歌手UAの映画デビュー作。その見事な存在感。
色彩感覚と映像美も実も秀逸!
シネマな時間に考察を。-t-mizu.gif
『水の女』 2003年 日本
監督:杉森秀則(本作で映画監督デビュー)
出演:UA/浅野忠信/HIKARU /YUKI/大浦龍宇一/小川眞由美

大阪の小さな町にある古びた風呂屋のひとり娘、清水涼。“さんずい”だらけの名前を持つ魚座生まれの涼は、自他共に認める強烈な“女”。大事な日は、いつも雨。婚約者と父親を一度になくしたこの日も、やはり雨が強く降っていた。天外孤独の身=自由の身。「人生いちどリセットしたようなもんやで」と友人に言われ、富士山を見に行くひとり旅へ。そこでの様に颯爽とした出で立ちのユキノという女に出会い、傷心を癒し旅から戻ってみると、見知らぬ男が勝手に部屋に上がりこんでいた。を見ると落ちつくというその男に何故か惹かれた涼は、「うちで釜場の仕事せえへんか?」と持ちかけ、一度は閉めようと考えていた風呂屋をふたりで再開することとなる。近所の人にも喜ばれ順風満帆に思えたが、ひょんなことからこの男の素性を知ってしまった涼。の路上で生活し、涼を我が子と思いこむ浮浪者の女が涼を守ろうと男を威嚇しにやってきた。そして雷鳴が一筋の閃光を伴い・・・・


人と人、人間と自然の回帰。
それはいつか見た、デジャヴのような懐疑に似て。

シネマな時間に考察を。-mizu.gif 自然哲学の四元素、水火風土 のイメージをそれぞれのキャラクターに纏わせ、視覚的な色彩感覚と、木や緑、雨や風といったありのままの自然を映し出す映像美が秀逸でひきこまれる。人と人、そして人と自然との結びつきを慈しむような、慈愛に満ちたテーマがとくとくと画面から流れてきて、いつしかこころにじんわりと沁み渡ってゆく。水の女と火の男。それが運命であるかのように出会ったふたりが恋に落ちてゆく様子はまるで自然現象のよう。水は火を癒すが注ぎ過ぎず、火は水を温めるが燃え過ぎず。ふたりが樹海のまんなかに立ち生まれたままの姿で抱き合うシーンは美しく崇高だった。
そんな彼らに降り注ぐ、雨。

夢に出てくる。
■かれらの心身一体ぶりを象徴するエピソードとして、ある晩ふたりが見た同じ夢の話をするシーンが印象的。全身煤だらけの火の男。洗っても洗っても落ちない。銭湯の湯も蛇口の湯も黒い水しか出てこない。黒い水の上にぽっこりと浮かぶ月の影がゆらめいた時、天井から降り注ぐ大量の雨。「せやから雨、降らしたったやろ?」この場面におけるこのセリフがすごくいい。


愛の生まれる場所。

涼は富士山のふもとで出会ったユキノに教えられた。「初めて会うた人と仲良うなりたいんやったら、なーんも聞かへんことや」人と人はもっと直感的に出会い結びついてもいいんじゃないか。文字にするような情報なんか参照しなくったって、自分が生まれもった性質(元素)が自然に相手(の元素)を求めるものだから。こころとからだと天性のパワーで。与えて与えられる関係こそ愛。作用し合うのが愛。

ありがとう。

登場人物それぞれが口にする言葉。「ありがとう」これがまたいい。作品のテーマともいえる人との結びつきをここでしっかりと感じるから。ああ、ふたりはうまく作用しあったんだなって。この映画においてセリフが全て関西弁であることは大きな味付けとなっているし、気取りのない素の言葉のやりとりに人間的なあたたかみを感じるのは、私自身も関西人だからかもしれないけれど。


さかさまの図。
冒頭の映像は、広げた足の間から向こう側の景色を覗き見たさかさまの図。劇中にも何度かその図が映し出される。違った角度からモノゴトを見てみると今まで気付かなかったことに気付いたり、もっと大切なものが見えてきたりする。涼はそれを知っていた。でも優作はそれを知らなかった。彼は最後になって初めてさかさまの景色を見た。自身の元素である火を纏いながら見たさかさまの景色の中には、水に囲まれた涼がいた。ふたりはその時目が合った。炎を見せて人の心の奥にいる鬼を脅かし退治してくれるという火の神様。火に包まれて見開いた目はこれからも涼の心を炎で守っていくのだろう。

女優、UA。
UAの存在が作品の要。映画初出演だが文句なし。そして監督。脚本は全くのオリジナルでデビュー作とは思えないほど映画として完成度も高い。まさに人と人(女優UAと監督)とがうまく作用しあってできた愛(作品)。かなり強く深く気に入った。


2003年1月15日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