マルキ・ド・サド『新ジュスティーヌ』 | 文学どうでしょう

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新ジュスティーヌ (河出文庫)/河出書房新社

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マルキ・ド・サド(澁澤龍彥訳)『新ジュスティーヌ』(河出文庫)を読みました。

5夜連続サドマゾ特集、第4夜の今回も昨日に引き続き、サディズムの由来となった、マルキ・ド・サドの作品を紹介します。

裕福な商人の父を持ち、修道院で何不自由なく過ごしていたジュリエットとジュスティーヌの姉妹は、父の破産と失踪、母の死に伴って、身一つで世間に放り出されることとなったのでした。

自分の肉体を切り売りするような悪徳の道も厭わない姉ジュリエットが自分の未来を切り開いていく一方で、美徳を重んじ、清く正しく生きていこうと思う妹ジュスティーヌは辛い目にあわされ続け・・・。

昨日詳しく書きましたが、ジュスティーヌの物語は全部で3バージョン残されているんです。「原ジュスティーヌ」とも言うべき最初の中編が、昨日紹介した『美徳の不幸』でしたね。

今回紹介する『新ジュスティーヌ』は、長編に書き直されたものを、さらに加筆訂正した、言わば決定版です。続編であり、姉ジュリエットの物語である『悪徳の栄え』と対になる作品になります。

”決定版”なんですが、それは原書での話で、翻訳ではまた少し状況が異なるんですね。澁澤龍彥訳のこの『新ジュスティーヌ』は全訳ではないんです。では部分部分を訳した抄訳かと言うとそれも違います。

訳者あとがきには、こう書かれています。

 お断りしておくが、ここに訳出したのは、原著書四巻二十一章のうち、第三巻第十三章から第四巻第十七章までの部分であって、全体の抄訳ではないということである。(全体の分量から見れば、ほぼ四分の一弱といった、ごく小部分にすぎない。)訳者は、すでに『美徳の不幸』の全訳によって物語の大筋を紹介しているので、重複を避け、もっぱら新しい一つのエピソードのみに視点をしぼったわけである。諒とせられたい。
(257ページ)


つまり、作品全体を翻訳したのではなくて、新しく加わったエピソードの部分だけを翻訳したものなんですね。全体のあらすじは原型である『美徳の不幸』を参照してほしいというわけです。

エピソード的には、残虐な性的嗜好を持つ神父たちが美女をさらって来ては閉じ込め、思うがままに弄ぶ、怖ろしい修道院サント・マリーでの経験の、少し後の話になります。

「この不幸な娘には、サント・マリーの修道院で経験したすべてのことも、この淫蕩と極悪の新しい巣窟で行われるべく残されていた好色的な場面の、序幕でしかなかったのではいかと思われてくるほど」(36ページ)の新たな地獄の日々が描かれた物語。

美徳の不幸』は憐れな女囚が自分の激動の半生を語るという一人称の物語でしたが、『新ジュスティーヌ』は三人称の物語。より客観的に残虐な描写がされるようになり、作品の雰囲気は大分違います。

美徳の不幸』はまだ誰でも読める感じですが、『新ジュスティーヌ』は行われていることがもうあまりにもひどすぎるんですよ。これは駄目な人は完全に駄目でしょう。あまりおすすめはしないです。

糞尿まみれで、しかも血しぶきが飛び散ります。次々と人が死んでいく話なので、官能的なものを求める人よりも、むしろもう、ホラー映画やスプラッタ映画が好きな人の方が、読者には向いています。

奥さんの体を傷つけて血を流させることでしか興奮しない貴族や、人間に魂があることを信じず、ひたすら近親相姦にふけるその兄など、とにかくクレイジーな人々がクレイジーなことをする小説。

面白いか面白くないかはもはや問題ではないすさまじい小説なので、あまりおすすめはしませんが、こんな話をよく書けたなと驚嘆したい方は、機会があれば手にとってみてはいかがでしょうか。

やはり出来れば、『美徳の不幸』とあわせて読んだ方が前後のストーリーが分かるのでいいですが、独立したエピソードではあるので、この作品だけ読んでも大丈夫です。

※ あらすじ紹介では多少、性的な事柄について書いているので、苦手な方はちょっと注意してください。


作品のあらすじ


ようやく自由の身になったジュスティーヌは、森の中を逃げ続けていました。行くあてもなく、食べるものもなく、お金もありませんが、神様への感謝の気持ちだけは忘れません。

そんなジュスティーヌは、小川のほとりで、デステルヴァル夫人という36歳ほどの親切そうな婦人と出会いました。

心身ともに弱っていたジュスティーヌは、デステルヴァル夫人をすっかり信頼してしまい、デステルヴァル夫人の夫が経営している宿屋へ、ついていってしまったのです。

ところがなんと、デステルヴァル夫妻は恐るべき悪人で、元々は裕福な身の上でありながら、その歪んだ欲求を満たすためだけに、宿泊者を辱め、殺し、物を奪うことを続けていたのでした。

態度が豹変したデステルヴァル夫人ことドロテに怯え、一刻も早くここから逃げ出したいと思うジュスティーヌでしたが、デステルヴァルは不思議なことを言うのです。

「おまえはこれまでの人生で、怖ろしい経験をたくさん積んできたらしいが、今度の場合は、そのなかでもいちばん奇怪な経験になるだろうと思う。おまえは美徳に対する愚かな進行に目がくらんで、多くの罠に落ちたわけだが、それも力ずくで罠に落されたというほうが当っていた。(中略)ところが、ここではおまえはすべての罪悪に加担しなければならない。それも、無理にそうさせられるのではなくて、おまえが自分から進んで協力することになるのだ。おまえはどうしても加担せずにはいられなくなる。道徳の鎖に縛られ、美徳にしたがって行動する以上、そうせざるをえなくなるのだよ」(16ページ)


