木造校舎の15歳  運動会 Ⅱ 応援 | 木造校舎の15歳  昭和30年代前半の中学生群像を描いています。山口の農村地帯の長閑な中学時代です

木造校舎の15歳  運動会 Ⅱ 応援

秋のお彼岸の頃運動会が有ります。ちょうど 台風シ-ズンと長雨の頃で雨がつきもの。上がっても、田んぼを埋めて造った運動場は、直ぐに田んぼに戻り、田植え状態で競技をする事に。3年間で、快晴に恵まれた記憶はないような気がします...

運動会の呼び物の一つに応援があります。色分けは紅白青黄の四色で、一年の時の色分けが3年間続きます。そうする事で色への愛着も湧き、対抗意識も育ってきます。応援にも熱が入り、頑張れます。

応援は応援歌もあり、三三七七拍子とか、山鹿流陣太鼓の打ち方とかに似せた演技と、それに合わせる拍手があり、練習が続きます。応援歌の歌詞は、鉄筆でガリ版を切り、謄写版印刷して配ります。曲は先輩からの口移しです。演技は応援団になった人が、記憶を頼りに思い出し、それを工夫する事もあります。

3年になった時、3組には同じ白組のものが多く、「ねえ--ハ-さん、応援団長やりっちゃぃねぇ-- ええわぁ-ねぇ-- ほいでから、応援歌も創っちゃったらええがぁ--」と、あっけなく決まりました。
 
前の年、青組でその頃人気の 「赤胴鈴の助」 の主題歌に、歌詞をつけた応援歌が新しく出来ました。寮歌や軍歌が殆どの応援歌の中で、それはとても新鮮で、人気を博しました! それは、クラブの先輩の女子の作詞です。彼女には対抗意識もあり、引き受ける事にしました。

片方が元気がいい曲なので、いろいろ考え「白虎隊」を歌った曲にしました。そのレコ-ドは、 小学校にあり、無理を言って、担任であった先生からお借りしました。テ-プなどない時代、とにかくすり切れるほど聞いて、覚えます。勿論、応援団員全員です!
 
2学期気が始って直ぐ、「ねえぇ-これで えじゃろうかあ--」 「うん、そうじゃねぇ-ここんとこ、もうちょっと頑張っちゃる!、って感じがええかねぇ--」 「そうじゃねぇ- ほしたらこれじぁ- どねえかねぇ?」 「ふん、ええわねぇ--」。やっと出来上がりです!

その時期、応援の練習は運動部の練習よりも優先し、講堂・運動場・特別教室などで、それぞれ秘密に行います。それも作戦の内です。

「オイ! どねぇっちゃぁ--よう-いきよるかぁ--」 「フン! 知らんよ! 聞いても教えんけえねぇ--!」 「ほいじゃけど、ちょっびっとぐらい言うても、ええじゃろうがぁ--」 「ダメ!」 
そんなやり取りがあちこちであり、いつもは仲のいいクラスも、何となく怪しげになります。3年は最後なので、みんな何とか注目を集めたく、他の色の様子が気になるのです。

さて、いよいよ当日。応援はお昼休みの前か、終って直ぐに披露されます。
リ-ダ-達は、色と同じモスリンの幅広のたすきとハチマキを派手に締め、気合を入れ演技します。拍手は、段々早くなりますので、ゆっくり、ゆっくり...と、心に唱え続けながら演技を披露します。色が目立たない白は、動作を余計大きくします。

歌が始った時、広い運動場が、一瞬、し--ん となりました。聞き入っているのが伝わってきます! 緊張が走り、声が上ずってきます! どうしよう...と、思う間もなく終わってしまいました...その瞬間、割れるような拍手!

「やったあ!!!」 抱き合い、躍り上がって、狂喜乱舞♪♪♪! なんともいえない充足感に包まれました! みんなも、キャァ-キャァ-! ワァ--ワァ--!!! 中には泣き出す人もいます。男子も「オオ!!!」と、雄叫びのような声を上げます。

運動会の後で、仲良しのお母さんに「いい歌詞だったわよ!」と、声をかけてもらいました。でも、今思うと、曲も哀しげで、歌詞もどちらかというと、暗く悲しげ。どう考えても、応援歌にはふさわしくありません。一体、どうして、そんな歌を考えたのか、割れながら不思議な気がします...

そんな事もすっかり忘れた頃、夏休みに帰ったら10歳違いの妹が、その歌を歌っているのです! しかし、曲は、その頃流行りのものに替っていました。
驚いて、「ねえ-それ、何の歌?」と、聞く私に「うん、運動会の応援歌よ」 「へえ--未だ歌ってるんだぁ--それ、お姉ちゃんが作ったのよぉ-」 「え!!! うそぉ--ほんとなの? 妹もびっくり! 「曲は 違うけどね」 「うん。難しいから替えちゃった、と、言いよっちゃたよ。じゃぁ-ほんとに、大きい姉ちゃんが、作ったんだぁ--」
嬉しいような 面映いような...

生徒も減って、色も4つはなくなった今、応援歌は、一体、どうなったのでしょうか...