「今行くから待ってろ!」
Mさんは必死に草をかき分け、その向こうへ行こうとしました。
しかし、彼はビクリと動きを止めました。
なぜなら踏み出そうとしたMさんの右足、その下は崩れ落ちた崖になっていたからです。
草で足元が分からなかった…この声の主もそれが原因で、この下に落ちてしまったのだろうか?
そう思ったMさんは、そっと崖下を覗きました。
「おれはまちがえた」
「ひきかえしていれば、おちなかったのに」
「いたい、いたい…かえりたい・・・たい」
声は間違いなく崖下から聞こえましたが、その姿までは確認できません。
自分ではどうすることもできない、そう思ったMさんは救助要請の連絡を入れ、助けが来るまでその人に声をかけ続けることにしました。
「今、助けを呼んだから、頑張れ。」
「いたい、いたい…かえりたい・・・たい、いたい、いたい…かえりたい・・・たい」
その声の主は何度も痛みを訴え、それと同時に「かえりたい」とも訴えてきます。
「ちゃんと帰れるよ、だから頑張れ。」
「いたい、…かえりたい…かえりたい。…かえりたい、…たい、…たい…と…」
「分かったから。帰れる、、家に帰『違う!』」
Mさんの声を遮るように、崖下から突然大きな声が聞こえました。
その声にMさんは、ピタリと動きを止めました。
次の瞬間、Mさんの耳元で、低い男の声がこう囁きました。
『…変わりたい、お前と。』
驚いたMさんは、すぐ後ろを振り向きました。
そこには、誰もいませんせした.。
しかし、生温かくどこか生臭い風が、Mさんの頬をヌルッと撫でていきました。
その瞬間、Mさんは、思い切り駆け出しました。
足がもつれそうにながら必死に走り、展望台まで戻ってきました。
そして恐る恐る周りを伺いましたが、もう何の声も聞こえてはきませんでした。。
Mさんは今すぐ下山したいと思いましたが、救助要請をした自分がいなくなるわけにいかない、何よりそんな見捨てるようなことをしたら、それこそ何が起きるか分からない、そう思って踏みとどまりました。
救助が来るまでの間、Mさんは手を合わせ必死に念仏を唱え続けたと言います。
その後無事救助が到着し、崖下の捜索が行われると、そこからは一人の男性の遺体がみつかったそうです。