美徳にしたがって行動することが、どうして罪悪に加担することになるのでしょうか。

それはこういうわけでした。デステルヴァルの性癖はひどく変わっていて、単に宿泊客を殺すだけでは興奮しないのです。

あらかじめ宿泊客が自分が殺されると分かっていて、それでもなお力ずくで殺すことに、何よりの興奮を覚えるんですね。

そこで、ジュスティーヌが果たさなければならない役割というのは、本当に宿泊客を逃がそうとすることなのです。助けてやろうと真心を込めて接する、それは美徳にかなうことですよね。

もしもジュスティーヌがここから逃げ出したなら、新たな犠牲者が増えるわけで、宿泊客たちの命を尊いと思うなら、ここにとどまって救おうとするしかないとデステルヴァルは言うのでした。

確かにその通りだと思い、何とか宿泊客を救おうとするジュスティーヌでしたが、宿屋には仕掛けがたくさんあって、宿泊客は罠にかかって囚われの身となってしまったのです。

デステルヴァル夫妻は、お互いが別の相手と交わっているのを見ると興奮するという歪んだ性癖を持っていました。

そこで、ドロテとジュスティーヌは、デステルヴァルの命令で脅えていた宿泊客たちと交わります。デステルヴァル夫妻の欲望が満たされると、宿泊客たちは殺され、荷物を奪われてしまうのでした。

宿屋での恐ろしい生活は続いていきますが、やがて、デステルヴァル夫妻の親戚にあたるブレサック侯爵がたまたまやって来ます。かつて母親を毒殺し、その罪をジュスティーヌに着せた悪人。

ブレサック侯爵とデステルヴァル夫妻は意気投合してしまい、一行はブレサック侯爵の伯父にあたり、残虐な性的嗜好を持つことで有名なジェルナンド伯爵の城へ向かうこととなったのでした。

男性にしか興味のないジェルナンド伯爵が興奮するのは、血を見ること。何度も妻を亡くしているのですが、それは妻を何度も瀉血(静脈から血を抜くこと)して、死に至らしめていたからなのでした。

奥様つきの奉公人になったジュスティーヌは、なんとかジェルナンド夫人を救おうとしますが、周りは常軌を逸した悪人たちばかりなので、とても太刀打ち出来ません。

そんな中、ジェルナンド伯爵の城には、伯爵の兄にあたるヴェルヌイユ一家が豪勢な馬車に乗ってやって来ました。

ヴェルヌイユは、夫人やとても可愛いらしい子供たちを連れていましたが、ジュスティーヌはジェルナンド伯爵から、驚くべきことを知らされたのです。

小間使いに見えたのは、ヴェルヌイユが自分の妹に産ませた娘で、可愛らしい子供たちは、その娘に産ませた子供たちだというんですね。それだけではありません。

ヴェルヌイユはわしの家で、この二人の子供の童貞および処女を奪ってやろうと考えておる。つまり、あの女の子の処女を奪うことによって、彼は自分の娘であり、孫であり、しかも同時に姪の娘でもある彼女を所有するわけじゃ。家族の絆という迷信を破壊することほど、彼を楽しませるものはない。家族の絆をぶちこわすことこそ、彼の最大の快楽なのじゃ。(159ページ)


何と恐ろしいことが行われ、そしてこれから行われようとしているのでしょう。やがてついに、ジェルナンド伯爵の城で、思わず目を覆いたくなるような、おぞましい宴が始まってしまいます。

デステルヴァル夫妻、ブレサック侯爵、ジェルナンド伯爵、ヴェルヌイユ。それぞれ恐ろしい性的嗜好を持つ悪人たちが、城に集められた女性や少年たちを相手に、欲望の限りを尽くして・・・。

はたして、美徳を重んじ、神様への信仰を忘れないジュスティーヌの運命やいかに!?

とまあそんなお話です。使われている隠語(性的な用語)が、澁澤龍彥ならではという感じがあって、それもなんだか面白かったです。

絶頂に達することは「埒をあける」、精液は「腎水」、肛門性交は「裁尾」、口での愛撫は「親嘴」などと訳されているんですよ。ユニークですよね。

用語を調べていたら、用例として井原西鶴がヒットするので、おそらく江戸時代の、特に井原西鶴が使っている用語が元になっているのではないかと思います。

悪人夫婦が経営する恐ろしい宿屋での出来事、それから、残虐な性的嗜好を持つ伯爵の城で開かれた常軌を逸したパーティーの模様が描かれた物語。

詳しくは紹介出来ないほど、とにかくひどい話が多くて、エロティックどころかスプラッタ感満載の作品です。サイコキラー全員集合! みたいな、とんでもなく恐ろしい話なんです。

好き嫌いが分かれる作品どころか、おそらくほどんとの人が苦手な作品だろうと思うのですが、なんだか恐いもの見たさのようなものを感じた方は、ぜひ読んでみてください。すごい作品ではあります。

いよいよ5夜連続サドマゾ特集も明日で最終回。

マルキ・ド・サドの代表作であり、妹ジュスティーヌの物語と対になる、姉ジュリエットの奔放な半生の物語『悪徳の栄え』を紹介する予定ですので、お楽しみに。

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