白のアルファードの車内には、バンドルを握る東山地域包括支援センターの藤山所長、こまつだ整骨院の小松田先生、介護士の福島さんが待機していました。


 夫による暴力の虐待を受けていた患者の影山さんを無事にDVシェルターに送り届けた後のことです。もうすっかりと夜も更けて、腕時計の針はあと少しで頂上で重なり日付が変わりそうです。


 ふいに車内に漂っていた眠気の沈黙を裂くように、藤山所長の社用携帯が鳴りました。


「はい…、はい。そうですか、よかった……! 
承知しました。こちらも、今夜はこれで引き上げます」


 藤山所長が、ふーーっと長い安堵のため息を漏らして、パタンと社用携帯を折りたたみます。


 小松田先生も福島さんも、うまく事が運んだのだなと察しました。


「先ほどDVシェルターの相談員さんが影山家に向かって、無事に娘の愛美ちゃんも連れ出して保護したということです。
影山さんが話していた通り、ご主人は酒に酔って二階で寝ていたので、相談員と職員さんが忍び込んでも気づかずに目も覚まさなかったようですね」

 
 長い長い一日の終わりに、すっかり眠気も吹き飛んだ小松田先生と福島さんが、わあっ!と歓声を上げました。お互いに肩を叩き喜びを分かち合います。


ーーーと、その時です。
さらに大きな歓声がカーナビに映されたテレビから流れてきました。


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2

1

0


 〜a happy new year〜

                         おめでとうーー!!
               ーーー令和元年おめでとう!!ーー








 それは「平成」から「令和」に年号が変わる、その瞬間でした!

 そういえば、昨日は4月30日。

 年度の初めに発表された新年号が、新天皇が即位される5月1日に改元されることなど、慌ただしさに悩殺されていた三人の頭の中からは、すっかりと消えてしまっていました。


 カウントダウンが行われていた街中では、深夜にも関わらず大勢の人々が往来しています。肩を組み、拍手を送り、夜空には花火が舞い上がっている中継地さえもありました。


 三人は、一瞬ポカンと呆気にとられて画面を注視してしまいましたが、やがて先生の口から漏れたのは自然な言葉でした。



「令和……おめでとう」



「おめでとうっ!!センセイ、藤山サン、これからもよろしくねぇーー」



「おめでとうございます。新しい時代の幕開けですね!」


 福島さんと、藤山さんも小松田先生に続きます。



「さて皆さん、今夜は遅くまでお疲れ様でした。明日のご予定はありますか?」


 時はゴールデンウィークまっただ中。新天皇の即位を祝う今年は、土日や祝日に挟まれた中日を含めて、カレンダー通りだと、なんと10連休になります。


「明日は……、医院は閉めて家で休むことにします。最近、帰りが遅くて子ども達の顔も、ほとんど見てなかったですし」


 連休でも、土日以外はできるだけ医院を開けるようにしていた先生でしたが、さすがに今夜は疲れてしまって、明日、診療する気力はありませんでした。


 それがいいですと、藤山さんがうなずきます。


「あたしは、夕方から老人ホームの夜勤だからラッキー! 
明日は昼まで寝てようっと」


 そういって、福島さんは、う〜ん、と両手を広げて伸びをしました。


 介護士の福島さんは、ディサービスと老人ホームの仕事をかけ持ちしています。人出が足りないので、どちらからも引っ張りだこで、いつも忙しいようです。


 また肩を凝らして先生の医院に寄ってくれるのでしょう。



「すみません、僕だけ10連休で」


 市の委託業務で公務員に準ずるので、いちおうカレンダー通りなんですと、バツの悪そうに藤山さんは頭を掻きます。


「それはそれは……あの、連休はどうお過ごしで? 藤山さんはご結婚とかされているのですか?」


 老若男女問わずモテモテの彼に前から聞いてみたかった疑問を、先生はつい口にしてしまいました。


「はい、妻と保育園に通う娘がひとりいます。だから、影山さんに同じ年ぐらいの子供さんがいると聞いてよけいに放っておけなくて…」


 感情移入しちゃうのはソーシャルワーカーとして、本当はいけないんですけど。
と、藤山さんは、口元から白い歯を覗かせ、はにかんだ表情をみせます。


 夜も施設でお年寄りの面倒をみる介護士の福島さんに、地域の相談員の藤山さんーー


 ああ、こういった人々の小さな善意に支えられて、この街の平和は成り立っていたのだなと、先生はこの時、改めて深い感動を覚えました。




 その夜、先生が家に帰ると、温かいオレンジ色の光が玄関ドアの隙間から漏れています。


 いつもは寝静まっているはずなのに、奥さんが起きて待ってくれていたようです。


 そして、奥さんは日付が変わった深夜になって、疲れ果てて帰ってきた先生に対して、何も言わず何も聞きませんでした。


 先生は用意してくれていた夜食を食べ、シャワーを浴びて今まで埃のように、知らず知らずのうちに溜まっていた疲れをも洗い落としました。



 そして、温かく柔らかな布団に包まれてぐっすりと朝まで、深い、深い眠りについたのでしたーー。



  
  〜あとちょっとだけ続きます〜


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