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そもそも「麻美」という名前にも

子どもの頃のいくつかの経験からちょっと抵抗がありました。

 

①麻美という漢字の読み方が子どもの頃は「あさみ」が主流で

どこに行ってもあさみと呼ばれるのが嫌だったこと

 

②母から名前を貶されたこと

 

特にこの②ですね。

今回「麻美」として生きていこうと決めたときに

真っ先に頭の隅にチラつきました

 

わたしは両親と姉の四人家族で

いわゆる「普通」の家庭で育ちました

 

サラリーマン家庭で裕福ではないけど平均的な

衣食住に困らない生活。

虐待もなく親の保護の中で大人になるまで育ちました

 

ただ大人になってから・・・

というかセラピストになってから気づいたのですが

いわゆる情緒的ネグレクトで、自覚は無かったけどだいぶ生きづらかったと思います

 

子どもの頃からずっと母から父の愚痴を聞かされ続け

小さなカウンセラーだったし

母が好きだったので父が悪者だと思い込んでいたし、父はわたし達子どもには関心が無いと聞かされ続けていました

 

そんな背景がある中で

小学生の時に自分の名前の由来を発表する宿題が出たので

母に聞いたんです

 

そうすると

あんたの名前はお父さんが適当につけたのよ。

お母さんはお姉ちゃんの名前をつけたからあんたは譲ったの。

麻美なんてつけちゃってね。お母さんがつけてればいい名前だったのにね」

(ちなみに母は「うらら」とつけたかったらしい)

 

といって姉とわたしそれぞれの産まれた時からのアルバムを見せられ

 

姉のアルバムの1ページ目には

母のつけた名前と素晴らしい由来が書いてあり

 

わたしのアルバムの1ページ目は

空欄でした

(宿題をどう提出したのかほとんど記憶にないけど

由来が無いなんてみじめで恥ずかしくてどうにか誤魔化したんだと思う)

 

今思うと名付け親である父にも聞いてみればよかったと思うけど

母の日々の愚痴により「父は悪者で子どもに関心の無い」人だったので

 

その選択肢は当時のわたしにはありませんでした

 

あの時の母のセリフはもはや呪いです。

というかうちの母は今でも大体無自覚に呪ってくる笑い泣き

(愛と呪いって紙一重ですよね)

 

 

こんなエピソードからわたしは自分の名前にコンプレックスがあったし

姉に対してもいつも劣等感がありました

 

(でも姉とは子どもの頃は喧嘩ばかりだったけど成長してからは仲良しで

お互い友達にも親にも話せないことをお風呂でよく話していた親友のような関係です

あと漫画とか本の趣味が一緒)

 

当時は言語化なんてできなかったし

つらくて恥ずかしくて見て見ぬふりをしてたけど

 

・名前を適当につけられるようなどうでもいい存在

・麻美という名前は良くない名前

・由来のある姉と比べてわたしは存在を認められてないし成長を喜んでもらえない

・愛されない自分

・みじめで恥ずかしい自分

・父は適当につけたなら、やっぱりわたしに関心が無いんだ(母からの洗脳での思い込み)

 

などなど・・・

 

言葉の裏にある色んなメッセージを受取ってしまったんですね。

 

だけどわたしも大人になり子どもを産み

 

実は父はわたしにずっと関心があったし

困ったらいつでも助けてくれるすごく頼りになる父親だし

父が一方的に悪かったことなんて全く無かった

 

ということに気づいていくわけです

 

これはヒプノセラピーと出会う前に

第一子の産休中に気づき始めて、ついに洗脳が解けたときには

 

もうものすごい衝撃でしたね。

 

あ、わたしは母に洗脳されてたんだなって思って。

(この辺も洗脳されること=影響を受けることを選んだのは

結局自分自身だとさらにあとから気づくわけですが)

 

 

そんなわけで

わたしの「麻美」という本名には色々なエピソードや想いが

絡み合っていたわけですが

 

ヒプノセラピーと出会ってから今日に至るまでにさらにさらに

色々なエピソードや想いが重なり

 

ついに

本名で生きる覚悟=魂を生きる覚悟

を決めたわけです炎

 

名前って生まれる前に自分で決めてくるらしいからね

まさにですよね

 

あなたは自分の名前、どうですか?

名前について何か感じてることや考えていたことはありますか?

 

そんなわけで、これからは

「麻美」としてよろしくお願いします照れ

 

あさみじゃないよ、まみだよ

 

 

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