11'09''01/セプテンバー11

2001年9月11日の悲劇。

アメリカ同時多発テロをテーマに、世界の映画監督11人がそれぞれにとらえた9.11を<11分9秒01>の長さで綴った意義ある11話オムニバス短編集。これはこの世で最も価値のあるフィルムだ。


この作品はまずヴェネツィア映画祭で公開され、日本では2002年9月11日にTBS系列でTV放送されたのに続き、インターネットでもブロードバンド配信された。劇場公開は1日限り、新宿テアトルタイムズスクエアにて特別上映された。


この作品はまさしくimportant filmである。物事の見方の多面性について改めて感じ、このフィルムによって真実を求めるそれぞれの姿を心に深く刻み付ける機会を得られた。世界11カ国11人の監督による11の作品について紹介すると共に、私なりに感じたことをここに述べたいと思う。

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シネマな時間に考察を。-samira.gif 第1話
サミラ・マフマルバフ監督(イラン)
代表作:『りんご』 『ブラックボード/背負う人』

監督は『カンダハール』『サイクリスト』のモフセン・マフマルバフの長女。18歳で初監督した『りんご』は、映画作家としての才能とひとりの人間としての視点、それを映像化することの芸術センスの高さにただ脱帽するしかなかったというくらい私はこのサミラという女性を尊敬している。

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井戸からバケツをがらがらと引き上げる男。ハンディカメラで映し出される薄い土色が膨張したようなフィルムの質感と温度。ファーストカットからまさしくこれはイラン映画であることを認識させてくれる。今回この企画で世界11ヵ国の中にイランが入ったこと、そして11人の監督の中にサミラ・マフマルバフが選ばれたことを心から嬉しく思う。

「アメリカはアフガニスタンを攻撃する気だ!急いでシェルターを作らなければやられてしまう!」老人と子供たちは懸命になり作業を進める。泥を足で踏み固め、型に流し入れては地面にひっくり返す。彼らは日干しレンガでシェルターを造ろうとしているのだ。黒いチャドルをまとった女教師がそこへやってきて「こんなシェルターでアメリカの核爆弾を防げる訳がないじゃない」と揶揄しながら子供たちに「どうして学校へ来ないの?学校へ来たら本をあげるわよ」と声をかけていく。

土壁の中の空洞に椅子が並べられている。ここが教室だ。先生は子供たちに向かって問いかける。「昨日、世界で恐ろしい事件が起こったの。何だかわかる?」手を挙げて答える子供たち。井戸に落ちて2人死んだとか、いや違う死んだのは1人でもうひとりは足を折ったんだ、アフガニスタンの叔母さんが首まで埋められて石で殴り殺されたんですと答える少女、洪水が起こってみんな死にましたという少年。先生はあっさりと「違うわ。もっと重大なことよ。地球規模の事件なの。核戦争が起こってみんな死んでしまうかもしれないわ。NYの高いビルに飛行機が激突したの」そしてそのビルがどんなに高い塔であるかを伝えるため、彼女は教室の入り口から見えるレンガ焼き窪の煙突に子供たちの目を向けさせ、あのくらい高い塔なのと教える。先生は黒板に時計を描く。今から1分間黙祷をしましょう。

1分後「みんなうるさかったから煙突の下まで行って黙祷します」と子供たちを外へ連れ出す。「塔を見上げて。瓦礫の下敷きになって亡くなった人たちを思って祈りなさい」子供の目線で下からみあげる煙突は巨大な威厳を誇ってそびえたつ脅威をも感じさせる。ひとりの男の子が「しゃべりたくなったら?」と聞くと、先生は「唇をかんで煙突を見るのよ」そして彼はぐっと唇をかみしめた苦渋の表情で、空に向かい黒煙をあげる煙突をみあげるのだった。カメラは煙突の下で大勢の子供たちが空を見上げる映像を、祈りの音楽に乗せてロングショットでとらえ、幕を閉じた。


