見送られる時には、いつも
胸が少しだけキュッと鳴く
淋しい とか、哀しい とはどこか違う
うまく言えないけれど。
足腰の弱くなった祖母は、
『ここでいいよ』 と、私が言っても
『見送りくらい出来る』と以前のようには言えなくなってきた
『運転には、気をつけて
お父さん、お母さんによろしく言ってよ』
両手を合わせたあと、前屈みに乗り出し、
襖を閉める私の顔を最後まで見ていてくれる
また、来週ね
その時の祖母の心情はわからないけれど
ワタシの心は少しだけ、ぐらつく
その揺れを封じ込めるように、
私は玄関から『おやすみなさぁい』と、大声を張る
居間にいる祖母の耳に届くことは少ない。
たまーに、調子のいい時は
ヒョロヒョロの声が返ってくる時もある(笑)
祖母を感じるとき
いつからか、自分の小ささを思い知るようになった
その小ささを
まだまだ、伸びしろがあるんだと俯かずにいられるこも祖母のおかげだ
ちっちゃな体に おっきな心
祖母と過ごす日
それは、祖母のためでなく
自分のためなんだろうと思う
自己満足のような行いの中
笑顔を、いつまでもそこに見たいという勝手な願いと
おばあちゃんの計り知れない願いと
どちらが先をゆくんだろう。
帰り道の車の中で
今日は思い出し笑いをした
祖父が亡くなってから、初めての失敗をしたと言った祖母は
今週、居間に向かう二畳間で両手がふさがったまま、転んだのだという
あ、と思った瞬間
クルリと綺麗に回った祖母は
どこも痛めていなかったそうで
落ち着いた後、
祖父と、まだまだ逢えないと笑い合ったらしい。
何時も会話に折り込まれるその話題に、少しの狂いもないことがまた可笑しくて
祖母の笑いと私の笑いは、異なる方を向いていた
私が知るおじいちゃんは、穏やかな優しい人だから
きっと、気長に待っていてくれる。
言ってないことも言えないこともあるけれど
手の暖かさを感じることができる時間は、曖昧に応えることはしたくない
祖母の苦労を
いつか知りたい
あがきながら、正直にいられるジブンを探す
それがワタシの道標。