1970年、71年にサンレモ音楽祭に出場したジェンス(I Gens)は74年に解散しましたが、その内3人が75年に2つのバンドを結成し、奇しくも76年サンレモ音楽祭に両方のバンドが出場しましたので、一緒にご紹介しましょう。
★ヌオーヴァ・ジェンテ(compl) Nuova Gente,{La}
元ジェンスのメンバー2人1975年にトリオのバンドを結成し、翌76年に解散しました。
活動期間:1975 – 1976
所属レコード会社: FMA, Durium
サンレモ音楽祭出場1回:1976年17.位
サンレモ音楽祭出品1曲:
メンバー構成
・フィリッポ・ランドロ (Filippo Landro) 1949年1月5日シチリア北東部の都市メッシーナ生、元ジェンスのキーボード奏者。アレンジャーとしてリラ(Lira)名義を使うこともある。
・エットーレ・カルドゥッロ(Ettore Cardullo) 1948年7月17日メッシーナ生、 元ジェンスのベーシスト。
・マリオ・ヴォランティ(Mario Volanti) 1953年9月15日メッシーナ生、ギタリスト。後にラジオ・イタリアの音楽パーソナリティ。
1974年プログレ・バンドのジェンスが解散した後、75年にメンバーのフィリッポ・ランドロとエットーレ・カルドゥッロはギタリストのマリオ・ヴォランティを加え、トリオ・バンドのヌオーヴァ・ジェンテを結成しました。
バンドはムーグ・シンセサイザー演奏家のグァルディア-ノ・デル・ファ-ロ(Il Guardiano del Faro)として知られる、音楽プロデューサーのフェデリコ・モンティ・アルドゥイーニ(FedericoMonti Arduini)が75年に設立したばかりのFMAと契約し、FMA最初のシングル盤“Tu Credi”を発売しました。
ZFM-50400 (1975年6月 FMA – RCA Italiana) Tu Credi/ È Inutile
ZFM-50400
ZFM-50403
ZFM-50403
ZFM-50403 (1976年2月 FMA – RCA Italiana) Che Sarei (恋の不安)/Fantasma D'Allegria
アルドゥイーニのお陰か、翌76年のサンレモ音楽祭に“恋の不安”で出場しました。そして最下位の18位ですが入賞することが出来ました。
しかしアルドゥイーニの方針かFMAは76年でレコード製作を中止し、グァルディア-ノ・デル・ファ-ロはチェトラに移籍し、ヌオーヴァ・ジェンテはドゥリウムに移籍しシングル盤“Dormi”を出しましたが、すぐに解散してしまいました。
Ld・Al-7947 (1976年 Durium – Durium) Dormi/Noi Contro Noi
Ld・Al-7947
ヌオーヴァ・ジェンテの国内盤はありません、以上です。
★オペラ(compl) Opera,{Gli }

活動期間:1975 – 1985
所属レコード会社: CBS, Durium, Radio Records
サンレモ音楽祭出場3回:1976年9位、79年参加、81年参加
サンレモ音楽祭出品-曲:
公式サイト:
1974年プログレ・バンドのジェンスが解散た後、リーダーのイル・バロネットことフィリベルト・リッチャルディは翌75年3人のメンバーを集めて4人編成のバンド、オペラ(Gli Opera)を結成しました。
結成及び1976年サンレモ音楽祭出場メンバー
・イル・バロネット(Il Baronetto)本名フィリベルト・リッチャルディ(Filiberto Ricciardi)(在籍1976-79): 1949年4月15 日(25日説もあり)にメッシーナ生、リーダー、ヴォーカル、キーボード、元ジェンス(Gens)のリーダー。ウィリアム・リッカルディ(William Ricciardi)を使うこともあった。
・ピノ(Pino)本名ジュゼッペ・アレグロ(Giuseppe Allegro) ベース(在籍1976)
・ジミー(Jimmy)本名ジュゼッペ・マンティネオ(Giuseppe Mantineo) ギター(在籍1976-79)
・ヴィンチェンツォ・マッカニャーニ(Vincenzo Maccagnani) ドラム(在籍1976-79)
CBSと契約し、フィリベルト・リッカルディ達が作ったフェスティヴァル・バール参加曲“Donna Di Chi”でデビューしました。
3260(CBS) (1975年 CBS – CBSSugar) Donna Di Chi/Se Tu, Se Mai
3260(CBS)
4042(CBS)
4042(CBS)
4042(CBS) (1976年 CBS – CBSSugar) L'Ho Persa Ancora (また失った恋)/Se Tu, Se Mai
76年サンレモ音楽祭に“また失った恋”で出場し、9位になります。その後EMIに移籍しますが“Lei Bambina , Lei Signora”の一作だけでした。
3C・006-18209 (1976年EMI – EMI Italiana) Lei Bambina , Lei Signora/ara
3C・006-18209
RB- 82
RB- 82
RB- 82 (1976年 Record Bazaar – CBS Sugar) Supergruppi
4.L'Ho PersaAncora
9.Donna Di Chi
76年CGD、CBS在籍バンドの編集ベスト盤が出ました。オペラも2曲入りました。
Ld・Al-7980 (1977年 Durium - Durium) Stelle Su Di Noi /Cucciolo
Ld・Al-7980
Ld・Al-8001
Ld・Al-8001
Ld・Al-8001 (1978年 Durium - Durium) Re Salomone/Aria, Acqua, Terra E Fuoco
翌77年再度ドゥリウムに移籍し、“Stelle Su Di Noi”でフェスティヴァルバールに参加します。78年彼らのレパートリーとクラシック音楽を融合させたロック・オペラ「Aria,Acqua, Terra E Fuoco」を上演し、その中の曲をシングル盤として出しました。