先生から飛行機がビルに追突したと事件を聞いた子供達。先生にはがやがやしたおしゃべりにしか聞えないが、彼らのおしゃべりはいつしか[神様についての議論]にまで発展していく。「神様が塔を壊したんだ」「嘘よ、神様じゃないわ。神様が壊すのは人間だけ。神様は飛行機を持っていないから塔を壊せない」この少女のセリフには鳥肌がたった。彼女の言うことは恐ろしいほど正しい。信じられないような事件を引き起こしたのは人間であり、飛行機を作ったのもまた人間である。ツインタワーは天災で崩壊した訳ではなく人間によって壊されたのだ。

別の少年はこう言う。「神は人間を壊してまた作りなおすよ。新しい人間を作るために」するとさっきの少女は「古いとダメなの?」と返す。ドキっとさせられる。このセリフが無意味で無責任な報復攻撃を続ける世界のチャンピョン米国人たちの、第3世界の国民達への概念のように思えてならなかった。

イランという国の文化や思想とテロ事件を結びつけるアイデアとしてのサミラ監督の視点。テロの標的となったNYの“高い塔”貿易センタービルーを、イランで日常的に作られるレンガを焼くために黒煙をあげる煙突に見たて、アフガン難民の子供たちが空の下で彼らなりに人の死を思い、神を思い、人間の愚かさを思う。

アフガニスタンと国境を接するイランから出品されたサミラ監督の作品はしかし、アフガニスタンを攻撃する米国への直接的批判精神は皆無であることに注目したい。監督はNYの犠牲者達へ哀悼の念を捧げており、またアフガン難民達の力強く生活する様子をもしっかりと伝えている。アメリカは必死の形相でアフガニスタンを攻撃している。イランではアフガン難民の子供達が犠牲者に黙祷を捧げているというのに・・!

叔母さんが殴り殺されたという生徒に向かって先生が「違うわ。もっと大変なこと」と答える場面に、冷酷な教師だと憤慨する人もいるかもしれない。けれどイランの先生っていつもこういう感じ。イラン映画びいきの私なのでどうしても寄り添った見方になってしまうが、この「セプテンバー11」という企画自体がそうであるように、あの事件に対しても場所を変えれば人それぞれの見方があるということ。自身がMCを務めるニュース番組でこの作品を紹介した筑紫哲也さんも言っていた。

「真実はひとつではない。正義もまたひとつではない」

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シネマな時間に考察を。-sep-2.jpg 第2話
クロード・ルルーシュ監督(フランス)

代表作:『男と女』『男と女II』 『愛と哀しみのボレロ』

『男と女』『男と女Ⅱ』は大好きなフランス映画。ルルーシュ監督は男女の愛を優しく描く映像作家だと思っている。「セプテンバー11」の中にリストされる監督というには、一見リアリズム精神に無縁のように思ったが、放送された作品を観るとなるほどルルーシュの手に掛かれば9.11もこんな形で描き出されるものなのかと感心してしまう。物語は、ろう唖のフランス人女性と、聴覚障害者向けツアー・ガイドのアメリカ人男性のラブ・ストーリーである。そう、この後に及んでもルルーシュはやはりラブ・ストーリーなのだ。

NYのマンションの一室。ろう唖の彼女の視点で描かれるため、手話で交わされる会話のやりとりや生活音はミュートされ、物語は静かに進行する。彼の弾くピアノの上に頬をつけ、その振動を感じながら「愛撫のよう」と言う彼女。穏やかに育まれているように見えるふたりの愛はしかし、彼女の嫉妬のせいで今、消えかかろうとしていた。


9月11日の朝。男は電話をしている。ここで初めてカメラは彼女の中から飛び出し男のセリフがオンされる。「午前中は貿易センタービルのガイドだ。午後に行くよ」そして再びカメラは彼女の聞こえない耳へと戻り、電話口で誰かと話す彼の姿をとらえる。それは、言いようのない不安と彼女の気持ちを代弁させる。部屋の隅で浮かない顔をする彼女に彼は手話で語りかける。「快晴だから悲しいのか?」「世界の終わりよ。恋の終わりは世界の終わり」「その話は今夜しよう」「帰ってくるの?」「キミは嫉妬し過ぎだ。正直言ってこの沈黙に鼓膜が破れそうだ」首を振って静かに部屋を出ていく男。慌てて追いかける彼女のうしろをカメラが追う。交わされるセリフも洒落てるが、この時カメラが辿る曲線の導線を作り出すインテリアの配置まで素敵。

