今から2千年も昔のこと
誤って人魚の肉を食べてしまった少女は
800歳まで生きた。
上越から中越にかけてのびる海岸
果てしなく透きとおったグリーンブルーの海
そして
そのはるか遠くに佐渡島を臨む。
まるで蜃気楼の如く、
佐渡は
海と空の間で、
今にも溶けてしまいそうに揺らいで見えている。
砂浜は
遮るものが何もない。
大きな声ではしゃいでいる子供たちの声も
この空間では波の音にかき消される。
ただ・・
何となく空しい海
いや
たぶん、
にぎやかだった環境からここに来ると
思考の中での不純物が無くなるから
そう、思うだけなのかも知れない。
人は言い訳をする。
言い訳をする材料を見つける。
しかし
ここではその材料が見つからない。
頬をかすめ風は温かく
耳に届くのは波の音だけ
言い訳ができないから
本当の自分と向き合ってしまう。
訪れるひとの心がそのまま素直に自分に返ってくる。
おれは本を読むのに山を選ぶ。
海は選ばない。
それは
本当の自分と向き合いたくないから
かもしれない。
この海には、人魚にまつわる伝説が多い。
鵜の浜温泉海岸には、
「赤いろうそくと人魚」のもとになった人魚伝説がある。
柏崎市にある妙智寺には、人魚のミイラが保管されている。
「命のほどや長からん この松が枯れるとき 私の命もないものと」
寺泊にある伝説である。
人魚の肉を食べて
800歳まで生きたとされる伝説上の女性「比丘尼」(尼僧)の物語
お弥彦の神様が、彼女の父親にお土産でくれたのが
人魚の肉だった。
何やらヌルヌルとした得体の知れない食べ物だったが
ひと口、ふた口、なめてみると、あまりに美味しくて、
彼女はすべて食べ尽したのだ。
すると、
もともと器量良しだった彼女は、ますます美しく変貌し
17歳で嫁入りをしたそうです。
しかし、
不思議なことに
夫は老いても、自分は何十年経っても17才の姿のまま。
夫婦として一緒に老い、助け合う人生もないまま
夫はひとり、旅立ってしまう。
彼女はひとり、嘆き悲しんだ
そして
変わらぬ容姿のまま500年が経過したある日、
比丘尼(女の坊さん)となって仏教修行の道を選ぶことになる。
夫婦とは
寄り添い、
老いていくお互いをかばいあい
限りある人生を楽しむもの・・
なのかもしれない。
永遠の命と美貌を手に入れても、
人としての幸せを手にできなかったのだ。
仏教修行に旅立つ時、
家の前に三本の松を植え、こう言い残します。
「この松が枯れた時は私が成仏したものと思ってください」
そして、
それから更に300年の時が流れ
狭国小浜の建康山空印寺というお寺の岩屋に入寂しました。
今でも寺泊野積海岸の宿に、その松の木があるそうです。
昨日、
猪苗代湖周辺の観光をして
今朝、郡山を高速バスで出発した。
終点の新潟万代バスセンターで降りて
自家用車に乗り換える。
魚のアメ横とも呼ばれる鮮魚センターが並ぶ
国道402号線を
まっすぐひたすらに海沿いを走る。
こうして海を見ながらドライブできる道は
そう多くない。
そして
寺泊で海を眺めながら鮮魚に舌鼓。
まっすぐに帰るつもりだったのだが
お店に置いてあった観光ガイドに付いている
寺泊水族館の割引券を発見!
最近、上越水族館『うみがたり』がオープンしたばかりなのだが
それに比べたら本当に小さな寺泊水族館である。
そんなに期待はしていなかったが
涼を取ることも目的として、入館してみることにした。
意外と大勢の観光客に驚いた。
野尻湖の淡水魚水族館のレベルをイメージしていたが
想像とは逆に、素敵な水族館!
展示物等から
地域の人たちに愛されている水族館という印象が残る。
それにしても
新潟は妖怪に関する伝説が多い。
旅先で耳にする妖怪ネタは尽きない。
人魚、天狗、化猫、河童、雷獣、山男・・
ワクワクする。
また、旅をしよう。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


















