こちるの独り言ち

私が書きたい時に書きたい事を書きたいだけ書いて書いて書き捲るプログ


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「愛されること 信じること」(過去ログ)を書いた時から私は変わった。私の内から生じる病と、それを克服する力がまだ残っているのを認めるに至った。
私の心は死んだわけではなかった。一時は私の心が死んだかのように思えた時期もあった。


今でも抗鬱剤は必要だ。
不特定多数の人間と会う前と寝る前には必ず飲まなければいけない。でも、自分の部屋で一人きり、こうやってブログを書いている時などは薬がなくても大丈夫。徐々に薬の種類も弱いものに変わって、量も減っていくと良いと思う。ただ私にはPTSD(トラウマ)があるので、それが完治するのには少々時間を要すると思う。
洗脳体験も一種のトラウマになったと思うけど、それはそれでどうにかしていく。この洗脳体験に私は負けるわけにはいかない。


私が洗脳体験に遭ってから現在に至るまで、ほぼ十年の歳月が流れた。私が自分の人生と真面目に向き合って心療クリニックに通い出してからは、ちょうど一年経つ。
一年前、心療クリニックに通い出すことを決意した時に私が悟ったことは、「時」は決して私を救ってくれるわけではない、ということだった。
人は誰しも、老い、病み、死ぬ。
もの皆、生滅しないものはない。
宇宙においても然り。
「時」はただ自然の法則に従って規則正しく流れているに過ぎない。その「時」が私を救ってくれるなどと、なんて都合の良い「逃げ文句」だったのだろう。結果、私はこの九年間「時」が心を癒してくれるのを待って、唯ネガティヴにだらだらと無駄に時間を費やしただけだった。


心療クリニックに通い出して(過去ログ「きっかけ」、よかったら読んでね)、予想はしていたけど、ほとんど闘病生活のような状態に落ち入った。自分が精神病の治療を受けるというのは自ら精神異常を認めることと同じことなのだ。薬で精神状態がコントロールされることにも大いに抵抗があった。しかし、今では薬に依存することで心の負担を少し軽くすることができている。


先日、心療クリニックに行ってきた。
いつも癒し系の笑顔で「最近はどうですか?」と優しく尋ねるM先生。M先生は多分、患者に合わせて診察の仕方を変えることができる優秀な医者だと思う。そのくせ気取るところがなく、いつも包容力のある笑顔で話を聞いてくれる。私の場合、いつも多くは語らず大抵は薬の相談をする。時には1分くらいで診察を終えることもあるくらいだ。
しかし、この間だけは少しお時間を頂戴して先生に話をした。

「私、この前ブログっていうのをやってるって話したでしょ。
あれ、今でもずっと続けてるんですよ。
この間ね、ズーンと鬱に落ちた時があって、それをそのまんま記事に書いたんですよ。
そしたら読者の人達がコメントくれて。
何気ないコメントなんですけどね。
その・・『頑張って』とか『元気になって』とか、そんな感じのね。
でもそれを見てたら、こんなつまらない私のことでも心配したり思ってくれたりしてくれる人達もいるんだなって、顔も知らないのになって思ったんですよ。
そしたら、私って今までこういった人からの愛情ってもんを感じてきたのかなって思ったんです。
考えてみると私、人から愛されてるって感じたことが無いんですよね。
先生が初めて私の診察をした時に仰っていたでしょう?『鬱になったのは洗脳体験のせいじゃなくて子供の頃の経験が原因』なんだって。
それ、あの時は全く信じられなかったんですよ。
だって洗脳体験の前は全然、そんな鬱の徴候なかったですもん。
でもこの間よく考えたら先生が言った意味がよく解ったんですよ。
よく考えると私は子供の頃から今まで、誰からも愛された記憶が無いんですよ。
それで人に愛されよう愛されようと頑張ってきた努力が、洗脳体験に遭ってそれが人間に対する不信感に形を変えて私の中で崩壊したんです・・・。
私、恋愛関係では失敗ばかりしてきてるんですけど、それも彼氏の愛を信じてあげれなかったのがいけなかったのかな、と思って。昔っから愛されてると感じると逆に気色悪く感じるんです。
『私のことが好きだなんて、こいつ頭おかしいんじゃないか?』みたいな。
だから今まで付き合った男性も、私がその人の愛を信じてあげられなかったのが敗因だったんじゃないかって思ったんです。
きっと今の私には、人から愛されていることを信じられる心が必要なんですよ。
だからこれからは人の好意は素直に受け止めていこうって思ってます。」

普通に無表情で語る私の頬には、一筋の涙が静かに伝っていた。

M先生は手振りを交えて、
「愛情って段階があると思うんですよ。こう、高いところから低いところまでね。そのベースになっている部分の、子供の頃の愛情は非常に大切ですよね。必要とされてないと身の置き場が無いっていうかね。・・・それは、大事な事に気付きましたね。」
M先生は感心深げにそういうと、普段通りに「じゃ、薬は今まで通りで良いですね?」と聞いて、薬の処方箋を書いた。
M先生は私がセンチメンタルになるのが嫌いな性格だということをよく知っている。


心療クリニックを跡にして、私はまた普段通りの生活に戻った。今はこれが私の生活であり、心療クリニックに通うのもまた私の生活の一部なのだ。
昔の私はどこまでも明るく元気だった。だが、同時にその頃の私は無知でもあった。以前のように友達と涙を流すほど大笑いすることが再びできるのかどうか分らない。しかし今の私は、何も知らなかった若い頃よりも、確かに人に愛されていることを強く信じることができる。
それは苦しみの末に勝ち取った、何物にも変え難い私の心の中の宝石なのだ。その宝石は未来へ光を放ち闇の中から私を救い出してくれるだろう。
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今現在、その後の四日間の記憶は断片的にしか覚えていない。
なんせ昼か夜かも分からない密室の中で一日中そういった事をさせられると、時間や日付けの感覚が麻痺してくるのだ。
きちんと日記でもつけて於かないといちいち覚えていられない。

そういうわけだから、これから話す事は順番が事実と前後している部分や、内容が曖昧になっている部分があると思うが、その辺はご容赦願いたい。

相手の第一印象から見える悪い所を言い合う実践は、結果的にはアシスタントがやっていた事をそのまま真似していたように思う。ただ、最初の時よりは大分と気が楽だった。
なぜならそれは私以外の14人、彼等が望んだことだから。


