最近のサンフランシスコ クロニカル 新聞の切り抜き。
上の Human Jukebox 1970年代から1980年代にかけて、主にサンフランシスコのフィッシャーマンズ”ワーフなどでやっているのを見かけた。面白い斬新的なアイデアだな〜と思ってコインを入れて、トランペット音楽を聞いていたような、思い出がある。選曲も確か20数曲だったような気がする。面白いパーフォーマンスなので、結構な人気だった。
彼の名前は Grimes Poznikov その頃彼はかなり有名な、ストリートアーチストだった。アメリカ 特にここサンフランシスコ ベイエリアに昔から住んでいるん人達は覚えている人も多いだろう。
何と言っても、このアイデアは世界でも最初で、誰も真似をしたものはいないと、思っていた。
彼はその後アルコールとドラッグに溺れてホームレスになり、このヒッピーアーテストは若くして死んでしまった。
上の写真の人間ジュークボックスを子供のときに見た建築会社の経営者が、簡易トイレにジュークボックのデザインをして、見た目を面白くして道路に置いたものです。
時代が変わって1980年代後半から日本人が人間ジュークボックスを始めた。彼は音大を出てから、ビッグバンド、ロックバンド、ピアノの弾き語りなどいろんなことをやっていたが、最終的には人間ジュークボックスが本業となり今でも、日本全国あっちこっちへ行ってやっている。若い頃はヨーロッパへ夫婦で行ってやっていたりした。
そうです。たぶんこの仕事をプロでやっているのは世界でも彼一人ではないだろうか。オリジナルの人間ジュークボックスは選曲が少なかったが、日本人の彼は数100曲、リクエストされて、やれない曲はまずない。
彼の名前は タカパーチ 彼が若い頃メキシコで数年音楽活動をしてた頃メキシカン達のタカハシがナマって、タカパーチ とよばれていたので、その名前をつかっている。彼は1975年渡米した頃、ここサンフランシスコでオリジナルを見て、何かがひらめいたようだった。
実は彼は私の弟です。本名 高橋 修二。
YOU TUBE で見られます。
タカパーチ
Grimes Poznikov