日航機墜落事故から30年 | 牧野美千子 築地ピンク女将日記

牧野美千子 築地ピンク女将日記

日々の出来事をフワッと(^^)
変化していく築地の様子とか
もちろん特撮 戦隊愛も

大惨事となった
日航機墜落事故から30年。
毎年、この日になると
目に浮かぶ光景があります。

実は私、
この年、超電子バイオマンを終えて
レポーターとして
全国あちこち旅してました。

そして、この日
私も羽田空港にいました。
日航機  福岡便に乗るために…。

レポーターの仕事は
マネージャーも付き人も無く
一人で行動していたので
この日も
搭乗手続きを終え、待合場所で
搭乗開始を待ってました。

ふと回りを見回すと
大阪行き123便という掲示板が。
『へぇ、ゴロの良い番号の便だなぁ』と。

そのうち
『123便、搭乗開始します』
のアナウンス。

私の隣に座っていた家族連れ
前に座ってた会社員

次々とゲートインして行きました。


私が事故を知ったのは
福岡の空港に着き、
空港が騒がしく
迎えに来てくれた局のヒトが
若干青い顔しながら
『良かったですね』と。

その時のショックといったら。

何故だったのか
私は
123便に吸い込まれてく方々を
ずーっと見ていたのです。
いつもならそんなに見ていることは…。

はっきりと覚えてるんです。
皆さんの後ろ姿。
待合場所でのざわめき、
お喋りしていた姿。

それが、今でもこの日になると
締め付けられるような胸の痛みと共に
思い出されるのです。


まさか、先にこんな事が待ち構えているとは
知らずにいただろう夏休みの夕方。

生きることの意味や価値は
はっきり言って良くわかりません。

でも、生きている素晴らしさは
わかります。

良いことばかりでは無かったけど。
辛かったことも。
悲しかったことも。
今の自分である為に必要だったのだと
思えます。

自分の命は
誰にも渡すことはできません。
死にたいと思っても
生きたいヒトにあげることはできません。
だったら、一生懸命生きなきゃと
思うんですよね。

キツいなぁと思う時、
生きたくても生きられなかった
方達の
背中を思い出すのです。