本日は夜勤の仕事~

 

川SUPは今回で9回目~グラサン

天気予報は晴れ~

新潟もやっと8月に入って梅雨明けや~

気温はここず~と30℃チョットだ~ 

水温も25度位かな~はてなマーク

 

11時前に家を出発~車40分程度で着いた~

初めて走る49号線のトンネルの新しい道~

川沿いを走ることは出来なくなった

阿賀野川を見ながらのドライブは出来なくなったが

高速よりも走りやすい道路や~合格

 

場所は俺のホーム、阿賀野川(床固め公園)の40キロ位上流~の

阿賀町・麒麟山公園の常浪川~

200Mくらい下流で阿賀野川と合流する地点

前にそびえるのが麒麟山~

川底が浅いので家族連れで、キャンプ(バーベキュー)しながらの方々も~

先ずは川の状態とトイレ、水道、公園全体を観察キョロキョロ

川底や浅いのでボードのフィンが当たりそうや~もやもや

という事で他に良い出廷場所を求め川沿いを調査・観察

途中寄った『狐の嫁入り屋敷』

狐の嫁入り行列のモニュメント

『狐の嫁入り屋敷』からの麒麟山と常浪川

ここが常浪川と阿賀野川の合流点

合流点から200m下流に架かる赤い麒麟橋(旧49号線)

B&Gの津川艇庫に出艇用の桟橋があったので、担当者に尋ねたらダメと言われた~もやもやもやもやもやもやもやもやもやもや

町の教育委員会が管理してるらしい!?もやもや

俺なら漕艇の邪魔にならなければどうぞと対応するところたが

役所仕事はどうももやもやもやもやもやもやもやもやもやもや

これで阿賀町にはもう2度と来ないかもね~!?

 

ということで、元の麒麟山公園に戻り

それではインフレータブルパドルボードの空気入れる~

10分程度はかかる~滝汗汗~滝汗💦

浅いところはボードのフィンを外して

深くなるところまで、ボードを抱えたりしてもやもやもやもやもやもやもやもや

いざ出艇~

ほゞほゞ合流点近くまでフィン無しで、そこからフィンを着けて漕ぎ始める~

この場所が江戸時代、会津藩の西の玄関口であった、阿賀野川の河港の場所跡

 

津川河港(阿賀町)概要: 津川河港は古くから阿賀野川舟運の河港として栄えた場所です。会津藩は海産物や塩、廻米の輸送など阿賀野川を利用した事から江戸時代以降に舟運が飛躍的に発展してきました。津川河港は会津藩の入口にあたる地理的条件などで舟運の中継地点として藩の施設である藩蔵や船番所が置かれ、問屋や旅籠、米蔵など多くの建物が建てられました。

津川河港からの上流の一部が難所として舟運船が通行不能な事から、上りは津川河港で一端荷物が降ろされ、人馬に荷物を積み替えて陸路で再び舟運船が利用出来る河港まで運び、そこから会津まで船で運びました。逆に会津藩の年貢米や特産物は津川河港の上流で一端荷揚げされそこから陸路で津川まで運ばれ、津川から阿賀野川を一気に降り新潟湊で北前船などに積み替えられ大坂まで運ばれました。

津川河港は最盛期には150隻の船が出入りし100人を越える丁持衆が働いていたと云われ日本三大河港に数えられていました(日本三大河港:阿賀野川、津川河湊「新潟県阿賀町」・利根川、関三河岸「千葉県野田市関宿町」・旭川、勝山河岸「岡山県勝山町」?)。

明治11年(1878)7月1日に津川を訪れたイギリス人女性紀行家であるイザベラバードは7月3日に津川河港から船で出航し阿賀野川を下り新潟港に向かっています。明治時代中期以降になると近代交通網の整備やダムの整備などにより急速に衰退しました。津川河港は船着場跡が残され歴史的に貴重な事から平成17年(2005)に阿賀町指定史跡に指定されています。

コンクリートになってるので明治以降も使っていたのかな~!?

常浪川から合流点で阿賀野川を上流にのぼる~

ちょうど麒麟山の裏側からの断崖絶壁を右手に見てさかのぼる~

真ん中の建物が麒麟山温泉の宿群、というほどはないが

温泉の露天を覗きに来たと思われたくないので

手前で戻る~キョロキョロ

さよなら露天風呂~グラサン

それでは出艇場所の麒麟山公園に戻ります~

時間は3時過ぎや~

それでは後始末して、帰ろう~