ハーマン・メルヴィル『ビリー・バッド』 | 文学どうでしょう

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ビリー・バッド (光文社古典新訳文庫)/光文社

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メルヴィル(飯野友幸訳)『ビリー・バッド』(光文社古典新訳文庫)を読みました。

みなさんは、片足が義足のエイハブ船長とモービー・ディックという白い鯨との激闘を描いた『白鯨』という作品をご存じでしょうか。

白鯨 上 (岩波文庫)/岩波書店

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岩波文庫では上中下ある、かなりのボリュームの作品ですから、今ではあまり読まれていないと思いますが、どこかで耳にしたことがあるのではないかと思います。

作者のハーマン・メルヴィルは、19世紀のアメリカの作家。

その代表作『白鯨』は現在では世界文学の金字塔として名高い作品ですが、メルヴィルの生前は、ほとんど評価されていなかったようです。

それというのも、起承転結のはっきりした物語、つまり単純なストーリー展開の物語ではなく、色んな物を詰め込んだ、ごった煮のような内容の作品だったからです。

小説であるにも関わらず、ストーリーから離れて、鯨の種類、鯨の捕まえ方、聖書や神話における鯨への言及、鯨の油の取り方などについて、延々書かれたりするんですね。

それが極めて難解であり、また評価に値しないとされて来たのです。

現代に近付いて来ると、既存の文学形式を打ち破ろうとする、いわゆるポストモダン文学の流れが生まれたこともあり、メルヴィルの評価は一転して、高まっていくこととなりました。

ここまでのことをざっくりまとめると、「メルヴィルはちょっと普通じゃない小説を書く作家ですよ」と、つまりはそういうことです。

そんなメルヴィルの遺作が、今回紹介する『ビリー・バッド』です。昨年の12月に待ちに待った新訳が出たので、早速読んでみました。

白鯨』と同じく、『ビリー・バッド』は、ほとんどすべてが船の上の物語です。

主人公はその美しい容貌とやさしい性格から、仲間の誰からも好かれる、21歳の若き水夫ビリー・バッド。

英国の商船で働いていましたが、英国の軍艦、ベリポテント号に強制徴用されてしまいました。つまり、無理矢理軍人にさせられてしまったんですね。

それでも不平らしい様子は見せず、ベリポテント号で一生懸命に働くビリー。やがてその能力が認められて、フォアトップマン(船首の帆柱を担当する役割)に抜擢されたほど。

順風満帆に水夫生活を送っていたビリーでしたが、少しずつ運命の歯車は狂い始め、ビリーは突然、思わぬ窮地に追い込まれてしまって・・・。

170ページほどの短い作品なので、ストーリー自体は、とてもシンプルで分かりやすいものです。

誰のせいとも言うことも出来ない、恐るべき運命に翻弄させられてしまうビリーを描いた物語。

ただ、やはり「ちょっと普通じゃない小説を書く作家」メルヴィルの作品なだけあって、簡単にメッセージを取り出すことの出来ない作品になっています。

悪い奴がいないわけではないのですが、単純な勧善懲悪(かんぜんちょうあく。善い者が悪い者を倒すこと)の物語になってはいません。

何が正しくて何が間違ったことなのか、それすらも分からないような、とにかく混沌としたものをずしんと胸に投げつけられる、そんな衝撃的な物語です。

キリスト教を思わせる、宗教的なイメージがいくつか出て来たりもしますが、そうした宗教的なイメージと物語が完全に重なり合うわけでもないので、すっきり解釈をしようとするとなかなか厄介な小説です。

しかしながら、物語のメッセージはよく分からなくても、とにかく心動かされる、そんな作品だと思います。

ビリーの前にどんな恐るべき運命が待ち受けているのかはあらすじ紹介でも書きませんので、気になった方はぜひ実際に読んで、色々と考えてみて下さい。

作品のあらすじ


18世紀が最後の十年にさしかかろうとしていた頃。準備不足での航海を余儀なくされていた当時、英国軍艦ベリポテント号は、船員不足で航海していました。

英仏海峡で英国商船に出くわすと、早速乗り込んで行ったラトクリフ海尉は、船内通路で見かけたビリー・バッドを一目で気に入り、強制徴用を決めました。

商船の船長はビリーを手放すのを惜しがります。ビリーは誰からも愛されて、「蜂が蜜に集まるように、あいつのところにみんな寄って」(16ページ)いくような水夫だったから。

強制徴用された水夫たちは、「薄暮が夢心地へと誘うときなど、悲しげな気分におちいる(そしてある者は憂鬱にさえおそわれる)こともあった」(21ページ)のですが、ビリーは楽天的な所があって、元気いっぱい働きます。

やがて、フォアトップマンに抜擢されたビリーですが、仲間たちと和気藹々と仕事をしていればよかった商船とは違い、軍艦の中には目に見えぬ派閥があり、それぞれの立場や力関係があるんですね。

