安倍内閣誕生、米国型官邸主導内閣?? | 独断と偏見の日記帳

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 安倍内閣がついにスタートしました。


 本来なら、約20年ほどまえ、父親の安倍晋太郎氏が首相になっていれば、空白の10年は無かったかもしれない。私の独断と偏見から正直そう思っています。


 故田中角栄元首相の病気を理由に“謀反”を起して足蹴にした故竹下登元首相。晩年の廃れた光景はなんともはやという感じでした。


 さて、組閣のメンバーを見る限りあまりサプライズはなく、論功行賞かなと思われても仕方の無いものにはなっていますが、かといって挙党一致といって中途半端に自分の意見と反対の谷垣派のひとを入れた内閣よりは良いかもしれない。


 そもそも、改めて考えたのだが、内閣って首相の意見と信念についていく人を入閣させるのであって、自分の反対意見を真っ向から言う人をバランスよく入れるっていうのは、やっぱりおかしんじゃないかとおもう。


 安倍晋三首相の本当の意思表示は“首相補佐官”の配置に現れているのではないかと思う。


 教育には山谷えり子議員が入り、拉致問題には中山元参与が入って、さらに広報なんていままでの日本じゃ考えられないポストに世耕議員が入るなど、結構考えてみればサプライズ的な要素が無いわけではない。


 つまり、安倍内閣の前半は教育と拉致問題を主眼においているのではないかと思える。で、閣僚の方を見ると、教育で関わってくるのは文部科学省だが、案外それを飛び越えて、男女共同参画担当相には高市議員を当てるなど、どちらかといえば、拉致、教育重視内閣ともいえるのではないだろうか。


 ようは、中身で勝負という感じも受けないではない。確かに仲良し内閣、論功行賞内閣、サークル内閣などと言われているが、案外そうでもないような気もする。


 私の独断と偏見から考えると、政治の玄人の人に陥りやすい罠が、そこにはあるように見える。これまでの派閥を利用した組閣と比べて、「批判する人をなぜ入れない」という意見があるがそれこそまさにこれまでの自民党の悪しき習慣ともいえる。つまり、反対者のひとを入れることで党のバランスは確かに取れるかもしれないが、その一方で国政のありかたへの迅速な行動が取れない悪弊があった。


 閣内がバラバラということもありえた。小泉首相から残された課題は山積する。たしかに議論をすることは大事だが、ある一定のところで決断を下さないといけない。そうなると、首相の意見に同調し、同じ理念を持つ連中が集まったほうが即断即決。さらには、的確な解決法を見出せるかもしれないのだ。


 小泉前首相以降、これまでの意識での分析、評論では考えられないような出来事がおこるやもしれない。そう、思わせる組閣だったのではないだろうか。