何日目だったか忘れたが「赤黒ゲーム」というのをやった。
15人が2グループに分かれて控え室と会議室にいる。
私は控え室の方にいた。アシスタントが野球場のスコアボードみたいな表をホワイトボードに書く。
仮にAグループとBグループに分かれているとしよう。
A、B両グループは互いに分からないように赤か黒かの選択する。もし両グループが黒を選択すれば双方にプラス5点ずつ入るが、Aグループが赤を選択し、Bグループが黒を選択すると、Aグループにはプラス5点が入り、Bグループにはマイナス5点つく。
そして今度はその裏をかこうと思ってBグループが赤を選択し、Aグループが黒を選択すると、Bグループにはプラス5点、Aグループはマイナス5点がつくが、Aグループが赤を選択すれば両方とも赤になって、両グループともマイナス3点になってしまう。そして各回、点数を加算していく。
「最後の合計でなるべく沢山の点数を貯えて勝つように。」とトレーナーから指示があった。
両グループは相手をやっつけようと躍起になり、各グループで「次は赤を出すに決まってるから、こちら側は黒をだそう。」とか「いや、その裏をかいて黒でくるかもしれないから赤にしよう。」なんて言う議論が巻き起こった。
結果は忘れたが、終わるとトレーナーが両グループを会議室に集めた。そして私達、全員に向かって一喝した。
「今まで研修をやってきた中でも最低の結果です!」
とにかく勝てばいい、と思っていた私達はきょとんとした。
できる限りの事はやったつもりだ。
「私は最後どうすればいいと言いましたか?『なるべく沢山の点数を貯えて勝つように』、と指示をしたはずです。では、そうする為にはどうすれば良いですか?」
私は、言っている意味がさっぱり分からなかった。
「黒を出し続ければ良いんですよ。」
私は、しまった、と思った。
「私は『相手より多くの点数を出せ。』とは言っていませんよね。双方が黒を出し続ければお互いにプラス5点ずつ入って、双方が最高得点を得る事ができる。それにもかかわらず皆さんは相手を倒すことばかりに躍起になって、相手を疑い、裏をかこうとばかり考えた。あなた達はこの点数と同じように最低な人間ですよ!」
私は叱られている子供のように、しゅんとした。
「これがあなた達の今までの人生なんです。いつからあなた達はそんな卑怯な人間に成り下がってしまったんですか…。」
トレーナーの声が次第に優しさを帯びてくる。
「目を閉じなさい…。」

それは、この研修中によく行われた事だが、私達が善かれと思ってやった事が実際は間違っていて、その度にトレーナーから叱咤されては、過去を振り返り素直だった頃の自分、何の汚れもない赤ん坊に戻される、そしてゆっくりとフィードバックして現在に戻るといった事が行われた。
今となっては叱咤された思い出だけが記憶に残っている。


初日の研修が終了してから「一日目だけは電話を架けてもよい。ただし、研修の内容については一切口外しない事。」と言われた。私はホテルにある公衆電話から、研修が始まる前から心配していた母親に架けた。
母親の勘はするどい。私が、「何も心配いらない。」と言うと、「今すぐにそこを出て、帰ってきなさい!」と言われた。私は「本当に何も心配する事はないから。」と母親を安心させて電話を切った。


初日か2日目か、記憶は定かではないが、確か皆で個々のパートナーとリーダーを決めた。
3つか4つのグループに分かれたと思う。
私は当時27歳の美人の女性とパートナーになった。
リーダーは24か25歳くらいの男性だった。
どうやって決めたのかは覚えていないし、他にどんなメンバーがいたのか全く思い出せない。
パートナー同士がお互いの秘密を打ち明け、共有する儀式が行われた。そしてパートナー同士、一生苦楽を共にする「ライフパートナー」になる事を誓わされた。
私のパートナーには悪いが、私は彼女に私の本当の秘密を打ち明けなかった。そこまで心を開くことはできなかった。その代わり彼女の秘密は墓場まで持っていくつもりだ。
この研修では、個人のプライバシーに関わる事がよく取りざたされた。誰もが心に秘めている過去。
被害者意識が強い人がいると他の人達から、もっと辛い思いをしてる人がいるんだ!、と責められる。そういった「言い切り」が出てくるのは多分、パートナーと秘密を共有していて人の不幸を目の当たりにしてる、という自意識からなのだろう。


何日目か忘れたが、「ライフボート」というレクリエーションもやった。
トレーナーがナレーションをする。

私達15人は一隻の豪華客船に乗っていた。
これから心を弾ませながら大海原へと旅立つ。
楽しい航海が続く。
ある日、私達の乗っている豪華客船が氷山にあたって沈没をしてしまう。
生き残れる道はただ一つ。
その豪華客船に備え付けれらている3隻の救命ボートだった。
そのボートには各1隻に一人ずつしか乗ることが出来ない。
船長は、あと15分で船が沈んでしまう、と言う。私達はその3隻に誰を乗せるのかを15分の間に考えなければいけない。

15分が与えられた。
私達は直にカーペットの上で車座になって話し合う。
だが皆が口々に言い出す事と言えば、「生き残こる価値のある人を」とか「私達の思いを残すことなく親類に伝えてくれる人を」とかばっかりで、話が一向に進まない。
私はこのままでは船が沈んでしまうと考えて、一つ提案をした。
「あの~、ジャンケンで決めません?」
皆が一瞬沈黙した。
そして私の提案を無視するようにまた人間の価値について語り始めた。私は、あ~この船は沈むな、と少々投げやりになった。
一人、無口だった若い男性が口を開く、
「僕、co-buddhaさんの意見には賛成できないんですけど、クジ引きだと、まだ納得がいくと思うんですが…。」
私は、ジャンケンもクジ引きも変わらんやんけ、と思った。が、その男性の話になると皆真剣に耳を傾けるのだ。
「○○君、君のアイディアは素晴らしいと思うけど、クジ引きで人の人生を決めてしまうのはどうかと思う。」と皆が宥めるように言って、もとの堂々回りに戻る。

15分が経った。
私達はまたトレーナーにこっぴどく叱咤された。
「この船は沈んでしまいました。全滅です!皆、沈没をして死んでしまいましたよ!私は最初に何と言いましたか?『15分の間にボートに乗る人を決める方法を考えなさい。』と言ったはずです。ところがどうでしょう。あなた達が話している事と言えば、あくまで「基準」についてです!「方法」ではありません。「方法」と言う観点から言えばco-buddhaさんの言ったジャンケンの方がまだマシだったかもしれません。でも人の運命をそんな安易な方法で決めてよいものでしょうか。私が一つ提案しましょう。」
そう言ってトレーナーは私達に車座を解いて、黒板の方を向いて体育座りになり顔を伏せ目を瞑るように言った。
「私が一人一人の名前を読み上げます。あなた達にはそれぞれ3回手を上げる権利があります。自分が生き残ってほしいと思う人物の名前が呼ばれたら手を上げて下さい。」
私は言われる通りに手を上げた。記憶が曖昧だが多分、私自身とパートナーとリーダーに手を上げたように思う。
「顔を上げてください。」
目を開くと黒板に15人の名前の下に「正ちゃんマーク」がついている。私はすぐに自分の名前を探した。
3人だから、だれか2人が私に手を上げてくれたらしい。私は単純に、私に生き残っていてほしいと思う人がいる事を喜んだ。
ライフボートに乗る人は多数決で正ちゃんマークが多い順に3人決まった。3人は皆の為にも立派に生き残って、それぞれの意志を家族や友達に伝えることを約束すると宣言した。
それから残された皆はカーペットの上に仰向けに寝かされ、死の訪れを待った。
部屋の照明は落とされ船底にいるような気分になった。
私達はこれから死ぬのだ。
家族の顔や自分の人生が走馬灯のように頭を駆け巡る。
どこからともなく啜り泣きが聞こえてくる。
それからどうなったかは覚えていないが、ゆっくりフィードバックをするように生き返ったと思う。
目を開けた時にはスッキリした気分になっていた。照明もつけられていた。