様々な思惑が渦巻くこの軍艦の世界では、ビリーはまるで「田舎育ちの別嬪さんが宮廷に移ってきて貴婦人と競うようなもの」(23ページ)なのです。

上官に気に入られれば気に入られるほど、そして仕事が出来れば出来るほど、そんなビリーのことを、元いた水兵たちは気に食わないわけです。

純粋無垢なビリーは、船内を流れるそうした微妙な空気に全く気がつきません。

覚えのない嫌がらせをされるようになったビリーは、ダンスカーという老水夫に相談を持ちかけると、思わぬことを教えられました。

 老人は、防水帽のひさしを上げ、長い斜め傷が薄い頭髪に達するところをゆっくりと撫でながら、手短に語った。「ベイビー・バッドよ、ジェミー・レッグズ(つまり先任衛兵長)がお前を嫌っているのだ」
「ジェミー・レッグズが!」とビリーは叫び、空色の眼を見開いた。「なにゆえに? だって、彼はぼくのことを”やさしくて気持ちのいい若者”と呼んでいるそうですよ」
「そうかい?」白髪まじりの男はニヤニヤ笑い、それから言った。「そう、ベイビー君、ジェミー・レッグズも物言いはやさしいのだな」
「いや、いつもそうではありません。でも、ぼくにはそうなのです。すれちがうと、いつも気持ちよく言葉をかけてくれます」
「それはな、お前を嫌っているからさ」

(60ページ、本文では「ジェミー・レッグズ」に傍点)


ジェミー・レッグズとは、30代半ばのジョン・クラガート先任衛兵長のこと。先任衛兵長とは、水夫を取り締まる、言わば警察署長のような役目です。

ビリーはクラガートに嫌われるようなことをした覚えはありませんし、実際に会うとよくしてくれるので、ダンスカーの言葉を笑い飛ばし、そのまま忘れてしまいました。

しかし表面上にこやかにビリーと接するクラガートは、内心では本当にビリーのことを嫌っていたのです。

クラガートがビリーを嫌うことに理由らしき理由はなく、強いて言えば明るくて無垢なビリーの性質そのものが、クラガートの嫉妬心を煽ったようですが、詳しくはよく分かりません。

ある夜、ビリーは見知らぬ水夫にこっそり呼び出されました。

「静かに、ビリー!」とこの男は言った。さっきと同じように短く、注意深い囁きだった。「おまえは強制徴用されたよな。ふん、俺もそうさ」。そこでひと呼吸、まるでその効果をきわ立たせるかのように。だが、ビリーは、それをどう取っていいのかわからず、言葉を発しなかった。すると、相手はこう言うのだった。「強制徴用されたのは俺たちだけじゃないさ、ビリー。いっぱいいるんだ。……だから……助けてくれよ……困ったときにはな」
「どういう意味だい」とビリーは迫った。今や、完全に眠気は吹き飛んでいた。
「静かに、静かに!」と切迫した囁きも、今やかすれている。「いいか」と言うや、男は夜の光のなかでかすかにきらめく物体をかざした。「さあ、これはおまえのものさ、ビリー。ただし……」
 だが、ビリーはそれをさえぎり、怒り心頭に発したまま物を言おうとして、吃音がなぜか邪魔をした。「う、う、うるさい、目的は何なのか、何を言いたいのかは知らないけど、自分のと、と、ところへ帰れ!」(80~81ページ)


無垢に、そしてまっすぐ生きてきたビリーは、その水夫がギニー金貨をちらつかせて自分に何を求めているかよく分からなかったものの、その陰謀めいたやり方に腹を立てたのです。

その水夫が求めたこととはつまり、軍艦での生活に耐えきれなくなって、強制徴用の者たちが反乱を起こした時に、頭数として加わってくれということです。

はっきりと断ったビリーは、他の水夫たちのこそこそした様子が気にはなるものの、なるべく関わらないようにして過ごします。

ある時、ジブラルタル海峡付近で、敵の艦隊を追跡したが逃げられ、頭を悩ませていたヴィア艦長の前に、クラガート先任衛兵長が現れました。

甲板の「位の低い水夫が当直の士官か艦長自身と会見するための場所」(96ページ)にクラガートは立っていたのです。

クラガートは、英国海軍に正式入隊とは別の形で入った者たちを扇動し、反乱を起こそうとしている者がいると艦長に告げます。

クラガートがその首謀者としてあげたのは、ビリーの名前で・・・。

はたして、反乱の首謀者に仕立て上げられてしまったビリーの運命はいかに!?

とまあそんなお話です。ここまででもなかなかに大変な展開ですが、この後さらに驚くべきことになっていくので、注目してみてください。

学校でも会社でもそうですが、人間関係というのは、なかなかに難しいものですよね。

理由があることならば解決出来ますが、人間関係でしこりが生まれる時というのは、大抵理由なんてあってないようなものです。

ビリーは周りの空気を察知し、うまく立ち回ることが出来ればよかったのですが、人がいいだけに鈍感で、妥協すればいいところを、変に熱血漢として押し通してしまったんですね。

誰が悪いというわけでもなく、運命のいたずらとしか言いようのない出来事を描いたこの物語は、理由を求めてもはっきりしないだけに、からまってほどけない糸のように、より一層強く印象に残ります。

短い作品ですので、ビリーがその後どうなってしまうのか、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』を紹介する予定です。

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