今日はとんでもない暑さでした!

 

スイッチオンしてもいい?

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・・・冷房付いてますよ。

 

 

さて

 

自分を責めることを止められない。

それも性暴力・性虐待被害者を苦しめ続けることのひとつだと思う。

 

私はその思いから逃げたくて。

一生懸命に「自分は悪くなかった」と思い込めるよう、たくさんの理由を探していた。

 

理由は実際いくつもある。

 

先日も書いたように、父母の命を盾に脅されていたから。

体の大きい、ひと回りも年上の男の暴力が怖かったから。

周りの誰もが気付いてくれなかったから。

 

が、いくら自分に言い訳しても。

自分が少しでも「嫌だ」と言えていたらと、後悔せずにはいられない。

 

嫌だという意思表示をしていたら、義理兄も親たちへの告げ口を恐れて

やめてくれていたかも知れないからだ。

 

黙って従っていたからこそ、義理兄もいつしかそうすることが当たり前のように

好き勝手にやりたい放題、10年も続けていたのだろうと思う。

 

大人になった今でこそ、いくら拳銃を持っていたからといって

本当に父母を殺したりするか?とも思えるけれど。

義理兄の境遇と性格ならやりかねなかったかも知れないし、

そもそも子どもには、言われたことをそのまま鵜呑みにしてしまうという素直さがある。

 

あの頃の私はそんな、何もわからない子供であったことに加え、

大人に逆らうことを知らない、自己主張の出来ないおとなしい性格だった。

 

自分がしたくないことでも、言われればしていたし従っていた。

心の中では嫌だと言いたいのに、いつもイエスとしか言わなかった。

 

小さいころから活発で物怖じしなかった実兄と比べて、

私は本当に大人しくて、12も年上の義理兄にしてみれば都合のいい標的だったことだろう。

 

 

大人になるにつれ、そのことを思い出すたび

悔しくて情けなくて、やり切れなくてたまらなくなる。

 

 

自分がされたことはくっきりはっきりと覚えている。

それを思い出すと頭の中が真っ赤になって、うわーーっ!!と大声を出したくなる。

 

 

子どもの頃は、自分がされていることがどれ程のことか知らなかったから。

だから堪えていられたんだと思う。

 

けれど

 

私だって言いたいことを言いたい。

逃げるより、黙って従うより、嫌だって言いたい。

 

という風なことは、大きくなるにつれいつも心のどこかで思っていた。

 

 

そんな自分をだんだん変えていってくれたのが、漫画の存在だった。