演劇みたいな事もやった。
個々に与えられたテーマをもとに自分でシナリオを作り、身体を使って表現するのだ。
私のテーマは「自然」だった。
私は、木が土に根付いてから朽ち果てるまでの一生を演じた。
最初、小さくくるまって種から芽が出るのを、両手を合わせながらうねって空へ伸びていくことで表現した。
ゆっくりと時間をかけて伸びると両手が枝となり身体は幹となって、たくましく成長する。やがて死が訪れると大木は地面にゆっくり倒れて、一生を終える。
ドンッ!!
直立不動のまま倒れたので、強かに全身を床に叩き付けた。
ところが、トレーナーが納得しない。100%力を出していない、と言うのだ。何度も何度もやり直した。
だんだん観客から「がんばれ!」と声援が聞こえてくる。
誰かしら啜り泣きも聞こえたような気もする。

そこでまた私の記憶は途切れている。

あと皆一列に並んで一人一人、部屋の角から斜反対の角までジャンプをする事もさせられた。
トレーナーが言うには100%の力を出し切れば人間は飛ぶ事も出来るのだ、と言われた。皆がその気になった。
言う通りに100%の力は出し切れなかったが自分なりに一生懸命飛んだ。

あとビデオも見せられたな。
生真面目な女の子がひたむきに生きていく物語りだったのだけ覚えている。

とにかく研修中、私はよく泣いた。
泣く度にパートナーやリーダー、他の人達に励まされた。

最終日は個々にホテルの周りを散歩をしたように思う。
多分その時、私の目に映るものすべてが、美しいように感じたと思う。すがすがしい気分だった。

家に帰る前に、トレーナーは私達に、一旦、外に出たら研修中の事は誰にも喋らない事、と言った。職場でも同じだ。
それと自分自身に何かしら習慣を決めて、それを80日間続けるように、と言われた。
私は自分が住んでいるアパートの前がいつも自転車でグチャグチャになっているので、それを毎朝整頓する事に決めた。

職場は希望通り家の近所にある店鋪に配属となった。
私は早番で、店に行くとまず朝の掃除をするのだが、私は店の前どころか隣近所の店鋪の前まで綺麗に箒で掃いた。

毎日私達は店の掃除時間が終わって営業時間が始まる前に、「私達の理念」というのを皆で復唱する。そこに何が書いてあったのか、今となってはサッパリ覚えていない。

働く内、店員達の私に対する態度が変わってきた。
私が働いている店では一緒に研修を受けた人もいたが、ほとんどは遅番だった。だが、研修に参加していなかった店員が、なにかしら私を問題視し始めた。
どうやら研修の時に私に「残ってくれ。」と言った中年のオッサンが遅番の時に、研修中に起こった事を漏らしたらしい。
私がビデオを整理している時、一度「コラ、非常識人間!」と言って理由もなしに軽く蹴られた事があった。
私はその時、私は非常識人間なんだと反省した。
私は、その頃から自分の中の、何かが、変だと思い始めていた。
自分が自分では無いような、誰かに心を乗っ取られたような、
だんだん、それが苦痛に思えてきた。

誰からか聞いた話だが、専務(私を面接した女性)が私を右腕にしようとしている、と聞かされた。
私はそれにも嫌気がさした。

また、私達が受けた研修は「C研修」と呼ばれていて、その後はB研修、A研修とレベルアップするのだということも聞いた。
これ以上の研修を受けるのは恐ろしかった。

新しい店員が加わった。彼女は研修の事など、全く聞かされていなかった。気さくで私に優しくしてくれた。
ある日、彼女が昼食の時間に、料理をご馳走すると言って私を彼女の家に招待してくれた。
彼女は私に、親に結婚を反対されたから彼氏と駆け落ちをして田舎からやって来たのだと言った。
彼女が作ってくれた肉じゃがを食べながら、話を聞いていたが、私は箸を置いて彼女に、
「早く、あの店を辞めた方が良い。理由は言わない。けど、辞めるなら今の内。後で取り返しのつかない事になる。」と言った。私の手は震えていた。彼女はその数日後に店を辞めた。

その後、店にまた新しい店員が加わった。
研修中に私が入っていたグループのリーダーだった。
彼は他の店鋪から異動してきたのだが、彼はどうやら私に気があるらしかった。その他にも私に気があるらしい店員がいた。
彼等は共に仲が悪く、店の雰囲気をすごく悪くした。

そんな状況が私の嫌気に追い討ちをかけていった。
もう何もかもワケが分からなかった。
自分が何者なのか、何故こんなところで働いているのか、なんで次の研修を受けなければならないのか、なんで嫌われ者になるのか、なんで非常識人間と呼ばれるのか、なんでこんなしょうもない自分を好きになる人がいるのか、なんで、なんで、なんで…!!

私は、専門学校時代の友達同士の飲み会で彼氏をつくった。
もう誰でもよかった。逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
私がその店で働きだして3ヶ月目。
3日間、仕事を無断欠勤した。
その間、私は家で彼氏とセックスしまくっていた。
3日目に店長から電話があった。
それまで何度も電話があったが出なかったのだ。
3日目にしてようやく受話器を上げた。
店長は私と話がしたいので店の隣にある喫茶店で会いたいと言う。私は彼氏に頼んで、体中にキスマークを付けてもらった。
喫茶店に入ると店長が先に待っていた。
当時27歳の男性店長、この店長は研修に参加していなかった。
もし参加していればアシスタントをしていただろう。
彼は私に無断欠勤をした理由を聞いてきた。
それも、「もし、こちら側に非があるのなら今後の為に言ってほしい。」と…。
予想通りだ、上出来だ、誰がこの会社の為になるものか!と思った。
私はネックボトルのセーターを着ていたが、そのネックボトルの部分を指で下に引っ張ると首筋に沢山付いたキスマークを見せて、「私は、この通り、非常識人間ですから。」と言って立ち上がると店を後にした。彼は呆然としていた。
それから彼氏とはすぐに別れた。
パートナーやリーダーが何度も家に説得をしに来た。アパートの近くの喫茶店で話をしたが、私は一切何も言わなかった。

その内、オウム教の事件があった。私はTVを観ていた。
「センノウ?」「マインドコントロール?」
頭にその言葉が引っ掛かった。

しばらくして私は何気なく本屋に立寄った。
そしてフラフラと引き寄せられるように「精神世界」のコーナーに歩いて行った。
私の目に止まったのは「洗脳体験」という本だった。
私はおもむろにその本を手にするとペラペラとページをめくってみた。その時の私は全身の力が抜けるようだった。
その本には私が研修でさせられた事とほとんど同じ内容の事が書いてあったのだ。
私はその時、初めて自分が洗脳されていた事に気付いた。
すごく自尊心が傷ついた。
こんな子供騙しのような手に引っ掛ったのだ。
もう頭がおかしくなりそうだった。

それから私はアパートに引き蘢るようになり、朝から晩までウイスキーやブランデーをボトルごと飲んでいた。
しかし、いくら飲んでも酔いつぶれることはなかった。
酔っぱらうと実家や親友に電話を架けて、しばらく元気に喋っていたかと思うと5分も経たない内、急に泣き出す。
そんな事を繰り返す内に親友が自分の彼氏を連れて私のアパートに来た。親友もその彼氏も私の同級生だ。
彼等は手に持てるだけのカップ麺やお菓子、保存が効く食料を持ってきた。私がほとんど食事を採っていない事を心配したのだ。

