おはようございます。
今日は鬼滅は休みで、自己紹介。
先日facebookで出会い直しがありました。
facebookだけで繋がっていた方とメッセンジャーで談義です。
スポーツの新しい形について。
そういう新たな出会いがあまりに久しぶり過ぎて、自分が何者か忘れていたので今日は振り返ろうと思います。
ポチッとやってもらえると日本ブログ村のポイントになります。
私は現在中学校の保健体育の先生です。
野球部顧問です。
令和元年度の県総体で優勝しました。
と言っても優勝した代は3年間で顧問が私で3人目なので、私の力は微々たるものです。
部活に関しての思想は、
・ずっと人数少ない部活を見ていた関係で、少子化の中今の在り方ではまずいでしょうと思っています。
シーズンスポーツ制、マルチスポーツ制、ヘビー層ライト層の選択余地。
・私自身令和元年度は、育成会会長と両立していたり、3年前には保育園の保護者会長をやったりしていました。それゆえ家族のためにも労基的にも今の在り方はまずいと思います。
顧問をやるかやらないかの選択余地(国的にはその方向に行っていますが)
私の指導者としてのお師匠さんはジャイアンツアカデミースーパーバイザーの倉俣徹さん。
1997年からお世話になっています。
東京農業大学第二高等学校に入学し、甲子園を目指し野球部に入るも、自分に合わず退部。
ちょうどその時、当時巨人軍通訳担当だった倉俣徹さんが、シーズンオフに群馬県の自宅地下にトレーニングジムを開設。そこに通うことにしたのです。
ジムでの思い出は、倉俣さんの大学時代の一期上の栗山英樹さんの講演「夢は正夢」。両親に納得してもらうために教員免許という保険をかけながらのプロ野球挑戦。
「これだ。」と思い、僕も東京学芸大学を目指そうと思ったきっかけです。
もう一つは1999年のアメリカ、レジー・スミスベースボールアカデミーでのミニキャンプ。U C L A見学、ユニバーサルスタジオ、ディズニー、ドジャースタジアム…。野球の教え方の違いはカルチャーショックでした。
上原浩治の一浪エピソードに励まされながら、一浪の末東京学芸大学入学。
栗山さんの授業も受けることができました。
東京学芸大学では、初等教育教員養成課程保健体育科専修。
ゼミも体育科教育。
ゴリゴリの体育ではなく、スポーツを遊び事としてどう教えるかを学びました。
野球指導のスキルアップは4年春で引退した後、群馬県の高崎ジャイアンツボーイズ(オーナーは倉俣徹さん)の指導を始めてから。
倉俣徹さんの問題意識は
「なぜスイミングは、上手くなるためのプログラムがあるのに、野球にはないのか?」
ですよね〜
ということで、東京学芸大学の硬式野球部監督で野球の研究者(本当は児童学が専門)、及川研究室からアメリカの野球の指導書を持ってきてと司令。
「Skill & Drills」を携え、群馬に帰省。
倉俣さんが翻訳。ドリルをアレンジ、開発。
これが2005年のこと。
2006年にはこれが元となり、ジャイアンツアカデミーが創設されるのです。
ちょっと貢献。
以下野球私の野球遍歴。
2005年〜高崎ジャイアンツボーイズ小学部監督、中学部コーチ
安中市立第二中学校軟式野球部コーチ
2007年〜小学校教員正式採用
群馬ソフトボールクラブ選手
(全国クラブ選手権出場)
2011年〜中学校へ赴任
高崎市ジャイアンツボーイズトレーニングコーチ
校区内の小学校体育館で野球教室
∵女子バスケットボール顧問
2012年〜軟式野球部顧問、選抜チームコーチ、監督
2019年〜別の中学校へ。夏季総体優勝。
そしてダンス遍歴。ダンス教育にも力を入れています。
2014年〜全国小中学校リズムダンスふれあいコンクール出場。
3年連続。最高位5位。
2016年〜高崎ダンスフェスティバル出場。俺が。
5年連続
2017年〜市の特別研修研究員でダンス教育を研究。
これを機にダンススタジオに通い始める。
高崎公式盆踊り「上州タカサキオンド」を授業に導入
2018年〜生徒も高崎ダンスフェスティバル出場。
2年連続
2020年〜文化庁事業で「生バンドで上州タカサキオンド」をコーディネート。
という感じで人生一度きりだから色々やろうとやっている感じです。
陽な部分では。
もちろん陰もありますよ。
高校1年生で野球部を辞めてからが辛かった。
高校2年生で父(8月)と祖父(1月)を亡くしたこと(癌)。
大学2年生で左耳の聴力を失ったこと。
今このようにある奇跡に感謝しつつ、自己紹介を終わりにします。
今日は半月板水平断裂の検診を受けてきました。
6月再診の8月オペで行こうと思います。