皆さん、こんにちは!
石川亮です。

今日は、前回の続き、山中光茂・三重県松阪市長のお話です。

【3.自分の考え方や理想は絶対に押し付けない】
山中市長のお話の中で、私にとって一番印象深かった言葉です。

山中市長はこう言います。
「自分は政治を変えたいとか、改革したいとか、何かやらなきゃ!という自分の理想や使命感を押し付けるために政治家になったのではない」と。

自分の理想を語る政治家。「~べきだ」、「~なはずだ」と規範論を語り、その実現のために邁進する政治家は、確かに格好いいかもしれない。

だけど、山中市長が、自分の理想や価値観よりも、政治家としてもっと重視するものは、本当に現場に必要とされていることであり、市民が本当に求めていることであるという。

人は一人ひとり価値観も違えば、必要なことや求めているものも千差万別。それらを、徹底的なダイアローグ(議論)によって、明らかにしていく。

山中市長の公約は、その言葉通り、「市民の当たり前のことに寄り添うまち」。基本的なスタンスは、市民にとっての当たり前のことを当たり前のように守っていくこと。

その上で市民に求めるのは、役割と責任を持ってもらうこと。
行政の役割とは、市民と話し合いをして、市の施策として決まったことを、責任を持ってやり遂げること。しかし、その施策を決めていく過程に参加をして、役割を果たしていくことは、市民の役割と責任なのではないかというのが山中市長の考え方でした。なので、市民が参加してその役割と責任を果たすことができる仕組みを徹底的に築いていました。

まずは、市内を43のブロックに分けて(これも住民が自主的にやった)、各ブロックに、住民協議会を立ち上げる。基本的にその地区の声は、その地区の住民協議会でまとめる。驚くべきことに、この住民協議会は、一部の声の大きな人たちだけのものではなく、幅広い住民の参加によって成り立っているのです。

そうなるための一番の秘訣は、市長をはじめとする市の職員が、徹底的に住民協議会に参加して、ダイアローグを重ねること。山中市長は、今でも毎週末、休みもなく各ブロックに入り込み、協議会に参加しているのです。

他にも、市がこれから考えている施策に対し、シンポジウムを開く、勉強会を開催する、意見交換会をするなどしていて、徹底的に意思決定の過程に住民の参加を促しています。

この流れに乗って、松阪市議会のほうも変わってくる。
シンポジウムや意見交換会、住民協議会に参加して、実際に市民と討議するようになった市議会議員たちが、ダイアローグの必要性を実感して、これまでになかった市議会全体(全議員による)での市政報告会を開催するようになったそうです。

首長の役割とは何か?
北川正恭先生(元三重県知事)の言葉を借りるとすれば、「一匹目の北京の蝶々になること」だと私は感じました(北京の蝶々の意味は、北京で一匹の蝶々が羽ばたくと、ニューヨークで竜巻が起こるという、いわゆるButterfly Effectのことです)。

人間一人にできることには、能力的にも、体力的にも、時間的にも、すべてにおいて限界がある。首長の役割は、二匹目、三匹目・・・の蝶々(首長と同じ意思を持つ人)を育てていくことなのだと思います。

山中市長は、最初に、自分から各市内協議会に飛び込み、徹底的に市民と議論する姿を示し続けた。この姿に影響を受けた、他の市役所の職員の方々が、市長と同じように、各市内協議会に飛び込み、住民と徹底的に議論するようになる・・・。この流れを作ったのが山中市長なのです。そして、これが首長の、リーダーの姿なんだろうなと思いました。


繰り返しになりますが、山中市長の言う、「私は自分の理想を押し付けるために政治家になったのではない」という言葉が本当に印象的でした。私(石川亮)という人間は、いつも規範ばかり語っています。「地方自治はこうあるべきだ」、「理想の市民像とはこういうもののはずだ」、「理想の地方議員はこうだ」、「これからの日本には、人と人とのつながりが絶対に必要だ」などなど・・・。信じるのは私の勝手かもしれません。しかし、それだけが正しいと思っては絶対にいけないと思います。価値観や理想とは、人間が一人いれば、その数だけある。本当に必要とされていることは、その時、その場所だからあるということもある。不変の価値やニーズなんてない。

私という人間は、ともすれば傲慢になりがちな人間なのかもしれない、自分の理想を人に押し付けようとするタイプの人間なのかもしれないと思いました。

自分が信じていることを盲目的に真実だと決めつけない。
当たり前と言われている、思われていることを、あえて疑ってかかる。
自分の理想を押し付けない。

当たり前のことかもしれないのですが、やはり、現場に出ていくことが大事なんだとしみじみ思いました。そして、真実やニーズや価値観なんていうものは、絶対に一つではない。その場、その時に、そこにあるもの。それを見つけるためにも、現場に出ること、なるべく多くの人の話を聞くこと、そして、話し合うことが大切なんだと感じました。

私はここで約束します!
「~べきだ」、「~なはずだ」。
こういうものの言い方は、今後使いません!!
使ってしまっていたら、こっそり指摘してください(笑)。よろしくお願いします。

2014年4月14日(日) 石川亮(いしかわりょう)