さらに3ヶ月の月日が流れた。
貯金も底を尽き、酒を買う金も無い。
部屋のポストにはもう何度も家主から習字書きの警告書がきていた。溜まった家賃をすぐに払わないと強制退去させる、といった内容だった。
私はベッドに横になったまま天井を何時間も見つめた。
人間の力を100%出したら…、死ぬことを100%考えたら…、このまま死ねるかな…。そんなことを考えていた。
私は以前に読んだ本で、ある種類の薬を飲むと何錠で死に至るのかを知っていた。私は以前からその薬を溜め込んでいた。
それをテーブルの上に全部出すと水を用意して、一気に口に放り込んだ。水を一口含む。
そして咽の奥に飲み込もうとした瞬間…、頭の中に家族の姿が浮かんだ。
しばらくそのまま考え込んだ。
「アホらし…」
私は流し台に行くと口に含んでいた物をすべて吐き出した。
それから財布の中身を見た。
50円玉が一個。
私はそれを指でつまんで片目だけ開けて、50円玉の穴から部屋の蛍光灯を覗いた。
これが私の全財産。
どうやって金を作ろう…。
電話機の横にティッシュがあった。
テレフォンクラブ…。
「しかた無いか…」
私はプッシュホンを押して電話を架けた。
電話に出た男性に、させてあげるから小遣いをくれ、と言った。
彼は待ち合わせ場所に車ですぐにやって来た。
車に乗ると名前を聞かれた。私はプリンスの曲の"Darling Nikky"から取って「ニッキー」と名乗った。
それは本名から取ってつけたあだ名かと聞かれた。
私は、まぁそんなとこだ、と答えた。
ファミレスで食事を奢ってもらった。
彼は広告代理店で働いていると言った。
そんな事どうでもよかった。
それからゲームセンターに行ってUFOキャッチャーをやった。
ぬいぐるみが手に入った。全然、嬉しくも楽しくも無かった。
それからホテルに行ってやり終えたら1万円だけくれた。
それからまた待ち合わせ場所へ戻ると、彼は車の中で連絡先をしつこく聞いてきた。
私は連絡はこちらからするとだけ言って車を降りた。
車が去って彼が渡したメモを捨てると、コンビニにいってカップ麺とアルバイトマガジンを買った。
アパートに帰ってアルバイトマガジンを読みながらカップ麺を啜った。
翌日、パチンコ店に電話を架けて面接を申し込んだ。
翌々日、面接に行くと店が定休日だった。
その次の日に電話が架かってきて、担当者が申し訳なさそうに謝った。今から面接にこれるかと聞かれたので、すぐに行った。
その場で採用になった。
パチンコ店は良い給料になった。
ただ仕事をしていてる時に、感情を表に出そうとすると拒絶反応が出て手が震え出すのには困った。
同じアルバイトの子がそれを見て怖がっていた。
私は、笑いも、泣きも、怒りもしないようになっていった。
顔から表情が無くなっていった。
アパートの家賃は結局、母親に借りた。
その後、パチンコ店から給料を貰うとすぐに返した。

リーダーから一度だけ電話が架かってきた。
研修中に一緒だった人達は、ほとんどが辞めてしまったらしい。
瓶底眼鏡の男の子はノイローゼになって入院をしたと聞いた。


洗脳体験があってから、私は今でもずっと自分を探している。


その頃の記憶が無くなってきてる、というのは私にとっては良い事かもしれない。当時は、以前からの友人の名前が思い出せない程、軽い記憶喪失のようなものに陥っていた。
今は大丈夫だけど。
これだけの事を書いても、読んでいる人にとってはワケが分からないと思う。実際に本当に体験してみないと分からないものだ。
親友は私の人格が、以前と変わってしまった事をよく知っている。以前の私をよく知っているから、彼女はもう私がもとの私に戻らないと諦めているらしい。最近ではあまり付き合いが無い。

自分の事をどんな人間か言える人は、どの位いるのだろう。
その個性はどこからやって来たのか、天性の物なのか、生まれてから培ってきたのか、自分がやっていることを自分の意志だけでやってるなんて、どうやって証明するのか。
人は皆、何かしらに影響を受けて生きている。
もしかしたら君だって、今も誰かが君の身体を借りて、君のその心を操っているのかもしれないよ。
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「15分前です!」

ビックリした。
いきなり会議室の閉じられた扉の向こうから若い男性の声が控え室に轟いた。
ざわついていた控え室がシーンとなった。
しばらくすると控え室の中が違うざわつきに変わった。
明らかに皆、動揺しているようだった。
私は漠然と、わざわざ15分前なのを知らせてくれるなんて親切だなぁ、と思った。

「10分前です!!」

また控え室が静まり返った。

「5分前です!!!」

…。

「1分前!!」

もう誰も声を出す者はいなかった。

「10秒前!9!8!7!6!5!4!3!2!1!」
「どうぞ!お入り下さい!!」

会議室の扉が勢いよく開いた。

呆気にとられていたのは私だけではないらしい。
一瞬、間があいて一人二人と扉の中へ入っていった。
中へ入る一人一人に「おはようございます!」と叫ぶ声がする。
私は一番最後に入った。
私にも「おはようございます!」と叫ばれた。
スーツ着た若い男性、多分さっきの威勢のいい声の主だろう。それにスーツとセットのタイトスカートを着た若い女性が二人。その内の一人は私の面接をしてくれた人だった。
私は気後れしながら「あ、おはようございます…。」と言った。
私が入ると扉が閉められた。

中には綺麗に…、と言うより正確にと言った方がいい。人数分のパイプ椅子が円形状に、全く大きなコンパスでも使ったように正確に並べられていた。
三人の内の一人から荷物は部屋の角に置くように指示された。灰色のカーペットの上に、置くよりは積み上げた格好になった。私も自分のバックパックをそこに積み上げた。それから皆は円形状に並んだ椅子を前にして指示がないので少々戸惑ってはいたが、それぞれ思い思いの椅子に座った。私は、一番新入りだから、と思って皆にならい一番最後に残った席に腰掛けた。
私の背後からカリカリ音がする。座ったまま後ろを振り向くと、さっきの三人が何やらクリップボードの上にペンを走らせている。
扉から入って左、会議室の前方には一見学校の教室にあるような黒板、脇にはホワイトボード、テレビが置いてある。
扉から入って右、後方の部屋の角には会議用の長テーブルが寄せられていた。その上には大きなラジカセと水の入ったガラスのポットとグラスが置かれていた。もう一方の角は白いパーテーションで区切られた半畳程の個室になっていた。
この部屋に入った時から聴こえてくる。多分ラジカセから流れてくる音楽だろう。パッヘルベルの「カノン」だ。この曲はかつて私が通っていた専門学校の入学式で演奏された曲で、高い授業料を払った割には学校側が就職活動に協力的ではなかったので個人的には嫌いだ。
会議室の中はどの窓もブラインドが閉め切られていて蛍光灯がつけられていた。朝なのに一気に夜になったみたいだった。
自ずと15人はそれぞれ円の中心を見るような格好になる。
5分か10分程、待たされただろうか。随分長く感じた。
カシャ…。音楽が止んだ。
先程から会議室の後方で後ろ手を組んで立っていた男性が歩いて来て黒板の前に立った。50代前半くらいで中肉中背、グレーのスーツを着ていた。
私は部屋に入った時から、この人が社長だと分かった。

