長らく引越しの準備を理由にブログをお休みしておりましたが、再開いたします。といっても、まだ引越しが終わったわけでなく、それどころかもう1週間後に迫っていますが、何もかも片付けてしまい、パソコン位いしか生きていません。他にすることもなく(?)、ブログを書くのを再開しました。
といっても引越し当日には当然書くこともできず、変わってから荷ほどきや収納の作業もあるので、以前のペース(2日に1度)で書くことはできないと思います。さて続きは1969年第19回サンレモ音楽祭のデータからになります。
1962年から68年までオーガナイザー(監督)をしていたジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)から1960年と61年にオーガナイザー(監督)だったエツィオ・ラダエリ(Ezio Radaelli)に交代します。メイン司会もマイク・ボンジョルノやピッポ・バウドというラヴェーラ系の司会社ではなくヌッツ・コスタが起用されました。
芸能界の力学関係か次の70年と71年はラヴェーラとラダエリの二人がオーガナイザーとなっています。69年は久々のラダエリの影でヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)が動いていたといわれています。リコルディから7人、RCA Italianaが6人の出場歌手を出しているのを見るとなるほどと思わせるます。
リタ・パヴォーネ (Ricordi) ルチオ・バッティスティ (Ricordi)
第19回 1969年1月30日(木)~2月1日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:ヌッチオ・コスタ (Nuccio Costa)、ガブリエラ・ファリノン(Gabriella Farinon)
楽団指揮: 24名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督エツィオ・ラダエリ (Ezio Radaelli)
形式:出場曲数24曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
楽団指揮: 24名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督エツィオ・ラダエリ (Ezio Radaelli)
形式:出場曲数24曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
出場歌手は48歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。
初出場20歌手(内外人11歌手)、出場レコード会社14社で初出場1社、外人歌手のみの出場会社は1社です。 [数]は外人歌手数
RICORDI 7[0]; CGD6[1]; RCA ITALIANA 6[1]; FONIT CETRA4[0]; DURIUM 4[0]; ARISTON 4[0]; RI FI 4[2]; CAROSELLO 3[0]; SAAR 3 [2]; PHONOGRAM 2[0]; V.C.M. 2[1]; DET(CAM)1[0];新MIURA1 [0]; BLUE BELL 1 [1]
<優勝> 涙のさだめ Zingara (L.Albertelli - E.Riccardi)出版社 MI MO - RITMI E CANZONI <237> ボビ-・ソロ (vm) Bobby Solo (Ricordi – Ricordi ) SRL-10・527 [45] : イヴァ・ザニッキ (vf) Iva Zanicchi (RI FI – RI FI) RFN・NP-16327 [45]
SRL-10・527
HIT-1616
HIT-1616RFN・NP-16327
SFL- 1214
SFL- 1214<2位> 瞳はるかに Lontano dagli occhi (S.Bardotti - S.Endrigo) 出版社 USIGNOLO < 228> セルジョ・エンドリゴ (vm) Sergio Endrigo (Cetra – Fonit Cetra) SP-1391 [45] :メリ-・ホプキン (vf=e) Mary Hopkin (Apple – EMI ITALIANA) APPLE- 7 [45]
SP-1391
HIT-1611
HIT-1611 APPLE- 7
AR- 2446
AR- 2446<3位> 消えたほほえみ Un sorriso (Don Backy - D.Mariano)出版社EL'&CHRIS (FAMA) <251> ドン・バッキー (vm) Adriano Celentano (Amico – DET (CAM)) DB-003・NP [45] : ミルバ (vf) Milva (Ricordi – Ricordi) SRL-10・521 [45]
DB-003・NP
HIT-1614
HIT-1614SRL-10・521
HIT-1616
HIT-1616<入賞曲>
4位 過ぎ去ったひととき Un'ora fa (L.Beretta - E.Pirazzini - G.F.Intra) 出版社 RI-FI Mus <154>.ファウスト・レアーリ (vm) Fausto Leali (RI FI - RI FI) RFN・NP-16328 [45] :トニー・デル・モナコ (vm) トニー・デル・モナコ (vm) (Ricordi – Ricordi) SRL-10・532 [45]
RFN・NP-16328 SRL-10・532 PS- 1235位 なんて寒い Ma che freddo fa (F.Migliacci - C.Mattone) 出版社 RCA < 141 >.ナーダ (vf) Nada (RCA Talent – RCA ITALIANA) TL- 19 [45] :ザ・ロークス (compl) The Rokes (ARC – RCA ITALIANA) AN-4172 [45]
6位 雨 La pioggia (G.Argenio - M.Panzeri - D.Pace - C.Conti) 出版社 TEVERE < 116 >.ジリオラ・チンクェッティ (vf) Gigliola Cinquetti (CGD - CGD) N-9706 [45] :フランス・ギャル (vf=f) France Gall (CGD – CGD) N-9709 [45]
入賞曲の残りは次回に続く
ヴィンチェンツォ・ミコッチの影響力を感じさせるのはリコルディで育てたボビー・ソロを復活させ、結果としては初出場で唯一となったルチオ・バッティスティ(ルーチョ・バティスティ)やリコルディに移籍ごとは言え、アンチ・サンレモ派だったリタ・パヴォーネも初出場を果たしました。
日本人にとっては、カンツォーネ・ブームと言われていましたが、強力な大ヒットが出ず「今イチ」さがぬぐえない停滞感がありましたが、ジリオラ・チンクェッティの入賞曲「雨」が大ヒットして、ようやく息を吹き返したようです。業界内では『慈雨』とよばれていたようです。この明快で軽やかな曲調は、パートナーとなったフランス・ギャルのフランスや、ドイツでもヒットしました。フランス・ギャルの「雨」が日本で発売されなかった理由は、イタリア録音盤が所属のフィリップスでなくCGDであったとか、それなりにあると思われます。しかし、前年の期待の新人マリーサ・サンニアの「カーザ・ビアンカ」がフィリップスのヴィッキーの日本語ヴァージョンの大ヒットのため、影が薄くなってしまったため、フィリップス側が発売を遠慮したとか、キングが発売を見遅らさせたとかという穿った見方もあるようですが、考えすぎの様な気がします。
きっとフランス本国は良いとしても、日本でのライツのクリアの手間とチンクェッティの人気を考えると、レコード・セールスのメリットがなかったと考えるべきなのでしょう。

アルマンド・サヴィーニ (Philips) スイート・インスピレーションズ (Atlantic) マル (RCA ITALIANA)
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。