志 | 津田紘彰のブログ

津田紘彰のブログ

日本コーチングセンター所長の津田紘彰(つだひろあき)が、コーチングを中心に生きることや日々学ばせて頂いたことについてお話しさせて頂きます。
少しでも皆様の気づきや元気に繋がりますように。

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あなたにしか出来ないことがあります。

あなたにしか歩めない人生があります。

そして、未来のあなたにしか助けられない誰かが待っています。

頑張ろう日本。
頑張ろう、東北。

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『日本コーチングセンター理念』

◆いのちと心を生み育て、社会生活の基盤を与えて下さった全ての恩恵に感謝し、御恩返しの仕事と人生を歩みます

◆無数の先人がたの御苦労と努力に思いを馳せ、その心を継承し発展させる仕事と生き方をします

◆自社と相手と無限の第三者、全ての幸せに貢献出来る仕事と事業をします

 
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こんにちは。日本コーチングセンター所長の津田紘彰です。

今日は、「志」をテーマに、私が大変尊敬している、ある一人のご老人について書かせて頂きます。

現在もご存命のその方は日本人ではなく、遠い遠い国で今も生きておられる、とても柔和な笑顔が印象的な、95歳の黒人の方です。

その方のお名前は、ネルソン・マンデラ。

南アフリカ初の、黒人大統領です。

モラル・ジェノサイド(道徳の虐殺)とさえ言われる、アパルトヘイト(黒人を差別し、隔離する政策)を皆様もご存知のことと思います。

白人だけに有利な法令、白人だけが受けられる教育。

白人専用のバス、ビーチ、公共施設、ベンチ、トイレ。黒人が使用した場合には重い犯罪として罰せられる。

選挙権は白人のみ。

白人の給料は黒人の20倍。

黒人がデモや暴動を起こした場合、白人警官が射殺しても罪に問われない。見せしめのように殺されてしまった幼い黒人の女性や子どもたちが多くいる…。

そんなことがまかり通る世界が、まだほんの20数年前までの南アフリカにはあったのです。

ネルソン・マンデラは若き日よりその悪政に立ち向かう黒人社会活動家として活躍しますが、45歳の時に政治犯として捕らえられ、南アフリカの孤島、ロベン島にある刑務所に投獄されてしまいます。

海からの冷たい風が強く吹きすさぶ、手足を伸ばすスペースもないほどの狭い独房。

与えられる食事は貧しく、毎日過酷な労働を強いられます。

いつ出られるのか、生きて出られる日は来るのか、全く未来など見えない日々が過ぎてゆきます。

家族との面会は半年に一度、30分のみ。厳重な監視の下、ガラス窓越しに話すだけ。

触れることも、抱きしめることもできません。

そして衝撃のニュースがマンデラのもとに飛び込んできます。

「息子が、殺された」

表向きは自動車事故ということですが、獄中においてなお、国中の黒人に絶大な求心力のあるマンデラに対する、白人権力者たちからの警告、報復であることは誰の目から見ても明らかでした。

慟哭は、海風にかき消されてゆきます。

刑務所から出られる見込みもなく、心の支えである家族にも会えず、息子を殺された冷たい独房の中。

そこで彼は、どれくらいの時を過ごしたのでしょうか。

5年、10年?






……27年間です。

27年間。その途方もなく長い時間を、彼はどのような思いで過ごされたことでしょうか。

憎しみ、怒り、悲しみ、絶望、そして希望。

どんな言葉でも表現できない思いを抱え、独房の小さな窓から、彼は一体どんな空を眺めていたのでしょうか。

そして無限とも思える長い時間が流れ、27年後、解放の時を迎えます。

世界の注目が集まる中、南アフリカ初の全人種総選挙にて大統領に就任。すでに72歳になっていました。

私たち日本人には少し理解し難いですが、南アフリカという国は黒人、白人だけでなく宗教も肌の色も民族も、何から何まで違う人々が集まった国です。

例えるなら、東京都にはキリスト教の黒人が住み、神奈川県には仏教徒の黒人が住んでいて、隣の県で黒人どうしなのに全く主義主張が違って憎み合っている。

その隣の静岡県にはイスラム教の白人が住んでいて、三者三様、皆が憎み合っている。

それが47都道府県、全て違う…

そんな複雑な、今この瞬間にも暴動や内戦が起こり、戦火に包まれてもおかしくなかったその時の南アフリカにおいて、彼が推し進めた政策は、

「白人も、黒人も、全ての民族が仲良く、笑って暮らせる国」でした。

同志を暗殺されたり、文字通り命がけの政治で国を一つにし、数年後には、ノーベル平和賞を受賞されます。

権力の座を手に入れた彼は、白人や、息子を殺した勢力に復讐をすることもできたでしょう。

しかしマンデラは全てを赦し、受け入れ、自分が世界に果たすべき「使命」を貫きました。

彼は、ロベン島の独房にいる頃から、自分たちを差別し虐待する白人の看守に、誠意をもって紳士的に接し、心を開いて仲良くなり、自分の味方につけていたそうです。

理由は、「刑務所の看守ひとり、味方にできぬ人間が、いつの日かここを出た時に国中を一つになどできない」と。

27年間。

彼は何を思い続けたのでしょう。

彼の目には、どんな未来が映っていたのでしょう。

いつの日か、自分の役割が果たせる日が来るまで。

その信念を持ち続けられた不屈の魂に、感動の涙を禁じ得ません。

私がこの人生において果たすべき役割とは。

私は、何のために、誰の笑顔を創るために生まれてきたのだろう?

この豊かな国、豊かな時代に生を受けたことに感謝し、日々恩返し、次から来る者たちのために、毎日を懸命に生きて参ります。

今日も頑張っていきましょう(^^)

いつもありがとうございます。

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「少しだけ成長した昨日の僕は、世界を変えようと思った。

もう少しだけ成長した今日の僕は、そのためにまず自分を変えようと思った」

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