「もうすでに御存じの方がほとんどですが、私が社長のWです。そして後ろに控えているのは専務の○○、それに店長の、○○と、○○です。」
後ろの三人が名前を呼ばれた順番に頭を下げた。
店長にしては皆、若過ぎるほど若かった。特に若い男性はまだ20歳になるかならないかのように見える。
「さて…。」
皆が社長の方に向き直る。
「普段は皆さんに私のことを社長と呼んでもらってますが、この研修中だけは私のことを『トレーナー』と呼んで下さい。そして後ろの三人はそれぞれ『アシスタント』と呼ぶようにして下さい。」
了解。
それから社長は…、もとい、トレーナーは黒板に大きな文字で何やら書き始めた。
力とは
え?
「力とは何だと思いますか?」
皆が黙っていると社長は指名もせずに続けた。
「力とは100%出し切る事です!」
ちょっとここら辺で私の頭の中に?マークが浮かび上がった。
それから講議のように「人生に勝つとは…」「固定観念」、「今の自分は10年後の自分である」といった意味の言葉が繰り返された。講議は延々と続いた。
私は早くレンタルビデオに関する説明が始まらないものかと痺れを切らしかけていた。

「では、実践に移りたいと思います。」
やっと本題に入ったか、と思った。
「15人いますので各々の椅子を向かい合わせに7個、もう一方が8個の横ニ列に並べて下さい。」
皆、指示通りに黒板に平行するように椅子を並べ始めた。
私もワケが分からなかったが指示にならった。
私は黒板に向い合うような格好で、後方側の真ん中に座った。向い側の人は黒板に背を向けるような格好だ。
ちょっと分かりにくいかもしれないが下記のような感じだ。

    ∩∩∩∩∩∩∩∩
    ∪∪∪∪∪∪∪
       ↑
       私

そしてアシスタントの二人が私達の椅子に平行するように椅子を二脚並べて座った。

  ∩ ∩∩∩∩∩∩∩∩
  ∪ ∪∪∪∪∪∪∪
  ↑    ↑
アシスタント 私

私の面接をしてくれた女性アシスタント一人とトレーナーを残して皆が席につくと社長が説明を始めた。
「仮に黒板に向かい合っている人をAさん、黒板を背にしている人をBさんとしましょう。私がストップウォッチを持ってますから、私が『始め!』と言ってから30秒間、AさんがBさんに向ってその人の第一印象から見える悪いところを『あなたは~のように見えます!』と、私が『止め!』と言うまで途切れることなく大声で言い続けてください。その時に注意しておくことは、いいですか皆さん。必ずお互い目を背けたりしない事!そして『あなたは~のように見えます!』と言って下さい。間違っても『あなたは~です!』という言い方をしないように。これは必ず守ってください。」
トレーナーは言い方に対して特に慎重に、そしてキッパリと語尾を強めて言った。
「次に私が『始め!』と言ったら今度はBさんがAさんに向って30秒間、私が『止め!』と言うまでその人の第一印象から見える悪いところを『あなたは~のように見えます!』と途切れることなく大声で言い続けてください。そしてAさんもBさんも言い終わったら席を一つ移動して全員に言えるようにします。」
私は表情を変えることなく聞いていたが、内心「お口アングリ」の状態だった。
「では、ここにアシスタントが居ますので、例を見せます。」
皆が一斉に横を見た。
黒板に向かってA側の若い女性アシスタント、そして向いにB側の若い男性アシスタントが座って、すでに見つめ合っていた。見つめ合っていたと言うよりは睨み合っているように見受けられた。

「始め!!」
トレーナーの声が轟くと共に女性アシスタントが怒鳴り始めた。

「あなたは冷たい人間のように見えます!!」
「あなたは機械人間のように見えます!!」
「あなたは惨めな人間のように見えます!!
「あなたは親不孝な人間のように見えます!!」
「あなたは頼りがいの無い人間のように見えます!!」
「あなたは無慈悲な人間のように見えます!!」
「あなたは嘘つきな人間のように見えます!!」
「あなたはつまらない人間のように見えます!!」
「あなたは価値の無い人間のように見えます!!」
「あなたは生き物以下の人間のように見えます!!」
「あなたは………!!」

「止め!!」

女性は息を切らしながら、男性アシスタントも悔しそうに睨み合っている。その目はどちらも憎悪に満ちていた。
沈黙と緊迫感が走った。

「始め!!」

「あなたは醜い人間のように見えます!!」
「あなたは傲慢な人間のように見えます!!」
「あなたは腐った人間のように見えます!!」
「あなたはゆがんだ人間のように見えます!!」
「あなたは無知な人間のように見えます!!」
「あなたはすさんだ人間のように見えます!!」
「あなたは最低の人間のように見えます!!」
「あなたは人間では無いように……!!」

「止め!!」

睨み合ったまま男性アシスタントは鼻息荒く唇を噛み締め息を切らしている。
女性アシスタントは睨みながら怒りを抑えるように唇を噛み締めている。目から涙が滲んでいるようにも見えた。

皆、言葉が無い。
その有り様はすでに常軌を逸していた。

「では、このようにしていきます。では皆さん用意はいいですね。」社長が言うとアシスタント達は自分達の椅子を片付けた。
私は心の中で、これも仕事の内か、ま、給料はでるワケだし、と思った。
私が前を向き直り相手を見ると私と同じ歳か、もしくは年下のように見える若い男の子だった。瓶底眼鏡を掛けて今まで苛めに苛め尽くされてきたような感じだ。身体は硬直して小刻みに震えていた。

「始め!!」

皆、一斉に怒鳴り始めた。
私は「あ…!!」
言いかけたその時、何かが私の中で爆発した。

私は今にも失神しそうな男の子の膝を掴んだ手にそっと触れて
「あなたはやさしそうな人間に見えるよ。」
そう言って静かに立ち上がり、部屋の角に置いてある自分のバックパックを取ると扉へ向った。

「待ちなさい!!」

ん?私は振り向いた。
部屋の中の全ての目が私に向けられていた。

「あなた!何をしてるんですか!!」
社長が私に向かって怒鳴った。

自分の頭の中で血管が5本くらい一度に切れたような気がした。
「何って、帰るに決まっとるやんけ。」
私は至って冷静だった。
人間、怒りを通り越すと変に冷静になれるらしい。

「あなたは自分がしてる事をわかっているんですか!!」
社長の声が部屋中に轟く。

私は社長以上の大声で怒鳴った。
「してる事も何も!見てみろ!そこの兄ちゃん震えとるやんけ!何さらすんじゃいワレ!!アホかオッサン!!こんな事、人間に必要あるんか!こんな事しなくったてなー人間は生きていけるんじゃ、ボケ!」

それから社長が私に向って歩いてくると扉の前で私と社長の激しい口論が始まった。15分か30分か時間は分からない。私も社長も怒濤のごとく論争した。
私は長期戦になると思って壁に寄せてあるテーブルに腰掛けて大きく足をくんだ。すると社長が、それ見た事か!とでも言うように私を指さしながら「皆さん!見て下さい!この人のこの格好を!あなた達はこんな人に自分の未来を託せますか?」と皆に大袈裟なくらい大声で聞いてみせた。
私は呆れた。心底寒かった。
「オッサン、あんたにゃ何言っても埒明かんわ。」
私はそう言ってバックパックを肩に担ぎ、扉を開けた。
扉を閉めようとすると社長が、
「あなたは、この人達を愛してないのか!!」と言い放った。
私は閉じかけた扉から顔を覗かせ、私を呆然と見つめている人達に、笑顔で「愛してます!じゃあね。」と言って扉を閉じた。
控え室を過ぎて扉を開け廊下に出るとアシスタントの三人が追いかけて来て私を取り囲んだ。
「あなたはこのままでは負けてしまいますよ!」
「あなたはこのまま逃げるんですか!」
三人が口々に私に触れるでもなく両手拳を握りながら必至に叫んでいる。
あ~、この人達も相当頭イカレちゃってんな~、と思った。
私は、私の面接してくれた女性アシスタントを見つめ、
「あんたのことは好きだよ。でもね、悪いけど今回は帰らせてもらうよ。」そう言ってエレベーターへ向った。