リッカルディのプロデュース、アレンジでディアリオ(Il Diario)の“Piccolo Pierrot”が出ています。リッカルディ自身がディアリオに加わっていたのか不明です。
UP-10028 (1978年 Up - SAAR) PiccoloPierrot/Cristalli (comr Il Diario)
UP-10028
Ld・Al-8038
Ld・Al-8038
Ld・Al-8038 (1979年 Durium - Durium) Il Diario Dei Segreti(秘密の日記)/1000Anni Luce
79年再びサンレモ音楽祭に“秘密の日記”で出場しますが、参加曲に止まります。この前後にメンバー変更がありました。
変更メンバー・79年サンレモ音楽祭出場メンバー
ピノ→・アントネッロ・バッリラ(Antonello Barrilà)ベース(在籍1979-81) 1952年9月22日メッシーナ生
・ジミー→・カルロ・シモーネ(Carlo Simone)ギター
・ピッポ(Pippo)本名ジュゼッペ・アドルーノ(Giuseppe Adorno ) ドラム(在籍1979)→ ピノ・サルピエトーロ(Pino Salpietro)
プログレ色を高めながらドゥリウムで後2枚シングル盤を出しています。
Ld・Al-8050 (1979年 Durium - Durium) Volare Mai/ Vecchio Mercante
Ld・Al-8050
Ld・Al-8078
Ld・Al-8078
Ld・Al-8078 (1980年 Durium - Durium) Lascia Che Sia/Senti
81年サンレモ出場の前に結成メンバーは脱退し、途中加入のアントネッロ・バッリラと新メンバーはRCAイタリアーナに販売委託をしたラジオ・レコーズに移籍しました。81年サンレモ音楽祭には新バンドとして“Guerriero”で三度出場しますが入賞出来ませんでした。
再編成・81年サンレモ音楽祭出場メンバー
・ヴァンニ・コモッティ(Vanni Comotti) 1955年3月7日トレヴィリオ生
・レレ・ベッリン(Lele Bellin) 1956年12月21日ボルゴ・ディ・コモ生
・マリオ・ランビアーゼ(Mario Lambiase) 1957年2月15日トリノ生
・アントネッロ・バッリラ(Antonello Barrilà)
・マリオ・ヴァレンティ(Mario Volanti) 1953 年 9 月 22 日メッシーナ生
・ピエロ・パシーニ(Piero Pasini) ベーシスト、バッリラの後継(在籍1982-85)
ZBRR- 7210 (1981年RadioRecords –RCA Italiana) Guerriero/Con Lei
ZBRR- 7210
ZBRR- 7233
ZBRR- 7233
ZBRR- 7233 (1981年RadioRecords –RCA Italiana) Guai/Luce Del Mattino
新メンバーはもう1枚“Guai”を出し、81年中にバッリラが脱退しますが、85年まで活動を続け解散をしました。
ジェンス、オペラのリーダーだったフィリベルト・リッカルディはバンド脱退後、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院オーボエ課程を修了し、クラシック界でテノール歌手となり本当の『オペラ』の世界で活躍しました。
オペラの国内盤
GP- 425 (1976年5月 SEVENSEAS - キング) 30cmLP第26回サンレモ音楽祭 (FESTIVALDI SAN REMO 1976)
10.また失った恋 (L'HO PERSA ANCORA)
GP- 425
オペラは以上です。
(ご参考)
★ジェンス、{イ・} (compl) Gens,{ I } のメンバー構成 (※太字は70年サンレモ音楽祭出場)
・イル・バロネット(Il Baronetto准男爵の意味)、本名フィリベルト・リッチャルディ(Filiberto Ricciardi) 1949年4月15 日(25日説もあり)にメッシーナ生、リーダー、ヴォーカル、ギタリスト(在籍1967-1971, 1972-1974)、フィリベルト・ウィリアム・リッカルディ(Filiberto William Ricciardi)を使っていた。75年に結成したオペラ(Gli Opera)を結成。
・ピッポ(Pippo)、本名フィリッポ・ランドロ (Filippo Landro) 1949年1月5日メッシーナ生、キーボード奏者。アレンジャーとしてリラ(Lira)名義を使うこともある。75年に結成したヌオーヴァ・ジェンテ(La Nuova Gente)のメンバーとして76年サンレモ音楽祭に出場。
・ヌヴォーラ・ジャッラ(Nuvola gialla 黄色い雲の意味)、本名エットーレ・カルドゥッロ(Ettore Cardullo) 1948年7月17日メッシーナ生、 ベーシスト。75年に結成したヌオーヴァ・ジェンテ(La NuovaGente)のメンバーとして76年サンレモ音楽祭に出場。
・ラ・シニョーラ・オミチーディ(La signora omicidi レディ・キラーズの意味)、本名ジルベルト・ブルーノ(Gilberto Bruno) 1949年6月8日メッシーナ生、1971年オルツィヌオーヴィ(ブレーシャ)没。ギタリスト(在籍1967-1969)。
・イル・レオーネ(Il leone)、本名ピノ・サルペトロ(Pino Salpietro) 1947年2月2日メッシーナ生。ベーシスト。
交代メンバー
・アルベルト・タディーニ(Alberto Tadini) 1950年カラヴァッジョ(ベルガモ)(Caravaggio (Bergamo)) 生、ヴォーカル、ギタリスト、1971
年サンレモ音楽祭でリード・ヴォーカル担当(在籍1971-1972) 。
・マウロ・クロッタ (Mauro Culotta) ギタリスト (在籍1969-1973)
・エンリコ・ビアンキ(Enrico Bianchi) ボーカル、キーボード
・ヴィンチェンツォ・コンバルド (Vincenzo Lombardo) ベーシスト