【陣触れ】決戦に備えよ(2025年02月)
永禄12年、甲府を発し北へと軍を進めた武田信玄は、碓氷峠から上野国へ入るや一転南下して武蔵国へとなだれ込んだ。駿河進出を背後から脅かす北条氏康に決戦を迫るためであった。
北条氏邦が守る鉢形城、氏照が守る滝山城に猛攻を仕掛け動きを封じた信玄は、大胆にも北条領を縦断し長駆小田原を衝いた。しかし氏康もさるもの、挑発には一切乗らず城門を固く閉ざして持久戦でこれに応じた。
両者互いに譲らず戦線は膠着し、やがて城攻めの不利を悟った信玄が囲みを解き甲斐へと退却を開始、決着は持ち越されたかに思えた。
しかし、その退路に立ちはだかったのが領内を蹂躙され雪辱に燃える氏邦・氏照兄弟であった。三増峠に陣を敷き今や遅しと武田軍の到着を待つ。さらに小田原城から出撃した氏康・氏政父子が信玄の後を追う。
氏康が得意の籠城戦で信玄を退けたのか、信玄が巧みに氏康を城外へ引きずり出したのか―。それはこの後起こる決戦によって明らかとなる!!

真冬の寒さを吹き飛ばす、合戦イベント第31弾の陣触れであります(゚ロ゚)!!!
第31弾は、武田軍と北条軍が野戦で直接対決した「三増峠(みませとうげ)の戦い」がテーマとなります。
実際に三増峠において戦ったのは、信玄率いる武田軍と北条氏康の子である氏照・氏邦を主力とした北条軍です。ただ、序文にもある通りこの戦いの発端は、信玄が氏康・氏政の小田原城を攻めたことにあります。
今回の合戦イベントではこの永禄12年(1569)の小田原城の戦いから三増峠の戦いまでをテーマとしています。すなわち…
北条氏康 vs. 武田信玄
という構図となります。
※この頃氏康は氏政に家督を譲っているものの実権は握っていたため。
余談ですが、三増峠の戦いが終わった時、小田原から追撃してきた氏康・氏政の軍は戦場まで約6kmの地点まで迫っていました。半日合戦が長引いていたら、さらに歴史に残る大戦になっていたことでしょう。
さて、言葉で説明してもなかなか頭に入ってこないので、小田原城の戦いから三増峠の戦いまでの関係図を掲載しておきます。
(「戦国のすべて〈(C)ONE PUBLISHNG〉」より引用、一部加筆)
例によって以下に予習リンクを貼っておきますので活用下さい。
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