サンレモの歌手たち 623メラ・ロ・チチェロ、 ジャンフランコ・デ・アンジェリス、 アルベルト・ベルトラミ、 ルカ・コーラ, コスカレッラとポリメノ 今回は非常に資料の少ない歌手達です。
★メラ・ロ・チチェロ (vf) Mela Lo Cicero
本名カメラ・ロ・チチェロ(Camela Lo Cicero)1962年4月18日シチリア州都、大都市パレルモ(Palermo)生、歌手。
活動期間:1980年 – ?
所属レコード会社:SIF
サンレモ音楽祭出場1回:1980年参加
地元のラジオ放送局で放送タレントをしていたところを風の娘達(Le Figlie del Vento)の結成に関わり、歌手、映画俳優のニーノ・ダンジェロ(Nino D'Angelo)で映画音楽を担当したフランコ・キャラヴァッレ(Franco Chiaravalle)に見いだされました。
デビューは1980年サンレモ音楽祭にキャラヴァッレの作詞・作曲、プロデュースの“Dammi Le Mani”を歌いましたが、入賞出来ませんでした。
SIF-25008 (1980年 SIF – CGD Messaggerie Musicali) Dammi Le Mani/Appicciame
サンレモ音楽祭出場曲の他にYou-Tubeでは、2曲ほどアップされていますが、レコードの存在が確認できません。
シチリアの民族歌謡・舞踊団で顔写真が似ている歌手がいますが本人と断定する確証は得られていません。
メラ・ロ・チチェロの国内盤はあるなせん、メラ・ロ・チチェロは以上です。
★ジャンフランコ・デ・アンジェリス (vm) Gianfranco De Angelis
1953年3月6日(1955年10月22日説もある) ローマ生、歌手、モデル、俳優。
活動期間:1972年(映画俳優デビュー) – 1977年(歌手デビュー) – 現在
所属レコード会社:RCA Italiana
サンレモ音楽祭出場1回:1980年参加
ジャンフランコ・デ・アンジェリスの芸能界デビューはその美形からフォト・ノベル、フォト・モデルから始まります。
1972年映画「シシリアンマフィア(I Familiari Delle Vittime Non Saranno Avvertiti)」で映画俳優として活動を始めました。
73年ピエロ・レニョーリ(Piero Regnoli)監督の「La principessa sul pisello」、TVミニ・シリーズ・ドラマ「Qui squadra mobile」の第二話、75年(本邦公開76年)「ああ新婚(La Moglie Vergine/The Virgin Wife)」、TVミニ・シリーズ・ドラマ「Ritratto di donna velata」、76年映画「Oh, Mia Bella Matrigna」に出演し俳優としての実績を積んできました。
77年第二言語をイタリア語で放送しているラジオ・モンテカルル(RMC= Radio Monte Carlo Network)の番組テーマ曲“Stai Con Me”吹込み、歌手デビューしました。残念ながらこの曲の入ったレコードは見つけられませんでした。
こうして歌手となったジャンフランコはRCAイタリアーナから80年サンレモ音楽祭に“E Pensare Che Una Volta Non Era Così”で出場しましたが、参加で終わりました。
PB-6417 (1980年 RCA - RCA Italiana) E Pensare Che Una Volta Non Era Così/Solo Per Un Po'
PB-6518 (1981年4月 RCA - RCA Italiana) Sento/Donna Bambina
翌81年RCAから2枚目のシングル“Sento”を出し、SAARのサブ・レーベル、ハーモニーに移籍をしてシングル盤“Complicate Emozioni”を出しました。これでデ・アンジェリスのレコード歌手としての活動は終わったようです。
H-6108 (1981年 Harmony – SAAR) Complicate Emozioni/Notte D'amore
彼は歌手兼俳優を続けており、90年にTVミニ・シリーズ・ドラマ「La Piovra 5 – Il Cuore Del Problema」に出演し、93年に映画「C'è Kim Novak Al Telefono」で映画界に復帰しています。
舞台俳優、エンターテイナーでもあり99年には映画「マーティン・スコセッシ 私のイタリア映画旅行 (Il Mio Viaggio In Italia)」で撮影助手としても働きました。
歌手としては現在もコンサート・ライヴを続けているようです。
ジャンフランコ・デ・アンジェリスの国内盤はありません、ジャンフランコ・デ・アンジェリスは以上です。
★アルベルト・ベルトラミ (vm) Alberto Beltrami
1952年4月8日ヴェネチアの北西100kmトレント(Trento)の山中にあるキー場の小さなス村マドンナ・ディ・カンピーリォ (Madonna di Campiglio)生、スキー・インストラクター、自作自演歌手、ディスクジョッキー。
活動期間:1977年– 1982年
所属レコード会社:UNA
サンレモ音楽祭出場1回:1980年参加
アルベルト・ベルトラミの生まれ故郷はイタリアでも有名なスキー場で、彼はスキー・インストラクターと自分の所有しているディスコでディスク・ジョッキーをしていました。
1977年イト(IT)のオーナーでプロデューサーのヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)に見いだされ、シングル盤片面(1曲だけ)のデビューでしたが、ITの新人育成レーベル、ウナ(Una Sors Coniunxit)からレコードが出せました。
ZBU-7014 (1977年 UNA – RCA Italiana) Io [Goran Kuzminac]/Venezia [Alberto Beltrami]
ZBU-7044 (1978年 UNA – RCA Italiana) Il Salto/Prigioniero Di Libertà
いくつかのTV番組に出演し、翌78年両面とも自分の曲で初めてのシングル盤“Il Salto”、如何にもスキー・インストラクターらしい曲を発売しています。