「待ちなさい!!」

振り向かなくても誰の声かは分かった。私は無視してエレベーターに向った。

「あなたに15分だけ時間をあげましょう!」

私は、んだコノ野郎、人の時間を何だと思ってるんだ、と後ろを振り返った。

「あなたはこんな無責任な事をしてタダで済むと思っているんですか!見て下さい!残された14人はあなたの為に途方に暮れていますよ!路頭に迷っています!これはあなたの責任ですよ!どうしてくれるんですか!どうせ帰るのならあの14人を納得させてから帰ってください!」

私は…、考えた。残された14人のことを。
あの人達は何故、帰らないのだろう、と。
私は、多分あの人達は自分で物事が判断できない人間なのだろう、と思った。
意志を持たない人達…。
これから先もずっと、ずっとそうやって生きていくに違い無い。
心底同情した。そう思うと少し可哀想になってきて、それが本当かどうか確かめてみたくなった。納得させれるかどうかが問題では無かった。

私は振り返った。

それが人生の分かれ道だとも知らずに…。

私はつかつかと元来た廊下を歩きアシスタント達を通り過ぎ、社長を横目に睨み付けながら「15分だけやで。」とだけ言って控え室に入り会議室の扉を開けた。

会議室の中は最初この部屋へ入ってきた時と同じようにパイプ椅子が円形状に並びかえられていた。
社長達が私の後に続き部屋に入ってこようとする。私は制止して、「あんたらには用が無いから、部屋から出ていって。」と言って扉を閉め鍵をかけた。
「15分だけですよ!」社長が控え室から扉越しに叫んだ。

先程の瓶底眼鏡の男の子はほとんど失神状態だった。何人かが男の子を運んで部屋の角に積み重ねてある荷物をベッド代わりにして寝かせた。私は部屋の角のテープルの上に置いてあるグラスに水を注ぎ、男の子の頭を少し持ち上げて「これ一口お飲み。」と言ってグラスの淵を口に充てた。男の子の顔は冷汗でグッショリだ。男の子はほんの少しだけ水を飲んだ。それを確認すると各々が最初と同じ席に着席した。私は空席になっていた元の席に着いた。
沈黙の中、私は、男の子と私の他の13人を観察した。

シクシク音を立てて泣いている人、深刻そうな顔をしてる人、下を向き怒ってるような人、表情を変えない人、横目でチラチラ私を見る人、中年、若年、男の人、女の人。
いろんな人達がいた。いろんな表情があった。
言葉を持たない人間達。

私は黙って彼等の言葉を待った。
彼等の言葉が聞きたかった。彼等の意志が…。
だが彼等の言葉は無く、ただ沈黙の時だけが空しく流れた。

「15分経ちましたよ!」
扉の向こうからアイツの声がした。

私は自分にある決断を下した。
私は口を開いた。
「なぁ、あんた等に意志ってもんは有るのかい?」
沈黙…。
「あんた等に意志ってもんがあるなら何か言ってくんないかなぁ。もし、あんた等がまだ喋んなかったり、私に出て行って欲しいって言うんだったら、私は黙って一人で帰るよ。でも、あんた等の中に一人でも私に残って欲しいって言う人がいるんだったら、私はあんた等に私の人生の中の四日間をあんた等にあげるよ。」

さらに沈黙が流れた。

私が腰を上げようとすると、一人が「…くっ…。」と何かを言いかけた。「え?」私はもう一度腰掛けて耳を傾けた。さっきから一番悔しそうに唇を噛み締めていた中年のオッサンが声を押し殺すように言った。
「…残って…くれ…。」
私は確かに聞いた。「残ってくれ。」
「異存がある人は?」
私が他の人に尋ねた。…返事が無い。
「じゃ、それがあんた等の意志だと思って私の人生の四日間、あんた等にくれてやるよ。」

私はそういうと一人立ち上がって扉に向かうと鍵を開け扉を開いた。

社長達は控え室で何やらコソコソと話をしていたらしく、いきなり扉が開いたので顔を見合わせたまま黙った。
「私、残るから。」
私が言うと、社長達は無言で会議室に入ってきた。

「皆さん、本当にそれで良いんですね?」
社長が聞くと皆が力無く少しだけ頷いた。

「分かりました。それでは早速、研修を再開しましょう。誰かさんの為に多くの時間を無駄にしましたからね。さ、先程のように椅子を向かい合わせに並べて下さい。」
社長が言うと、横になっていた瓶底の男の子がムックリ起き上がろうとしていた。何人かが歩み寄って手を貸した。男の子は「大丈夫…です…。」と言ってフラフラになりながら並べ変えられた椅子に座った。

皆が元の位置に収まった。
トレーナーがストップウォッチを睨む。

「始め!!」

その合図は地獄の四日間、否、それはこれから起こる地獄の人生の始まりの合図であった。
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会議室の前の控え室
狭い部屋に15人の人間がひしめき合っていた。
私もその中の1人だった。
タバコの煙、途切れることない会話。
どうやら私が一番の新顔で、他の人達は既にお互い顔見知りのようだ。
私は黙ってタバコを吸いながら会議室の扉が開くのを待っていた。


