木造校舎の15歳  6  修学旅行  その1 | 木造校舎の15歳  昭和30年代前半の中学生群像を描いています。山口の農村地帯の長閑な中学時代です

木造校舎の15歳  6  修学旅行  その1

月になると修学旅行です。多分これは中学時代で一番の行事でしょう。私達の頃は九州半周、2泊3日のバス旅行です。熊本・水前寺公園、阿蘇山、長崎・市内観光、雲仙のコ-スです。

家族旅行など殆どしない時代、旅行といえば修学旅行が全てと言ってもいいのですから、大騒ぎです。旅行委員会が出来て、しおりを作ったり、希望を集めたりしました。旅行というのは、今もそうですが、準備をする時、指折り数えて待つ時も、ずっと楽しいものです。

「ねぇ-寝巻きっちゃぁ-どうねぇ-するっちゃぁ-...」「あんねぇ-、○○にええズックがあるっちゅぅ話よ」「わぁ-ほんとっちゃぁ-!見に行かんにゃぁ-」「売れ切れんそかいねぇ-」「知らんちゃぁ-、ほいじゃけぇ-早よぅ-こうてもらわんにゃぁ-いけんちゃぁ-ねぇ-」と、寄るとさわると、ワァ-ワァ-と話しては騒いでいます。

昭和も半ばになり、テレビが一般家庭に普及し始めていました。世の中も少しずつ豊かになり始めた頃でした。修学旅行には新しいズックが履けるようになっていました。丁度その頃、今のスニ-カ-のハシリのような底厚の紐靴が出始めて、憧れでした。

旅行委員になっていたので、時々の集りは記憶にあります。でも、遅くまで残ってしおりを作り、その時なんだか楽しいんだか、ハチャメチャな事があったそうですが、全く覚えていなくて、とても残念です...

長崎の平和公園、原爆記念館は今も強烈な印象が残っています。永井博士の「この子を残して」が、ベストセラ-になり、映画化もされました。その資料も展示されていて、原爆のむごさと共に涙が流れてきました...

「ほいじゃぁけど、生き残ってもこねぇ-に辛い思いするんかねぇ-」「それっちゃぁ-ねぇ-子ども達が可愛そうちゃぁ-ねぇ-」「みなしごってどのぐらい出たのかしらん...」「アメリカっちゃぁ-えばちょるねぇ-」と、女の子達は話しながら歩きましたが、男の子達が言葉も発せず、黙々と見て歩いていた姿が、とても印象的でした。私達の学年には、父親の顔を知らない級友が何人もいます。戦争は決して遠い存在ではなく、身近だったのです。

坂道を歩いて、浦上天主堂へも行きました。未だ今のように立派な教会は建っていなかった気がします。坂の上に建つグラバ-邸は、眺めは素晴らしくて、「蝶々夫人」と「ピンカ-トン」の恋に思いを馳せたりしました。でも、建てものは暗くて、陰気な感じが残っています。今のようになったのは、もっとずっと後になってのことです。

さて、いよいよ宿泊の雲仙です....