文学どうでしょう

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死の棘 (新潮文庫)/島尾 敏雄

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島尾敏雄『死の棘』(新潮文庫)を読みました。

ぼくにとって忘れられない一冊がこの『死の棘』です。

以前少し書いたような覚えもありますが、戦後文学の作家は特徴的な文体を持っていることが多いんです。すっときれいに流れていく文体ではなく、ごつごつしていて、どこか滅茶苦茶な感じの文体。

自分の中でうまく処理しきれないものを、とにかく無理矢理押し出して表現しようとしている感じと言えばよいでしょうか。

そうした戦後文学の作家の中でも野間宏(「暗い絵」など)と島尾敏雄(「夢の中での日常」など)の短編はちょっと衝撃的でした。詳しくはまたそれぞれの短編を紹介する時にでも。

戦後文学はテーマの重さというのはあるんですが、そうした綺麗でない、丁寧でない文体に魅せられてぼくは一時期よく読んでいたんですね。そんな時にたまたま手に取ったのがこの『死の棘』です。これはもう、ぶったまげましたよ。

『死の棘』というのは、戦争を描いた作品ではありません。ある家族を描いた小説です。ある夫婦がいて、夫婦の間には男の子と女の子がいます。この夫が浮気をしてしまうんですね。

妻は夫の裏切りを問い詰める内に精神的におかしくなっていって、どんどん様子が変になっていきます。そうした、ぐちゃぐちゃになってしまった家庭の姿を克明に描き出した小説です。

そんなどこかへんな話なので、『死の棘』が面白い小説かどうかを聞かれると、ちょっと答えに窮します。ただ、ぼくはすごく面白い小説だと思うんですね。不思議とやみつきになる感じがあります。

たしかに物語的な面白さというのはさほどないんですが、この濃厚な世界観が癖になるというか、一種の中毒性を持つ小説だと思います。一度読んだら忘れられない印象が残ります。

テーマとしてはもうサイコスリラーに近くて、精神的にまいっちゃった人のそばにいることで精神的にまいっちゃうような物語です。しかもそれが解決に向かって動いていくのではなくて、同じ所を何度も何度もぐるぐる回るような感じなんです。

不倫の関係を描いた小説というのは、わりとたくさんありますよね。妻と愛人の間で心が揺れたり。ところが、この『死の棘』は物語が始まった時点で、もう不倫は終わってしまっているわけです。

不倫をしていたことがバレたわけですが、普通だったら選択肢として上がってくるはずの、「妻と愛人のどちらを取るか」は『死の棘』では問題になりません。

すべてが終わってしまった後、いわばなにを言われても、夫としてはもうどうしようもない段階で、妻からねちねちやられるわけです。これはもう解決に向かう選択肢もないですし、出口もどこにもありません。

『死の棘』は600ページほどのわりと長い小説ですが、読み始めて10ページくらい読んだら、あとはもう基本的にその延々ループと言っても過言ではありません。

妻がヒステリーを起こし、夫を激しく責めたて、夫の方もそれにつられてどこかおかしくなるというのがずっと続きます。ただ、不思議とそこに退屈さはありません。読者はいつの間にかどんどんその重苦しい空気に巻き込まれていってしまいます。

『死の棘』は、作者である島尾敏雄の実体験を元にしているわけで、ある意味では私小説とも言えます。ですが、単に現実を写した物語なのではなくて、文体や会話のテンポから生まれるあの異様な空気というのは、むしろ現実を超えている感じすらあります。

私小説的でありながら、私小説をはるかに超えた小説。濃厚で異様な空気が立ち込め、どこにも出口のない、ぐるぐると同じ所を回るような物語です。

そのどこかへんな感覚は、他に類を見ません。ぼくにとって、唯一無二の忘れられない小説です。みなさんにとっても、ちょっと読んだことのないタイプの小説だと思いますよ。

作品のあらすじ


〈私〉がお昼ごろに外泊から帰って来ると、木戸に鍵がかかっていて、胸さわぎがします。ガラス窓を割って家の中に入る〈私〉。

玄関につづく二畳のまから六畳を通って仕事部屋に突っ立った私の目に写ったのは、なまなましい事件の現場とかわらない。机と畳と壁に血のりのようにあびせかけられたインキ。そのなかにきたなく捨てられている私の日記帳。わなわなふるえだした私は、うわのそらでたばこを吸っていたようだ。(6ページ)