彼が出ていった後でワープロに向かい彼宛に手紙を書く彼女。ふたりの出会いから始まったその文面は次第に別れの言葉へと向かっていく。ちょうどその時、ベッドルームのTVは変わり果てた貿易センタービルの様子を映し出していた。しかし耳の聞えない彼女にはそのニュースは伝わらない。手紙を書くことに集中している彼女は、彼が居合わせているはずの現場で起こっている事件のことなど知る由もなかった。


足元でペットの犬が激しくほえる。何か重大なことを主人に伝えようとでもするように。けれど彼女はついに最後の言葉を。「私から別れを言うわ。あなたに捨てられる前に」そして最後にこう付け加えた。「・・奇跡でも起こらない限り」その時、玄関のチャイムが鳴ったことを知らせる照明が点滅し、嬉しそうに彼女はドアを開ける。そこには粉塵にまみれた彼が呆然とした表情で立っていた。「どうしたの?」「テレビを見ていないのか?」そして彼は哀しみに暮れて静かに涙を流し始める。彼女はそんな彼の頬を両手のひらで優しく包みこむのだった。

あの日、あの時、あの時間“世界で最も重大な事件”が起こったその瞬間、ひとりの女性が恋人との別れを決心しようとしていた。たったひとつの恋の終わりを世界の終わりだと嘆き悲しんでいた。世界では“もっと重大な”ことが起こっていたことも知らずに。あの日、あの時、あの瞬間、事件のことを全く知らなかった人もいれば、運悪く事件に遭遇してしまった人もいた。ひとつの恋が終ろうとしていた恋人達がいた一方で、永遠の別れを突き付けられた犠牲者達がいた。

ルルーシュ監督は「セプテンバー11」の作品として、全世界が驚愕したあの事件を一組のカップルと並行して描いた。これがルルーシュの視点ということになる。けれどこれは実際のところ多くの人たちにとっての“あの日の現実”の姿ではないだろうか。9月11日。なんてことないありふれた1日であるはずの。


彼女はきっとあの別れの手紙を彼に手渡すことはしないだろう。“恋の終わりが世界の終わり”と拗ねていた自分を情けなく思っただろう。いや、もし本当に“恋の終わりが世界の終わり”だというのなら、今この目の前に生きて帰ってきた彼との恋は、終らせる訳にはいかないと気付いたかもしれない。何故って手紙に書いたように“奇跡が起こった”のだから。耳が聞こえないことでいつも付きまとう不安、それゆえ自分よがりになりがちだった彼女は、このあと悲惨な事件の全貌を知り、ささやかでも愛につつまれて生きていることに感謝をし、もっと愛を信じて生きていこうと思うようになるだろう。フランス人である彼女にとってのニューヨークという存在も、今までよりもっと身近に感じるようになるだろう。

恋愛映画としてみても、映画としての細かな演出や気配りが感じられる。自動演奏をするピアノの鍵盤をアップで映しながらカメラは固定したままで、手話で交わしていると思われるふたりの無言の会話が字幕になって映し出される。また、この音声の少ない静かな作品の中で時間を割かれている場面がモニタにタイプされてく手紙の文字。タイプライターによるカーソル付きの文字を映し出すのは始めと最後だけ。彼女の顔のアップや回想シーンの中に、手紙の内容は字幕で綴られていく。面白いのは、テレビが現場の様子を伝える中、彼女が一瞬はっと椅子を立ちあがり、ニュースに気付いたかのように見せておきながら、実は紅茶を入れに台所へ向かっただけであったり、紅茶を注いだカップを口にしながら、テレビの方へ向かってくるかと思わせておいて途中で引き返し、またモニタの前に座りなおすという演出。席から立ちあがっているあいだも手紙の文字は字幕で綴られている。それはあたかも読み返しながら書いているという印象。このあたりも芸が細かい。

ろう唖の彼女には、相手の声や電話のベルは全く聞こえないが、犬が床へ飛び降りる音や、ドアを激しく叩く音、犬が吼える声などは、かすかにドン!ボン!というような音として聞き取れるようになっている。それなのにツインタワーが崩壊していく爆音を聞き取ることができなかったという皮肉。唯一の救いは彼が無事に戻ってきたこと。もし彼が事故に巻き込まれ、朝彼女が懸念したように彼が本当に帰らぬ人になってしまったとしたら。考えただけでも悲しくて泣きそうになる。