-----大阪で一人暮らしを始めて一週間。
私は生活の為に仕事を探すべく自転車で近所をまわった。
新しい人生に気持ちはワクワクしていた。
仕事をするなら近くが良い。
私は通勤時間も、拘束時間の範囲内だと思っている。
一通りまわって無さそうだなと思い家に戻っている途中で、私は自転車を止めた。
レンタルビデオ店。
ガラスに「店員募集、時給750円」と貼紙がしてある。
今まで小遣い稼ぎの為にいろいろアルバイトをしてきたがどれも飲食店関係だったので、給料は悪いが違う仕事をしてみたくなった。
「いらっしゃいませ!」
カウンターから店員達が元気よく言った。
「あの、表の貼紙見たんですけど。」
私が言うと店員の顔が一瞬曇った。
「本店にまず電話して頂きたいので、この電話で架けてもらえますか。電話番号は下に貼付けてある番号です。」
私はその場で面接してくれるものだとばかり思っていたので少々面喰らった。しかも、電話を取次いでもらえる素振りもなかったので、自分で壁に掛かっている白い電話の受話器を取ってプッシュホンを押した。
女の人が電話に出た。
私が面接をしてほしい主旨を伝えると、彼女は今から本店に来れるかどうかを聞いてきた。
背中越しに妙な視線を感じる。なにげに振り返ると店員達が私達の会話に聞き耳を立てているのが分かった。
私が「ああ、今から大丈夫ですよ。」と答えると、彼女は本店までの行き方を教えてくれた。
意外にも本店は遠かった。電車で行かなければいけないので、自転車を近くの駅に置いた。持っているのはポケットの中に入っている財布と履歴書だけ。電車で30分か40分はかかったと思う。さらに本店は最寄りの駅から少し離れていた。私は公衆電話を架けてもう一度さっきの彼女に道を尋ねた。やっと本店を見つけた。周りは何もない殺風景な所で本店の駐車場にだけ自転車が沢山あった。私は、よくこんな場所で流行っているな、と思った。
彼女から事務所は二階にあって階段を上ったすぐ手前の部屋でネームプレートがあるからすぐに分かる、と言われていた。階段を上がるとその通りネームプレートがあった。
「エムズ・ファミリー」(仮名)と書いてある。店の名前と違う。ブザーを押すとすぐにドアが開いた。女性が「どうぞ中に入って下さい。」と言った。声からしてもさっき電話でやり取りしていた彼女らしい。意外と若くて美人だ。
中は日当たりの悪い事務所で、普通のアパートを無理やり事務所にしてしまったような感がある。
私は奥の、一応社長室、みたいな部屋に案内されてソファーに座るよう促された。私は「失礼します。」と言って腰掛け履歴書を手渡した。彼女は一通り目を通すと質問をしてきた。結構、質問が多かったように感じるが、私が覚えているのは二つだけだ。
彼女「社員とアルバイトの違いって何だと思いますか?」
私「安定と不安定ですかね。」
彼女「人生に必要な物は何だと思いますか?」
私「あ、愛じゃないですかね。プププ…」(一人笑)
ちょっと変わった質問だったけど、彼女とのやり取りは楽しかった。
質問が終わると彼女は私を採用したいと言った。そして明日からちょうど研修があるのでビジネスホテルに四日間泊まり込みになるけど参加はできるかと聞いてきた。
私は給料は出るかと聞いた。
彼女は一日5,000円は出ると言った。
私は承諾し、ビジネスホテルまでの道順と時間など必要事項を書いたプリントを渡された。早くに仕事が決まったのでホッとした。
そして当日、朝7時に起きてビジネスホテルに向った。
集合は8時30分。
受付を済ませると三枚のアンケート用紙を渡された。
何かと質問の多い会社だなと思ったが、アンケートは嫌いではないので全部正直に書いた。書き終わったアンケート用紙を渡すと、名札とノートとボールペンを渡され、4階の会議室前の控え室で待っているように言われた。


-----会議室前の控え室
私はレンタルビデオの店員になるための研修を受けるのだと思い込んでいた。
どうもおかしいと思い始めたのはドアが開く15分前からだった。


つづく
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自由になってから早、19日が過ぎた。
最初の内は時間が経つのをゆっくり感じた。だから外出してショッピングしたり友人の家に遊びに行ったり、割と有意義に時間を使っていたと思う。でも最近では、特に何をしてる訳でもないのに時間が経つのを早く感じる。と言うか時間という枠を超えて、日が経つのを早く感じるようになってきた。どこからともなく焦りに似た感覚が沸き上がる。
もしかして、ここが正念場?

昨夜、前々職で仲良くなった友人と食事に行った。友人と言うよりは私のお姉さんのような存在で、会っては何かと私にアドバイスをしてくれる。私の両親が放任主義なので、私を気づかってくれる人物がいるのは有り難い事だ。彼女は前々職で違う派遣会社から派遣されてきた事務職の人で、同じオフィスだったので何度か昼食を一緒にしている内に仲良くなった。
彼女は私に早く派遣会社に登録しに行くように勧める。
私は気乗りがしない。
仕事をする気が起こらないのは何故?
お金が欲しくないワケじゃ無い…。
私は一体、本当は何がしたいんだろう。
一日中、時間が分からなくなるくらいボ~としながら好きなCDを聴く?
それとも時が経つのを忘れるくらい熱中できる仕事をする事?
結婚をして子供を作ること?
考えれば考えるほど分からなくなってきて、まるで終わりのない螺旋階段を降りていくような気分になる。
自由な時だからこそ、今が自分の未来になるように真剣に考えて行動したい。だって人生は誰だって一度きりしかないんだもの。
貧しくても構わない。満足できる一時一時を生きていたい。

美容師は私の髪をカットしながら言った。
「危機感が足りないんじゃないですか?」
人生に危機感は必要なもの?
鞭に打たれながら走り続ける馬みたいに?
目の前にニンジンをぶら下げられるのはどう?
だんだん人生が皮肉に思えてきた。

