CLEVER日記 -2ページ目

感覚

男という生き物は、どう生きるべき生物なのでしょうか。

男に生まれたというのに、私にはそれがわかりません。

信念がある者。

信念がない者。

弱い者。

強い者。

何かを背負う者。

何かに背負われている者。

男とは、何かを守るために生まれたのでしょうか。

国家。

名誉。

大切な人。

信念。

それを守るために死ねるのなら、それが本望だということが男なのでしょうか。

しかし、それは一方的な思慮であり、守りたいと思われている人間にしてみれば、それは薄っぺらいプライドなのかもしれません。


そんな事など気にしない。それが男だと言うならば、男などその意見にすら耳を傾けようとしない。ちっぽけな生物だと言うことになります。

誰かを守って死んだら、死んだ本人は満足かもしれません。ですが、死なれた当人は一生それを背負って生きるのです。

結局、誰かを守るということは、欺瞞にしか過ぎないのでしょうか。

ミハエル・シューマッハ


いやー。

シューマッハがF1ドライバー復帰ですよ。


びっくりですねぇー。



まぁ、マッサが怪我したからシューマッハが復帰するんですが、マッサは心配だし、シューマッハ復帰は嬉しいような微妙な心境ですねー。


ヨーロッパGPから復帰するらしいので、皆さん興味があれば是非ともご覧下さい。


続き…


先のブログで、日本人は英語を学ぶべきでないと書きましたが、今日はその続きです。


小学校で英語を学ばせるというのは、短絡的かつ整合性に欠けると言いましたが、そもそも、週に2~3時間英語を学んだところで、効果があると思いますか。

週の授業の半分を英語に費やせば、少しは効果があるかもわかりませんが、それでは日本人であるのに日本語もロクに話せないような人間が生まれます。

そんな教育は、英語半分、日本語半分の中途半端な人間を作り、そんな人間は、アメリカでも日本でも役に立ちません。


日本の公立小学校は、立派な日本人を育てるための学校です。

日本人を育てるための施設に、英語など必要ではないのです。




日本人はそもそも、英語がど下手です。

その証拠に、TOEFLのテストで、アジアの中では日本がビリなのです。


それは、学校の先生のせいでも、政治家のせいでもありません。

日本語があまりにも英語とかけ離れた言語だからです。


小学校から英語を教えても、使えないんじゃ意味がない。中途半端になるだけで、日本人は英語が下手と来れば、日本人であるからこそ日本語なのです。