今生きている人たちは、愛を信じて生きていこう。

それが監督のメッセージなのではないかと、

私は密かに思うのだ。

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第3話
ユーセフ・シャヒーン監督(エジプト)
代表作:『炎のアンダルシア』

『残念ながら監督のことは存じ上げない。この作品の中ではユーセフ・シャヒーン監督が監督役として主人公となっているが、この人が監督さん自身なのか、役者に自分の役をやらせているのかは定かではない。

シネマな時間に考察を。-sep-e.gif 物語はこうだ。事件の翌日、新作映画の記者会見をすることになっていたシャヒーン監督は、会見の席に姿を現すものの「昨日の事件で今は女優の衣装について語る気になれない。会見は延期してくれ」と言ってその場を立ち去ろうとする。ジャーナリスト達からは非難の声を浴びせられ「というより逃げているんじゃないですか?」とイタイところを突かれてしまう。監督はひとり海岸へと向かい、崖の上でもの思いにふけっていると、突然波の狭間からひとりの青年が現れる。どうやら兵士のようだ。ダニーと名乗る彼の話によると、自分は1983年にベイルートの自爆テロで死んだ280人のアメリカ軍兵士のひとりだという。ダニーの姿は監督にしか見えないらしい。「あんたは敏感だからオレの姿が見えるんだ」ダニーは言う。そんな彼に「他人のために何もできないのが悔しい」と愚痴をこぼすと「訴えかける努力をしたのか?」と切り返される。「確かにそうだ。私達は甘かった」と反省する。


場面は変わりパキスタン一家の住む部屋の一室。これからまさに自爆テロに向かわんとする息子の姿を見守るしかできない母親の、声にならない無常の哀しみをカメラが映す。引き留めることはできない。息子さんの決意はいつ知ったのかと訪ねる監督に父親は言う。「パレスチナ人なら当然の決意だ」そしてカメラは監督の部屋の中へと切り替わり、この自爆テロリストの青年と家族を回想しながらダニーは言う。「国を占領した兵士を殺すのは理解できるが民間人を巻き込むのは間違えだ」監督は答える。「アメリカもイスラエルも民主主義だから市民が政治形態を選ぶ。自爆テロリストから見れば市民にも責任がある」


監督のセリフを借りてアメリカによる犠牲者の数字を指し示していく。ベトナムで400万人、イラクで120万人、広島長崎で数百万人、パレスチナ・イラン・アフリカでは無数・・。アメリカは自由と民主主義と寛容が原則のはずなのに他文明を破壊している。それを「国益のためだ」とダニーが言うとすかさず監督は「その代償は誰が払う!」と叫ぶ。常に他の国じゃないか、これは愚かな悪循環だと。


NYのテロ事件をきっかけに、ひとりの映画監督の中に今まであったモヤモヤとしたものを吐露する一方で、自爆テロリストの心という点に焦点を合わせているところがこの作品の特徴。 テロリストの心という角度から事件を見つめるという方向もあるのだということを知らされたような気がした。


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シネマな時間に考察を。-sep-tano.gif 第4話
ダニス・タノヴィッチ監督(ボスニア=ヘルツェゴビナ)
代表作:『ノーマンズ・ランド』

この監督の代表作『ノーマンズ・ランド』は実に素晴らしくよく出来たメッセージ性溢れる作品だった。ボスニア人とセルビア人が泥試合を続けている最中、その中間地帯に取り残され身動きが取れなくなってしまったボスニア人兵士とセルビア人兵士に、人道的救助にのみ干与し戦線には非介入という姿勢の国連軍が“介入”し、そのただならぬ緊迫状態にある塹壕にネタ欲しさに飛びつくマスコミが群らがり、紛争は<愚かしい>ということをユーモアさえ交えながら描くその手法、ラストの言いようのない痛烈なメッセージ。この無名な新人監督は、2001年のカンヌ映画祭で脚色賞を獲得したのを始め、各国の映画祭でも次々と受賞を重ね、あのアカデミー賞では外国語映画賞をしっかりと獲得した。彼の新作を長らく待つ事なくこの短編を観る機会が得られたことを嬉しく思う。またたった1作で今回のメンバーに選ばれる程の評価を得たことに『ノーマンズ・ランド』の素晴らしさを改めて思うのである。


