変生きづらく、心の病や悩みを持っている方が多いですよねガーン



実は私も鬱になりかけたこともあります。



そして母も数年前にうつ病になりました。



  poto:ここあん「もうすぐ春亅



今日はその母の話をしますね。



母は美容師であり、美容室を経営していて、昭和の高度成長期にはかなりお店も繁盛していました。


私は小学生でしたが、学校から帰ってきて


「ただいま~亅と言っても「おかえり~亅と返事が帰ってくることはありませんでした💧



小窓から忙しそうに働いてる母の姿を見ているだけ…



母は忙しさでご飯もトイレもままならず、そのストレスの対象は私…。



何も悪いことをしていないのに激しく怒られることが度々あり、そんな母が嫌いでした。



元々性格が短気なので父にも不満をぶつけてよく怒っていました爆弾ドンッ



父は優しいのですがお酒が大好きで毎日遅くまで飲んで酔って帰ってくるため母のイライラが募りケンカ…



常にうちの家庭は母が中心で母に逆らうと恐ろしかった…




そんな私も中学生なり、反抗期へと突入します。



母のキツい言葉に今では考えられないほどの暴言を吐きましたハッ



母も負けてはいませんでしたが…



自分の暴言に「私は何でこんなひどい言葉を吐いているんだろう亅と自己嫌悪に陥ることも(--;)



でも母に負けたくなかった。



今まで、可愛がってもらったこともないし、



いつも大したことでないことも、ストレスのハケ口にされて悔しかった…



そんな思いで毎日母とケンカドンッ


             ○         ○         ○


そんな日々から時は流れ、



私も大人になり、働き始めてからは距離を置くことが出来たのでケンカも少なくなりましたが、



父が50歳の時、食道がんと診断されました。



その時、「お父さんががんになってしまった💧亅と



母と2人で泣きましたえーんえーん



そして我が家族は父の命を助けるために奔走することに…



この時は母が父のために腕のいい医師をお客さんに紹介してもらいオペをし一命を取り止めました。



それから10数年後、父は食道がんで手術した食道入口が狭窄してしまい、唾も飲み込めなくなっていきました。



だんだん弱っていく父の姿に私たち家族は今回はだめかもしれないと思いましたショボーン



食道入口の拡張手術は失敗してしまいましたあせる



母の落ち込みようはすごかったけれど、持ち前のパワーで直ぐに他の医師を紹介してもらい、


病院は隣県と遠くなってしまいましたが、


仕事を従業員に任せて、何時間も掛けて父に会いに行ってました。




その時、私は他県で結婚して子育て中だったので、父の面会にはあまり行かれず。


母は父を死なせまいと頑張っていました。



あの時のケンカが嘘のように父に尽くしていました。



そして、2回目の手術は成功し、医師から



「もう

  ご主人は大丈夫ですよ亅


と言われた途端、うつを発症しましたガーン




ピンと張り詰めた緊張の糸が切れた感じでした。




強い母が別人のよう気力が失われていきました。



家事も出来くなったため弟の嫁が面倒を見に来てくれました。



私もたまには子供と帰省して母の様子をみていましたが、声は小さく、表情も乏しくなり、これがあの強かった母なのか?と驚きました。



うつは5年以上続きました。



仕事は辛かったと思いますが続けていました。



本当はもうやりたくなかったようですが。



でも食べていかなくてはならない。



父も手術で声帯を取られてしまい、声が出ず、急激に老け込んでいきました。



この時の母は人生で一番辛かったと思います。



私を他県に嫁がしたことも後悔していました。



私は母から離れたかったので旦那の実家の近くに嫁いで行ったのです。



父と母の面倒を見てくれた弟の嫁は父のちょっとした失言に憤り、それが原因で離婚してしまいましたハートブレイク



今までお店も繁盛し、順調にいっていた母でしたがうつを患ってからは相当辛そうでした。



母は「薄皮を剥がすがごとくでも良くなっていってるのかわからない。ケガなら見えるけどうつは見えないからわかってもらえず辛い亅とよく言ってました。



それでも目には見えないほどゆっくりと快方に向かっていきました。




数年後、父は亡くなり、そのショックも大きかったようですが、



ようやく母は一人暮らしに慣れた頃、こんどは骨髄異形成症候群(血液のがんの一種)と診断されました。




これからは母が父にしていたように私が母の命を守る番だと思いました。



母には可愛がってもらえなかったけど、理不尽に怒られてばかりで本当に嫌いだったけど、やっぱり親は親…



親を失いたくない気持ちの方が強く、ドクターにも掛け合い、最善の方法を模索してきました。



このブログでそのことは「「母は骨髄異形成症候群①~⑨亅に書きましたので、興味ある方は読んでくださいね。



母は「命を延ばすことが出来たのは娘(私)のおかげだ亅と今は感謝してくれています。



そして現在、私の住んでる市内の介護施設で時々病院に連れていき治療を受けながら暮らしています。


             ○         ○         ○


今日、入所している介護施設に大好きなみかん🍊とお菓子を持っていきました。



コロナウイルス感染予防のため、施設では面会中止なのに、母は私に「会いたい亅とスタッフの制止を振り切って玄関まで私に会いに来ました。



スタッフは困惑していましたが、



母「娘と話したいのよ。何で会っちゃいけないの?いっぱいいっぱい話したいのよ。亅


と涙を流しながら、スタッフに訴えていました。


ここ2週間会ってないだけなのに…




小学生の頃、私の話を聴いてもくれなかった母。それは仕事が忙しかったこともあるけど、私って愛されていないんだなと感じていました。



だけど今、



母は涙を流して訴えるほど、私と話したがっているのです。



「お母さん、今ね、テレビで見て知ってると思うけど世間はコロナウイルスで大変なことになっているんだよ。終息したらまたいっぱい話そうね亅と言って帰ってきました。




お母さん、長生きしてね。



ナースになった娘はお母さんをこれからも守るからね。




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次回は私がうつになった時のことをお話しますね!パー