横浜散策 | THE ROMATIC WARRIOR ~ 名探偵のいる風景 ~

横浜散策

 四月は殆どを鬱々とした日々で過ごした。一人で部屋の中に篭っていたい気分なのだが周囲が許してくれるはずもなく、仕事を何とかこなすものの英会話教室への足は遠のきつつあった。そんなところにこの連休は有難かったし、事実連休が近づくにつれ私の気分もいくらかマシになったのだった。

 家でゆっくりレコードでも聴いていたいという思いの反面、ここで家に居るとまたもとの自分に陥っていくことも解っていたので、私は一人横浜をぶらぶらしに行くことにしたのだった。


 爽やかな初夏の風が吹く晴れた日、関内から馬車道を歩いて行く。まだ昼時には早いのでポニーはやっていなかった。歩いていると某レストランで日本人のJAZZライブがあるという広告が目に入る。たまにはいいかもなと思いつつ、そのままレンガ敷きを進んでいった。

 久しぶりに明るい光の下で見る馬車道は、見るものすべてが新鮮に感じられて美しかった。隣を歩き、共に語り合える存在がないことが少し残念であったが、何かが起こりそうな期待がその気持ちを和らげた。

馬車道を抜けると万国橋に着く。正面にワールドポーターズ、左手には桜木町のビルや観覧車などが見える。万国橋を運河沿いに下りると河川に沿ってベンチなどが並ぶ。そこから桜木町方面を振り返ると緑の蔦が絡む万国橋の上にランドマークタワーが見えて、なかなかの景色だ。


 そのまま進むと今度は赤レンガ倉庫の前の交差点に出る。そこから汽車道を抜けて臨港線プロムナードを海を眺めながら歩いていく。潮風に当たりながら、今はもう使われなくなり錆びた船が、何艘も波にゆらゆらと揺れながら遠い水平線に思いを馳せる。そして私は山下公園へと入っていった。

 汽笛の音が響くこの時期の山下公園は、花壇に咲き乱れる花々で彩られた極彩色の緑豊かな公園に様変わりしていた。土曜の昼時だったがさほど混んではおらず、私はだらだらと歩いては青い海の波間に揺れる藻を見ていた。遥か沖には白い船が太陽を浴びて輝いている。

 同居人が奇声を上げて喜びそうな犬が歩いているが、今日は比較的犬たちも少ないようだ。賑やかな公園を後にし、水のステージの横の階段を上りながらこのステージで月明かりの下レオナがサロメのワンシーンを演じたらさぞや美しいだろうなと思ったが、今思うと10000歩譲っても神奈川県民ホール止まりだろう。蝶の舞う中をなおも進み、円形のアーチをくぐるとフランス橋だ。人形の家は今改装中らしく、靴屋のおじいさんのからくり時計も時を止めたままである。まるで私のようだ。

 フランス山は少し小高い山になっていて、緑も多く静かなところだ。昔フランス軍が横浜居留の本国の人たちを守るため駐屯したことからフランス山と呼ばれるようになったのだそうだ。その後フランス領事館が出来たが、関東大震災によって倒壊してしまった。私はこのフランス山が好きで、フランス領事館跡は特にお気に入りである。今は骨組みと僅かに残る壁だけしかないのだが、この壁にもたれ掛かって上を見上げると、ぽっかりと空いた四角い枠の中に、真っ青な空がなんとも言えず美しいのだ。隅に立つ風車が風でゆっくりと回る音や、二階へと続くはずだった階段の上から跡地の全体を眺めながらこの建物の昔の姿を想像するだけで時間が経ってしまう。

しかし、終日人目を引くわけにもいかないのでしぶしぶ展望台に続く道へと向かった。

 展望台からはベイブリッジがほぼ正面に見える。左手にはマリンタワーやランドマークタワーも見える。今はラベンダーが最盛期で、あと一ヶ月もすれば今度は薔薇が咲き乱れるのだろう。犬を連れて散歩をしている人が多い中で、この展望台には猫が住んでいる。皆に可愛がられているのであろう、どいつも人懐っこい。

ふと寝ているミケ猫がいたので、昼寝を邪魔しないように横に静かに座り撫でてみた。すると「にゃぁ」と甲高い声で鳴き、なんと私の膝の上に乗って頭をこすり付けたあと丸くなって寝てしまったのだ。

どうしたものかとあたふたしたものの猫はお構いなしに寝ているので、諦めて起こさないようにしばらく撫でていた。しかし、このままずっとこの猫と日向ぼっこしているわけにもいかないのだがと思っていたところへ

「ミーちゃん、あら良かったわねぇ。この子ミーちゃんって私は呼んでいるのよぉ」

と一人のおばさんが現れた。この人は仕事でここを何回か通るうちにこの猫に会っているのだそうだ。私は内心このおばさんが変わりにミーちゃんを膝に乗っけてくれないかと思ったのだが、なかなかうまくはいかない。