シネマな時間に考察を。-sep-1.jpg さて今回の作品、まず時計のアップから始まる。時計の長針と短針が午前0時の位置に重なって日付が11日を示すと、まだ一睡もしていないと思われるベッドの上の女性の顔のアップとなり、時計はやがて朝の5時を過ぎ彼女は川へと向かう。車椅子に乗ったネディムが家にやってくる。セルマに渡して欲しいと化粧品の入った救援物資の袋を母親に手渡す。

セルマは部屋の中で探し物をしている。どうやら彼女と母親は暮らしていた土地から逃れてここへ移り住んでいるようだ。母は「いい加減に荷解きをしたらどうなの」というが、一刻も早く故郷に帰りたいと願うセルマは決して荷を解こうとしない。そのままもう6年も経っている。「男達でも太刀打ちできないのに女に何ができるっていうの」という母にセルマは聞く耳持たず。「4時に広場に来て」と言い捨て出ていく娘を振り返りもせずに母は独り言。「デモばっかり。11日はいつだってそう」 


場所は変わってスレビレニカ女性連合の事務所。セルマが中へ入るとみんなはラジオからのニュースに静かに聞き入っている。NYのテロを伝える報道。セルマは途中ですくっと立ちあがる。とっさに隣りの女性が「どこへ行くの!」「広場へ」とセルマ。「やめて。今日は中止よ」それでもひとり外へ出るセルマ。戸口で立ちすくんでいるとネディムがやってきて、セルマの持っているデモ用の旗の端を自分の車椅子の端にひっかけセルマを誘導する。神妙なおももちで歩くセルマの肩に誰かの手が。振り向くと連合の女性達がいつのまにか広場にやってきて列を成していた。そして彼女達は旗を渡し合い、一列になって静かに行進を始めるのだった。

こんな日にデモなんてといわれたセルマは「だからこそやらなきゃ。彼らのために」と言う。世界的な重大事件が起こったというのも事実ならば、彼女達が地域紛争で夫やあるいは息子達を亡くしたのも事実なのだ。セルマが「彼らのために」と言ったその彼らとは誰のことを指すのかは明確ではないが、毎月11日には決まって広場でデモ行進を繰り返すこの女性達は明かに反対している。紛争や無謀な争いごとで人の命が失われることの世界への反発を。

監督は敢えてプラカードや旗に書かれたデモの文字を映し出さなかった。ここに書かれる“心の訴え”は、観る我々がそれぞれに思い浮かべるべきなのだ。それぞれがそれぞれの立場や見解で訴えたい言葉があるだろう。その言葉を今こそ思い浮かべることこそが、この11分の短編を通して監督が我々と世界に問いかけたメッセージであるように思う。

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第5話
イドリッサ・ウェドラオゴ監督(ブルキナファソ)
代表作:『掟』

今回の11作の中で、鑑賞前に一番神秘的な存在だったのがこの作品。監督の名前も代表作も聞いたことがなければブルキナファソという国名すらまるで知らなかった。どうやら西アフリカの内陸に位置する国であるらしい。


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病床にある母親の薬代を稼ぐために、少年アダマは学校も行かずに新聞売りの仕事を始める。そんなある日、テロの首謀者として新聞の表紙に載っているビン・ラディン氏にそっくりな男を発見するアダマ。慌てて学校の友人4人にビン・ラディンを見つけたと報告するアダマ。捕まえたら2500万ドルだ。それだけあればお母さんの薬代が払えるし、エイズやマラリアで苦しむ人たちを助けられる!親には言うな。大人は金を何に使う?女と別荘とタバコだ。絶対大人に言うな。


