平城宮跡歴史公園
奈良県奈良市二条大路南三丁目5番1号
※近鉄奈良線大和西大寺駅または新大宮駅より徒歩30分または車で5分。
奈良市佐紀町にある奈良時代の宮城の跡。
奈良時代の遺跡が保存・復原された公園です。
※雨が強く降っていた日2025.03.16
■平城京跡と平城宮跡の違い
平城京…「街」
平城宮…「官庁街&皇居」
平城京の中に平城宮がある感じです。
■平城宮址と平城宮跡
この場所は、平城宮址(へいじょうきゅうし)と言う名前だったのに、平城宮跡(へいじょうきゅうせき)になっていたよ。
あるぇ?
検索結果:本来は、平城宮址(へいじょうきゅうし) ですが、「址」と言う文字が当用漢字外なので、いつの頃からか平城宮跡にしたようです。
バス停も平城宮跡(へいじょうきゅうせき)になっていた。
※また、平城宮跡と書いて”へいじょうきゅうし”と読んでいるHPもあった。なんか…違和感。
と言えど、平城宮祉に関してはもともと「何もない、だだっぴろいトコ。」との記憶しかなく、関心も何もなかった。
今回訪れてみたら、施設が増え、美しくなっていたのでびっくり。
船があるっ!
奈良県…ホント、頑張ったんだなぁ…しみじみ。
遣唐使船の構造
おそらく厚い外板の内側に仕切り版のような補強材か、左右の外板をつなぐ梁(はり)を入れた構造船だったと考えられています。
■大極門(第一次大極殿院南門)
↑大極門に重なった後ろ側の建物は第一次大極殿。
反対側から見た大極門。
■第一次大極殿
天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていました。
鴟尾(しび)第一次大極殿の屋根の上
大棟中央飾り-第一次大極殿の屋根の上
詳しくはWEBで:平城宮跡HP☆
■奈良時代の遷都
平城京は、奈良時代に日本の首都として栄えた都で、現在の奈良市と大和郡山市に存在しています。
■大和郡山市メモ
今、思い出したんだけど…
大和郡山市は「金魚とお城のまち」養殖池が広がっていたなぁ~。
郡山城跡(石垣2017年完成)があります。
そう言えば、近鉄郡山駅前に美味しいコーヒー屋さんがあったはず。
場所的には「イノ」INNOの気がする。
次回試してみようと思う。
そして美味しいウナギ屋さんもあった。ご飯の下に鰻が隠れていた。さてどこの店だろうか。
候補としては、まむし綿宗かもしれない、次回試してみようと思う。
■奈良時代の遷都について
藤原京(奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城)
↓遷都
平城京「元明天皇(天智天皇の娘)」により遷都(奈良)
→恭仁京「聖武天皇」により遷都(京都)
→難波宮「聖武天皇」により遷都(大阪)
→紫香楽宮「聖武天皇」により遷都(滋賀)
→平城京「桓武天皇」により遷都(奈良)
→長岡京「桓武天皇」により遷都(京都)
→平安京「桓武天皇」により遷都(京都)
■奈良時代ってどんなんだっけ
天皇を中心とする国づくりが完成した時代。
律令と呼ばれる法律やルールが決められ、農民は国から土地を借りて米を作り、その一部を税として納めていました。
仏教的な天平文化が栄え、中央では政争が多く起こり、東北では蝦夷との戦争が絶えない時代でした。
出典:全国子供考古学☆ ←(私レベルのわかりやすいHP)