3枚目が80年サンレモ音楽祭出場曲“Non Ti Drogare”、直訳すると「薬物を使うな」で流石に音楽祭の曲としては違和感があったのか、入賞出来ませんでした。
ZBU-7181 (1980年 UNA – RCA Italiana) Non Ti Drogare/Luci Del Sud
ZPLU-34087 (1980年 UNA – RCA Italiana) Alberto Beltrami – Correndo
1.Non Ti Drogare
2.Luci Del Sud
3.Venezia
4.Voglio Un Lavoro
5.Il Salto
6.Sogno L'America
7.Silvia Non Lo
8.Una
サンレモ音楽祭出場をしたので唯一のアルバム「Alberto Beltrami – Correndo」が制作されました。
81年アルバムの中から2曲がシングル・カットされます。
ZBU-7194 (1981年 UNA – RCA Italiana) Sogno L'America/Silvia Non Lo Sa
ZBU-7273 (1982年 UNA – RCA Italiana) Supporter/Radiolena
翌82年シングル盤“Supporter”が発売され、これを最後にアルベルトは故郷に戻りスキー・インストラクターと自分の所有するディスコでディスク・ジョッキーの仕事を再開しました。
アルベルト・ベルトラミの国内盤はありません、アルベルト・ベルトラミは以上です。
★ルカ・コーラ (vm) Luca Cola
1960年8月9日ミラノ生、歌手。
活動期間:1980年– 1983年
所属レコード会社:Ri Fi, Soedi
サンレモ音楽祭出場1回:1980年参加
ショービジネスに近い環境で育ったルカは1980年サンレモ音楽祭出場がデビューとなりました。リフィからエンリコ・イントラ(Enrico Intra)の作った“Tu Che Fai La Moglie”で出場しましたが、参加で終わりました。
RFN・NP-16800 (1980年 Ri Fi - Ri Fi) Tu Che Fai La Moglie/L'America E' Qua
RFN・NP- 16823 (1980年 Ri Fi - Ri Fi) Opla'/ Fai Come Lui
同年もう1枚シングル盤“Opla'”を出しましたがリフィの経営悪化で退社し、リコルディ傘下のシエディ(Soedi)からQ-ディスクというミニ・アルバムを83年に出し、歌手を引退し父の会社に勤めることになりました。
SOQ-65001 (1983年 Soedi – Dischi Ricordi) Q-Disc Luca Cola
1.T'Innamorerai
2.Dieci Stelle
3.La Felicità
4.Quando L'Alba Verrà
ルカ・コーラの国内盤はありません、ルカ・コーラは以上です。
★コスカレッラ と ポリメノ (duo) Coscarella & Polimeno
1970年代末に作曲家ジーノ・メスコリ(Gino Mescoli)が結成した男性デュエット・チーム。
活動期間:1979年?– 1983年
所属レコード会社:CBS Dischi
サンレモ音楽祭出場1回:1980年参加
メンバー構成
・アルド・コスカレッラ(Aldo Coscarella)1953年2月22日長靴の甲の部分にあたるカラブリア州の小さな町アプリリアーノ (Aprigliano)生。
・・ポリメノ(Diego Polimeno)1959年12月14日長靴の指の付け根の部分にあたるカラブリア州の小さな村オリヴァーディ (Olivadi)生。
アルド・コスカレッラはマッシモ・フロイオ(Massimo Froio)とデュオで活動していた73年、女性ディオのソアーヴェ姉妹と出会いバンドを組み、当初フィオーリ・ディ・パルシファル(I Fiori Di Parsifal)と名乗りました。
オムレットの項で書いたバンドかもしれません。その後ジェリコ(I Jeriko)と変え、リフィから2枚のシングルを出しました。
RFN・NP-16658 (1976年3月 Ri Fi - Ri Fi) Basta Così/Tu Bambina, Io Bambino
RFN・NP-16685 (1977年 Ri Fi - Ri Fi) Piano Piano...Dolcemente/Madre
78年頃にアルドとディエゴはジーノ・メスコリ(Gino Mescoli)に見いだされ、男性デュオ・チームを結成することになりました。
79年CBSディスキからシングル盤“La Strada Del Sole”でレコード・デビューをします。
7120(CBS) (1979年CBS – CBS Dischi)La Strada Del Sole/Hai
8278(CBS) (1980年CBS – CBS Dischi)Tu Sei La Mia Musia/Station To Station
80年サンレモ音楽祭に“Tu Sei La Mia Musia”で出場しましたが、入賞することはできませんでした。
80年サンレモ音楽祭出場新人歌手の特徴ですが、サンレモ後の消息がパッタリと途絶えてしまいます。彼らコスカレッラ と ポリメノも同様です。
ディエゴ・ポリメノは後に元ジプシー・キングス(Gipsy Kings)のアルベルト・ヴィガーノと民族音楽プロジェクトに従事して、ディエゴ・ポリメノ&アルベルト・ヴィガーノ(Diego Polimeno & Alberto Viganò)として多くの民族音楽のコンピレーションに収録されています。
WPM-100525・2 (2005年WPM Records – Evolution Music, Switzerland) CD Sueño Latino
6.Tramonto Di Un Giorno D'estate
WPM-100602・2 (2006年WPM Records – Evolution Music, Switzerland) CD London DeLuxe
13.Deep Traxx
コスカレッラ と ポリメノの国内盤はありません、コスカレッラ と ポリメノは以上です。