そうして少年達はビン・ラディン捕獲作戦を立てる。仲間の1人ロドリク少年の父親のビデオカメラをこっそりと持ち出して“彼”の姿をカメラに収めていく。その合間に彼らはアダマの母親の見舞いにも行く。友達のお母さんを助けなくてはという気持ちを新たにする仲間達。毎日5時には決まった空き地で礼拝をする彼をいよいよしとめようと、少年らは各々に武器(縄やヤリ)を持ち、勇んで空き地へと向かい待ち伏せをするが彼は一向に現れない。よしそれならホテルで捕まえようとプラン変更するものの、タッチの差でタクシーに乗り込んで彼は走り去ってしまう。まだ諦めない。じゃあ空港だ!彼らは空港へと走っていき、出発ゲートに乗り込んだ彼を追いかけようとゲートに駆け寄ると警備員に止められてしまう。「ビン・ラディンがいるんだ!」「嘘を言うな、こんなことろにいる筈はない」「証拠もあるよ!」とビデオテープを差し出すが、警備員は訝しそうにそれを遠くへほおリ投げてしまった。


かくして離陸した飛行機を見上げながらアダマはしめしめと涙を流すのだった。「ビン・ラディン戻ってきて。あなたが必要だ」帰り道、とぼとぼと歩く少年達。「賞金はナシ」「アダマのお母さんは治らない」「ブッシュがこの町に来るらしいよ」「誘拐して身代金をとろうよ」「国ごと吹き飛ばされるぞ!」そしてまたとぼとぼ歩き始める少年達。


「いい考えが!」と1人の少年。「ロドリクの父さんのビデオカメラを売ろうよ」「刑務所行きになるよ」と別の少年。するとロドリクが「大丈夫。新しいのをもう買ったから」「これでアダマは学校に戻れるね!」「母さんの薬代も払える!」「いい考えだ!!」その場で飛びあがって喜ぶ5人の少年達のラストショットで作品は幕を閉じる。


大好き!こういう作風。キアロスタミの初期作品を彷彿とさせるとても愛しい物語。テロ事件の悲惨さやその後のアメリカによる報復攻撃の如何については何も描いてないものの、アフリカの貧しい子供たちにとっては、紛れもなくこれがあの日の現実なのだから。


母親の病気を治すために役に立たない父親のかわりに自分が働いて母を助けたいと思う少年の気持ち。大事な友達がまた学校に戻れるように、そして苦しんでる友達のお母さんのために僕たちもできることがあれば何かしてあげたいと願う少年達の優しさと逞しさ。2500万ドルをフランに換算するための筆算はどの子もうまく出来なかったけど、それでも彼らは学校へ通うことの大切さと学校へ通えることの幸せを知っている。アメリカという国の存在の大きさも知っていて、僕らの国なんてちっぽけな存在なんだということも認識している。一体誰がかれらにそんな認識を植え付けたのだろう。アメリカ人ひとりと第3世界といわれる国に生きるひとりの命の重みは一緒なのだ。あの少年達には、人を思いやれる優しい心を持ったまま、自分たちの尊厳を決して損なうことのないような人生をこれからも歩んでいって欲しいと思う。


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第6話
ケン・ローチ監督(イギリス)
代表作:『大地と自由』

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9月11日火曜日。NYの富と経済のシンボルである世界貿易センタービルがテロリストに攻撃されたその日と全く同じ9月11日の火曜日、1973年のまさにその日に起こったチリのクーデターは、少なく見積もったとしてもNYの10倍以上の人が命を落としたと言われる。それはアメリカに後押しされた軍部によるテロの悲劇であった。


この作品は、それを身をもって体験したロンドンに住むチリ人のパブロという男が、NYの事件で肉親や友人を亡くした人たちに向けて綴る手紙の文面をストーリーテリングにし、青みがかったニュース映像を挿入させる形で伝えていく。

豊かで産業を分かち合える国、その共産主義の尊厳を、アメリカのキッシンジャー国務長官は「黙認できない」と批判。ニクソン大統領は経済的な制裁を宣言しCIAを使って軍部を蜂起させた。クーデターだ。パブロは手紙に綴る。「あなたがたの指導者が破壊を指示したのです」アメリカはチリ国内の不平分子と結託、ネオ・ファシストは米ドルの後ろ盾で工場や発電所を爆破。チリ人たちは人民の政府であるアジェンテ政権を守ろうと地方選挙で支持者を集める。「チリよ、労働者よ、永遠なれ!」そう称えたアジェンデ大統領は殺害された。


