普段は関西弁を話します


仕事でも、プライベートでも




いわゆる大阪弁とは多少異なるところもありますが。




それが、時に

友人でも知り合いでもない
例えば、初対面のお店の人などですかね
話す時には標準語になってしまうことがあります



どうしてかは、わかりません(笑)





小学生の頃に、数年
今の土地を離れたことがありました



そこでは、関東圏出身の子供や先生が多く
学校の中では関西弁は珍しいものでした



当時は、それが恥ずかしかったんですよね


最初の頃は何か一言、喋る度に
『へぇー』『え?何て言ったの?』など当たり前のように聞きました




あ、もちろん
その子供たちに悪意は無く
むしろ、好奇心というか興味津々という感じだったんですケド




ただ、ね
環境なんでしょうか
子供の適応力というか、いつのまにか関西弁を話さなくなったんですよね



家では
両親は関西弁、姉と私は標準語という風変わりな会話となっていたように思います





数年をそこで過ごし
この土地に戻ってきて転入した頃には

逆に標準語のイントネーションを周りが面白がったワケですよ(笑)





で、

いつのまにか、やっぱり関西弁に戻ったんですねぇ






チガウ チガウの

こんな前振りが長くなるハズじゃなかったの‥‥(´Д`)






数日前より、職場にインストラクターの方に来ていただいてます

新しいシステムを導入しているんです




その方は、関東出身
落ち着いた声で標準語を話します


すると、ね
相手につられるように 私もイントネーションが変わってしまうんです




可笑しなモンです

関西弁と標準語のコラボっつうんですか


同僚には
『気持ち悪いで』(ノ ̄∀ ̄)ノ

と、言われマス





今日、休憩中に一緒に昼食を取っている時
談笑しながら、その方がツッコミました


『な↑んで↓やねん!!』






イヤイヤイヤ‥‥
チガウやろ( ̄∀ ̄)


明らかにバッタモンでした(笑)





そこからは 関西弁のレッスンが


それはもう、キビシイ厳しい教えのもと‥‥





お帰りになられる際に仰いました

『ほな、また明日』





前半 ◎

後半 寛大な△






大人となってからでは
いと、難し。




嗚呼、子供ってスバラシイ♪


横になって こうやって記事を書いていると

顔の左
日差しをうっすら感じる



予報通りの雨

大きく予想を外し、小降り

っていうか、もう止みそう?

「大荒れ」って言ってたやん!!






今朝の新聞で、私の暮らす市に その桜があることを知った


御衣黄 ギョイコウ



いつだったか、短編小説の中に出てきた桜


食堂の女将が、昔を懐かしむ客のために用意したんだっけ




緑色の花を咲かせるという


淡い緑、黄、赤
移り変わるその姿を想像し
どうしようもなく惹かれたのを思い出した




意外と近くにあるんだな

そう思うと、神秘性が少し薄まった(笑)



記事によると、開花時が遅いらしい

それもまた魅力かと。



蕾をつけた桜

満開の桜

乱れ散る桜

薄いピンク色の桜は、もちろん好きだけれども

葉桜が一番好き




四月を華やかに彩った花弁に感謝しつつも
勢いよく眩しい季節を感じさせる緑色の葉がその木を染めてゆく


息吹き と、いうのかなぁ


あんな短期間で
人を惹きつける樹木は そうそうない と、私は思う





ほら、ね

いつのまにか記事が全く別の内容にすり替わっちゃったデショ

ヽ(´ー`)ノ イイヤッ





よい休日を
ジブンだけはそれがユメだと気付いていた


いるはずのない人が言葉を話し、その手で我が子の頭を撫でていたのだから



虚無の世界に居ることを気付きながら

そこで、ただの傍観者だった自分





赦せずにいるんだろうか






そもそも赦すってナンだ?

どうして、こんな風に感じるんだろう?

感じた、か






どれほど知っていたといえるのだろう

どれだけ本音で話せたといえるのだろう

私が知っていたのは、目の前にいるその人だけで

内なるものなんて、知ろうとしたことさえあったんだろうか





そんなくせに

いっちょこまえに腹を立てたなんて 一体、何様のつもりだったんだろう、私は





わからなかった

わからなくて、わからなくて、ただわからなかった



何もわからず、どうしてあんなことをしたのか責めずにはいられなかった

泣くことなんてできなかった

そこに納まっている姿を
見届けることができなかった








今でも、わからない

この先、きっと知ることもない

ずっとわからないまま






忘れたことなんてない

かといって、あの時ほどのグチャグチャな思いに占領されることも、もうない






それでもこうやって

自分のユメに出てきた彼女は
私をどう思っていたのだろうか、と
胸がざわついてしまう




ユメと同じく
私はただの傍観者だったのかもしれない









何があったとしても

なかったのだとしても




それを知ることもわかることもできない自分は

自分の日々を生きていく





それだけ。