日記によって不倫をしていたことがバレてしまい、妻の執拗な問い詰めが始まります。それは昼も夜もなく続き、子供たちの空腹が気になった〈私〉は子供たちにお金を渡します。

食事も睡眠もままならず、妻との緊迫したやり取りが何日も続きます。〈私〉は問われるままに不倫のことや、自分がどう思っているかを話すんですが、妻は全然納得しません。

その時は納得したとしても、後から思い出したように「ひとつだけギモンがあるの。きいてもいいかしら」(24ページ)と言い始め、話はまた振り出しに戻ってしまいます。

〈私〉は小説家なので原稿料が頼りですが、それだけではなかなか食べていけないこともあって、夜間高校で世界史と一般社会を教える非常勤の仕事を週に2日ほどしています。

ところが、外出すると妻の様子がおかしくなるので、仕事にも支障が出てきます。小説家としての仕事の打ち合わせにもなかなか出かけられません。

妻の落ち着きなさは、日に日にひどくなるようで、
「おとうさん、こんなに元気になった。いいでしょう。きょうはとても気分がいい。だんだんよくなって行くのでしょうね。もとのミホになるからね」
 と言う口の下で、といでいた米をいきなりまき散らしたりした。ただごとでない物音にあわてて行ってみると、けわしい顔つきで私をにらみつける。背筋を凍りつかせ、きいてもむだなことをきかずには居られない。
「どうしたの」
「どうもしない」
「だってそんな、せっかく洗ったお米をまきちらして」
「ウニマがやってくるの。ウニマがいやなことを思い出させるんだ。ウニマがいろんなことをあたしに言う。ウニマが来る! ウニマが来る」
(中略)おそれていた通りにしばらくすると妻が足音をしのばせて来るのがわかる。
「ねえ、ひとつだけききたいギモンが出てきたの。きいてもいい? 教えて」(85ページ)


やがて、妻が発作を起こしておかしくなると、精神的に追い詰められた〈私〉も、おかしくなったふりをするようになります。具体的に言うと自殺するふりをするんですね。電車に飛び込もうとしたり、首吊りをしようとしたりします。

どちらかが死のうとか、みんなで死のうとかそういう話が出るんですが、6歳の伸一と4歳のマヤのまだ幼い子供たちをどうするかという問題があるので、いつもみんなで一緒にやって行こうということになります。

妻の発作はやがて、妻の生まれ故郷の島の方言で貝を表す「グドゥマ」と呼ばれるようになります。「あたしはグドゥマにはならないんだから」(299ページ)と妻は言いますが、落ち着いたかと思うと寄せては返す波のように、また新たな発作は起こります。

夫婦のぶつかり合いは、当然子供たちにも影響を与えます。「カテイノジジョウ、しないでよ」(327ページ)と言うようになる伸一。

カタカナで書かれることもあって、異様な雰囲気を持つのがマヤ。人形で遊びながら、「オトウシャンハバカダカラ、オウチガイヤクナッテ、ヨショノオウチニイッチャッタノ」(38ページ、本文では「シャン」「イヤク」「ヨショ」に傍点)とひとり言を言ったりします。

先の見えない夫婦の関係性に、明るい光が見える時は来るのか!?

とまあそんなお話です。ぐるぐると同じ所を回る物語です。妻が納得してすべてが終わったかと思うと、また発作が起こって振り出しに戻ってしまいます。

『死の棘』は夫である〈私〉が妻に困らされる物語ですが、フェミニズム的な観点から、この〈私〉を批判的に読む読み方もあるので、興味のある方は色々調べてみてください。

〈私〉と妻との出会いというのは、『死の棘』では描かれませんが、妻が島の出身であり、方言が単語としてわりと多く出てくることは重要です。

〈私〉と妻のそれぞれ特殊な経歴は把握しておいた方がよいかもしれません。

たしか「出発は遂に訪れず」で2人の関係が描かれていたと思いますが、そうした島尾敏雄の自伝的な短編をいくつか先に読んでから読むと、『死の棘』はより一層楽しめます。

壊れてしまった家族の姿を、濃密な空気感とともに描き出した作品です。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、福沢諭吉『福翁自伝』を紹介する予定です。
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