言われなき中傷や、残酷で卑猥で卑劣な拷問を受け続けてきた事実をキッシンジャーに訴えると「説教はやめろ」との返事。そしてパブロはテロリストと疑われて5年間の投獄生活を余儀なくされたのだった。彼は綴る。「どんなに切望してもチリには帰れない。だがいつかは故郷に帰りたいと願っている。聖アウグスティスいわく“希望には2人の娘がいる。怒りと勇気”現状への怒りと、変わろうとする勇気です」 「NYで肉親や友人を失った人々へ。まもなく来る9月11日は我々には29周年、みなさんには1周年です。いつまでも互いを忘れずにいましょう。パブロ」彼はペンを置き、かすかにため息をつくのだった。

悲劇はひとつではない。奇しくも同じ日に起こった過去と現在のテロ事件。その悲劇を亡くなった人の数で比較することはできないし、事件の被害がどこの国で起こったかということで重要度を図ることもできない。いつまでも互いを忘れずにいましょうという言葉で作品をしめくくったケン・ローチ監督は、被害者の心に寄り添っている。そしてこのような悲劇は世界のどこであってももうこれ以上繰り返さないで欲しいという平和への願いも伝わってくる。

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シネマな時間に考察を。-sep-mex.gif 第7話
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督(メキシコ)

代表作:『アモーレス・ペロス』


映像が疾走する新感覚のメキシカン・ムービーにあまりにも鮮烈な衝撃を受けた『アモーレス・ペロス』。オムニバスのようでありながら登場人物をラストで絶妙に交錯させ、丁寧に推敲されたその脚本の素晴らしさと映画作りへの力強い意思を感じさせてくれた、私にとって印象深い1作である。


その監督が描いた9.11は実に意外な作風であった。およそストーリーはなく、暗闇と光とニュース映像のフラッシュ、それに人々のざわめく声が重なるだけのシャープな作品。11作の中ではある意味一番リアルであり、それゆえ思わず涙が込み上げてしまった。これにはただ首を振るしかなかった。

そうして白く反転した画面には癒しの音楽が流れ出しテロップが映し出される。

“Does god's light guide us or blind us?”
--神の光は我々に道を示すのか。それとも目をくらませるのか--

そしてまた、ざわめきに似た人々の声が響き渡る。
この事実に今も尚、戸惑っているかのようなざわめきが・・。

時折挟みこまれる各国のメディアの報道の声。その中でおぞましさすら感じたのは「・・テロリストだけではない。テロリストを匿う国も攻撃する。テロリスト・キャンプだけでもない。母親も子供も攻撃する。世界に我々を恐れさせる!」

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第8話
アモス・ギタイ監督(イスラエル)
代表作:『キプールの記憶』

シネマな時間に考察を。-sep-4.gif 2001年9月11日、イスラエルのエルサレム街で車2台が爆発。自爆テロだ。警察、警備、救急隊員が事態の収拾におおわらわ。現場は騒然となる。負傷した人々、野次馬、そしてマスコミら取材班を現場から立ち去らせるために警察はメガホンを使い声を張り上げる。彼らがいては救急車両を先導できない。


現場近くでローカル番組の取材中だった女性ジャーナリストが騒ぎを聞きつけ現場からリポートしようとやってくる。「テロリストの仕業ですか?」「死傷者は何人?」警察は彼女を追い払おうと益々声を張り上げる。彼女は強固な姿勢で現場に踏み留まり、9月11日にはこれまでも様々な事件事故が起こってきたと伝える。


1777年9月11日ワシントン軍隊はイギリスの奇襲で撤退、

1855年9月11日フランスがマラコフを陥落、

1944年9月11日ルーズベルトがチャーチルと会談、

ナチスドイツを分割し英米露が占領、

1997年9月11日インドで落雷があり19人が死亡・・。

リポートを続ける彼女のイヤホンに連絡が入る。
「え?中継してない?どういうこと?飛行機が激突?NYのツインタワーに?」すると彼女はとっさにリポートを開始する。「またテロリストです!NYではツインタワーに飛行機が激突しました。そしてここでも。エルサレムはユダヤ人実存を象徴する場所です」またイヤホンに連絡が入る。「なぜ中継されないの?信じられない!」編成局長から電話が入る。「NYで大事件なんだ!くだらん情報番組なんてやってる場合じゃないだろ。おまえら正気か?何度言ったら分かるんだ。今年の9月11日だぞ。97年じゃない。今現在のNYだ!」彼女は力なく現場から遠ざかり歩道の脇に座りこむ。そんな彼女の様子を遠くから(現場から)のロングショットでとらえ、幕を閉じる。