私の今までの人生。
長崎で生まれて物心がつく頃、親は血を流しあうほどの喧嘩を毎日続けていた。私はその修羅場を目の当たりにしながら金縛りにあったように直立し、ただ泣叫ぶしかなかった。
保育園に行く前に父親と食事をすると、食べるのが遅いという理由だけでよく平手打ちをくらわされた。泣けば泣くなと言ってさらに殴られた。母親がそんな私を気の毒に思い、私が食べやすいようにと卵ご飯を作ってくれる。全くありがたい話だゼ。箸を持つ手が震えて、ろくに思うように口に運ぶことが出来ない。するとまた父親が殴る。私は毎日、保育園を遅刻。行けば行ったでまたいじめられる。保育園で同じ組の子が「ふりかけをかけてあげる。」と言って粘土を手でこすりながら母親が作ってくれた弁当の上に振りかけた。私が何故それでも食べたのかは分からない。すぐにその場で吐いて、それからの記憶はない。
やがて小学校へ行き始めた。兄弟が多くてお下がりばっかりだったので、小学校の入学式で自分の為だけにワンピースを買ってもらったのは嬉しかった。私は淡いピンク色のひだが沢山付いたワンピースを選んだ。クルクル回るとパラシュートみたいにスカートが広がった。私は嬉しくなって何度も目が回るくらい回った。
小学四年生、父親のギャンブルが元で会社は潰れた。父親が一代で築き上げた町でも評判の電気店だった。それだけに会社が潰れた時も町の噂になった。親戚も町の人たちも手のひらを返すように冷たくなった。私は10歳で人の心には表裏があることを知った。母親はまだ赤ん坊だった弟だけを連れて逃げるように実家に帰った。借金取りが毎日電話をかけてくる。父親は家を売り払った。それでも借金の足しにならない。私達は夜、積めるだけの荷物をトラックに積んで家を後にした。それから町を少し離れた山奥の古い借家を借りて兄弟だけで暮らした。風呂が離れにあって、しかも五衛門風呂だった。父親は遠くに出稼ぎに行って月に一度だけ仕送りをする。あの頃、食事は七歳年上の長女が作ってくれた。それでも育ち盛りの私達はお腹が空いて、近くの畑から大きなじゃが芋を盗んで焼きじゃがにして塩を付けて食べた。とっても美味しかったのを覚えている。
置かれた境遇はひどいものだったが、それでも私達は明るかった。四歳年上の長男と一歳年上の次女と私とでよく借家の前にある砂山で戦争ごっこをして遊んだ。そこの持ち主に、その砂山の砂は仕事で使うものだから遊んじゃいけないって言われた。すると私達の遊びは木登りに変わった。
学校までは歩いて2時間かかるのでバスを使った。初めてバスで登校した日、乗り方が分からなくて家に帰れなくなり、誰もいない元の家にこっそり入って暗闇の中で眠っているところを、長女が探して連れて帰ってくれた。それからは次女と一緒に登校して、帰りはニ人で歌いながら山道を歩いて帰った。帰りのバス代はお菓子に変わった。一度小学校の遠足の時、目的地で雨が降り出したのでグループに分かれて自動解散をした事があった。解散をすると次女と私だけ森に向ってダッシュした。5分くらいかけて森を突き抜けるとそこには私達の借家があった。
母親が私達の様子を見にきた。その時、長男は自分達を置いて実家に帰った母に怒り狂い「出て行け!」と捲し立てて追い返したらしい。私はどういう経緯からかは忘れたが、その後、母と弟と共に祖父母の家に住むようになった。学校を初めて転校した。元の学校ではよく意地悪をされてたから嬉しかった。初めての給食、新しいクラス、新しい人たち、新築の綺麗な校舎、見えるものがすべて光で溢れているような気がした。クラスの子達は珍しい転校生にすぐに興味を持った。私は興味を持たれることに戸惑いを感じた。
転校して1週間、下校時にランドセルを背負った私の前で一台のバンが急停車した。ドアが開き、運転席には父親が、後部座席に次女が乗っていた。「乗れ!」と言われるがままに車に乗った。そして母親の実家に横付けすると「荷物を持ってこい。」と言う。私は訳が分からぬまま、段ボール一箱分の自分の荷物をランドセルを背負ったままで車に積み込んだ。母親が背中越しに「裏切り者!」と私に向って叫んだ。
元の小学校に戻った。またいじめられっ子に逆戻り、と思ったのも束の間、次女が「邪魔だから出ていけ。」と言った。しばらくして父親が「母さんの所に戻れ。」と言って私を母親の元に連れて行った。
母親は何とか私を受け入れた。その時、母親は実家を出て隣の郡でスナックを経営しながら、まだ小さな弟と二人きりで暮らしていた。私はまた違う小学校に転校した。この小学校では卒業までの2年半、強かにいじめられた。当時、登校拒否という逃げ道も知らなかったので休まず皆勤で学校に行っていじめられまくった。
卒業式、私は始終、笑顔だった。全く助けにならなかった担任とも笑顔で握手を交わした。卒業式の翌日、引っ越しをして母親の実家の近くへ移り住むのを知っていたからだ。
私は四年生の時に1週間しかいなかった小学校の町の、同じ中学校へ入学した。私はそこで2年とちょっと過ごした。
剣道部へ入った。剣道は金がかかると親が反対した。どうしてもやりたかったので週に一度だけ来る強面の顧問に相談すると、体育館の天井裏からお古を出してきて私にあてがってくれた。胴は誰も持っていない上塗りもないささくれた胴で、小手は左右デザインがバラバラだった。竹刀だけは安かったので母親が買ってくれた。
中学三年春、私は市の剣道の大会で団体準優勝、女子個人三位を獲得した。その大会は、上位になると推薦で名門高校への進路が決まる大事な試合だった。
試合が終わって初段試験が近づいてきた頃、私はまたもや転校を余儀無くされた。次は岡山県だった。九州を出るのはそれが初めてだった。トラックに荷物を積み込んでいると、よく一緒に遊んでいた友達が5人程、見送りに来てくれた。トラックが走りだしてからも、彼等は走ってトラックを追い掛けいつまでも手を振ってくれた。
岡山に住み始めてすぐに私はホームシックという病にかかった。帰りたくて帰りたくてしかたがなかった。その時、私は初めて別れが辛いものだということを知った。
その頃、父親と母親と私と弟の四人暮らしが始まった。父親はギャンブルを繰り返して家を留守にすることが多かった。母親は父親が居ない間にあらかじめ借りていたアパートへ引っ越しをして、また別居を始めた。住んで間もないのに父親がアパートの隣人に借金をしていたからだ。
兄弟たちは皆グレて散り散りバラバラになった。長女は広島のエステサロンで働きだした。次女は福岡の叔父が経営している美容院で働くことになり、兄は消息さえ分からなくなっていた。
長女も長男も高校を中退し、次女は高校へ進学さえしなかった。
私は岡山の中学校には最後まで馴染めず、身なりから判断されて不良のレッテルを貼られた。
「進路はどうします?」中学三年でいきなり岡山に転校してきたのに、地元の高校事情など分かるはずもなかった。私は担任に「勉強をする意味が分かりません。」と答えた。担任は聞こえないかのように無視をして私に合う高校名を言った。母親がせめて高校は卒業してほしいと言うので受験した。結果なんかはどうでも良かった。解らない問題は五角形の鉛筆を転がして答えを決めた。…受かった。
両親が別居を繰り返す中、女子高に入学してからしばらくは仲間を集めて、クラスメイトや他のクラスのヤツ等や先輩達を相手にケンカばかりしていた。その内、事の発端が私だって事が先生にバレて、って言うかチクられて学校謹慎になった。学校謹慎というものは自宅謹慎よりも質が悪い。その学校には謹慎室というナンバーが付けられた独房があって、そこで一日中、先生から与えられた課題をやるワケだ。
学校謹慎の最終日がたまたま祝日だったので、それも計算に入ると思って祝日の翌日学校をサボった。家でのんびりしていると担任が電話をしてきた。サボったので謹慎の期限を増やすと言われた。私は「学校を辞める。」と伝えた。それから母親に宗教の総本山に連れて行かれたりして、学校を辞めないようにとお願いされた。宗教には全然関心がなかったけど、母親を悲しませる理由もなかったので学校に戻って刑期を全うした。
クラスに戻っても以前のように話し掛けるヤツは誰もいなかった。私はそれでも一向に構わなかった。昼休みは一人ピロティでブラブラして時間を潰した。一人でいる方が返って気楽だった。
半年もすると何故か私に付きまとうヤツが一人現れたので好きなようにさせていた。その内自然と二人三人と友達ができて気が付いたら学校中の人気者になっていた。何故かは分からない。
特に印象に残っているのは、仲が良かったヤツが病的に万引きを繰り返すヤツで、ヤツのお陰でよく走って逃げた。
担任から「あんたの為に世界は回ってるんじゃないよ。」と言われた。世界が私の為に回らなきゃ一体誰の為に回るのさ、と思っていた。
勉強はほとんど真面目にやらなかったけど何とか単位を落とさずに卒業できた。
卒業をしてから私は大阪のとある専門学校へ進学した。父親が関西で働き始めたこともあって母親も弟も一緒に関西に移り住んだ。
専門学校の2年間を楽しく過ごし就職活動をした。私が希望していたどの会社も東京だったので、東京へ何度か行った。だが就職活動は上手くいかなかった。私が自宅で壁を見つめながら自分のその後の事を考えていると母親が怒り出した。私の母親は、例えば私が壁を見つめて何時間も過ごしたり金魚の水槽を見つめ続ける、といった不可解な行動が大嫌いな人なのだ。母親は最後に「タダ飯を食うな!出て行け!」と言った。私はそれまで溜めていた貯金を全額おろして家を出て友達のアパートで1ヶ月程やっかいになった。その間にアパートを借りて大阪で一人暮しを始めた。
私が引っ越しをしたのはそれで16回目になる。そんななんやかんやの人生を送ってきたが、私は自分の人生に満足をしていた。
自分が大好きだった。自分の周りにいる人達も大好きだった。自分が愛してさえいれば相手はそれに答えてくれると信じていた。
それまで屈強に積み重ねてきた人生観を大きく狂わせる事件が私に起こったのはそれから間もなくの頃、ちょうどオウムの事件が起こる3ヶ月前の事だった。

と、軽く私の経歴に触れてみた。
自分の未来になるようにちょっと自分を振り返ってみたけど、振り返りすぎかなぁ。
ちょっと今日は疲れた。
明日(もう今日か)起きてから、これ見て再検討するとしよう。
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