「ここの猫は皆、人懐っこいですね」

私がそう話しかけると、彼女は語りだした。

「ミーちゃんはねぇ、もとは飼い猫だったらしいのよ。若い女性だったみたいでねぇ。若い女性の膝の上が大好きなのよ。男の人はキライみたいなのよ」

そういって笑った。私も笑うしかない。

彼女が去った後、私は猫を撫でながら考えていた。横浜で一人暮らしの女性が猫を捨てる理由は何であろう。遠くへの引越しで連れていけなくてだろうか。その割には随分懐いてたみたいだし、やむを得ない理由としては若い身で亡くなったとか。猫が「にゃぁぁ」と鳴いては必死に頭を擦り付けてくる。私の手や肌に温もりを求めているかのように、じっと見つめては擦り付けてぴったりと身体を寄せてくる。私は胸が苦しくなって、もし私がこの猫の飼い主であればどんなに良いだろうと思った。この猫は人の温もりを求めながら、ただ一人の人を探しているのだと直感した。「さぁ僕らの家に帰ろう」という言葉が言えたらどんなに良いだろう。僕は切なくなった。

 しかし、そんな私の気持ちを知ってか知らずしてか猫はついと膝から飛び降り、振り返りもせずに行ってしまった。

 

 私は猫にまで置いてけぼりにされたのか、と笑ってしまった。


 それから気を取り直して、まだ青い薔薇園を進み薔薇味のソフトクリームを食べて休憩した後、外人墓地の横を下り元町から中華街を抜け馬車道十番館へ向かった。

 外人墓地の近くに「ブリキのおもちゃ博物館」というのがあるのだが、そこに犬が3匹いる。そのうち2匹はオールドイングリッシュシープドッグで、御手洗潔が子供の頃飼っていたというダグと同種類で、あとの1匹はハイディ&ヨーデフのようなゴールデンレトリーバだ。ここの犬たちはお店の看板犬としてTシャツにまでなってしまっているのだから私なんかよりよっぽど活躍していると思う。(というか世間一般的な犬はどれも私より活躍しているであろう)

今日は行けなかったが、また御手洗と来たときにでも会っていこうかと思う。


 馬車道十番館で紅茶と軽くサンドウィッチを食べ、ユニオンというレコード店を覗いてみた。何気なく見ていたLP棚で、チックコリアの「浪漫の騎士」を見つけたので懐かしさのあまりについ買ってしまった。そして、

家に帰ったら早速プレイヤーにかけて聴こうと私は足早に馬車道を歩いていった。


横浜には良い思いでもあるし、悲しい思い出もある。夜の山下公園で潮風に当たりながら悲しみに打ちひしがれた時もあった。その度にもう二度と見たくない景色や、思い出したくも無いと思うこともあったのだ。でも今は御手洗と過ごした新しい記憶があるから、今はまたこの街を彼と歩きたいと思う。

私はかけがえのない人とたくさん関わってきたはずなのに、すべてを思い出として記憶の片隅に片付けて、忘れてしまう自分が酷く薄情に思えた。


「時間は無情だ」

吐き捨てるように僕はつぶやいた。

御手洗だっていつかは僕のことを忘れてしまうだろうと言おうとした、が言葉が続かなかった。言葉にしたら本当になってしまいそうで、僕は自分の言葉を飲み込んだ。


「人はね忘れることが出来るから生きていける」


御手洗が言った。

「そして楽しいことは決して忘れないのさ」


そして僕を見て、非常に困ったという顔をするといつもの捻くれた調子でこう言った。

「石岡君はいつも僕を奇人変人だとか、こんな同居人と一緒にしないでくれとか散々言ってるからね。きっと、ボケ始めたら一番に僕のことを忘れてしまって、あれ?君誰だい?とか言って来るんじゃないかと大変心配だ」

御手洗はそれから、彼の部屋の大事な資料も邪魔だとか言って要らないとちり紙交換にでも出されやしないかと心配だー、心配だーと騒いでいる。

「ちょっと待て。僕は未だボケるような歳じゃないし」

失礼な話だ。

「というより、君の方が何かに夢中になるとそれ以外のこと何も覚えてないじゃないか」

御手洗はちょっと肩を竦めたような格好をして、さぁそうだっけという顔をしている。

「ところで、もしよければ僕がこの世のものとは思えないような不思議な味の飲物を発明する前に、君がいつもの美味しい紅茶を入れてくれるのなら、この辺の食器があれこれ流しいっぱいにならなくて済むと思うんだけど、君はどう思う石岡君」

「お茶が飲みたいなら素直にそう言ったらどうだい御手洗」

僕は毎度の事ながら呆れて言った。すると

「それじゃつまらないじゃないか」

そういって意地悪く笑った。


「ホントに素直じゃないな」

そういって僕は笑いながら台所へ紅茶を入れに向かった。