あれほど克舌に言葉をまくし立てていた彼女を、最後にはその声をミュートさせ、編成局長からの電話にどう受け答えているかは分からないようになっているが、現場でリポートしていた時とは打って変わって力ない様子に、彼女のやるせなさがひしひしと伝わってくる。「今ここでもまさにテロが勃発しているというのにそれを伝えることが却下されるなんて」と。


何度でも言おう。悲劇はひとつではない。ひとつではない。

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シネマな時間に考察を。-sep-indo.gif 第9話
ミラ・ナイール監督(インド)

代表作:『モンスーン・ウエディング』


事件後、アメリカ在住のイスラム教徒が言われなき誹謗中傷を受けて攻撃されたとのニュースは日本でも耳にし痛ましく感じたことも記憶に新しい。インド出身、現在NYで活動するミラ・ナイール監督によるこの作品は、その事実に基づいて描かれたあるイスラム青年と母親の物語である。

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電柱には行方不明者サルマン・ハムダニの貼り紙。母親は1日も早く息子と再会できるよう、今日もアラーに祈りを捧げる。しかし事態は思わぬ方向へ。FBIがサルマンをテロの容疑者として発表したというのだ。事情聴取に来る彼らに母親は答える。「あの子は確かにパキスタン生まれだけど、彼はSFとTVゲームとスター・ウォーズが大好きなアメリカン・シチズンよ!大学ではほら、アメフトをやっていたの」と誇らしげに写真を指差して訴える。しかし彼女は更に窮地に追い込まれることに。ついに新聞もサルマンをテロリストと書いたのだ。次第に街の人々の視線が冷たくなり、挨拶をしても無視されるようになる。電柱の貼り紙も破られていた。 ある日彼女は地下鉄で息子らしき姿を見つける。息子がいたと喜ぶ彼女だったが、翌朝の電話でサルマンの死亡が伝えられる。


ニュースでは「テロリストと報道されご家族は長らく中傷に悩みましたが、ボランティア救命士のサルマン・ハムダニはテロリストの汚名が晴れ、今日ついに英雄と認められました」

サルマンはテロリストではなかった。アメリカを愛する23歳の若者は事故現場に戻り、その結果尊い命を落としたのだ。通夜の場で母は息子への手紙を読み上げる。

「愛するサルマン。コーランの一節にこうあります。“恥辱も名誉もアラーの思し召し”今日あなたは英雄になった。もしキリスト教徒なら物語は違ったはず。素晴らしい息子と人は誉める。一度はテロリストと呼ばれ今ではヒーロー。あなたは当然のように人を助けた。でもどういうこと?誤った教育をしていれば死なずにすんだの?思いやりのある人間に育てた代償がこれ?あなたはアメリカを尊び永遠の地に選びました。また会う日まで。アラーのご加護を」


道端で膝をついて礼拝をするイスラム教徒たち。その姿を蔑むような好奇の目で見下ろすアメリカン・ボーイ。母親は、かつて息子を見かけたはずの地下鉄を今日もまた遠くから眺めている。その後姿にどんな言葉をかければいいのだろう。この作品にはとても胸が痛くなり、人の勝手さ非情さ調子の良さを思わずにはいられなかった。イスラム教徒であるという理由だけで行方不明の善良な市民をテロリスト扱いし、いや実はアメリカのために命を落としたんだと知ると手のひらを返したようにヒーローに仕立て上げる。誤報についての謝罪の言葉は皆無。むしろ“我々はイスラム青年をヒーローと認めてあげたのだ”という傲慢ささえ感じる。サルマンのように命を落とした人たちの冥福を心から祈りたい。

>>>後半へつづく。