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600万人を超える観客を集め2015年5位の大ヒット、しかも、今日まで6作品連続五つ星の大好きなイ・ジュニク監督作品、だったんですが…「思悼(サド)」

一般的には、壮麗で重厚な悲劇大作、との受け止めでしょうし、個人的にも、観ている間は傑作だろう、と感じていたんですが、観終わって、全く受け入れることの出来ない映画だと思い至りました。理由は二つあります。以下の感想は、既に観た方の感動、或いは、楽しみにされている方の希望を激しく毀損するでしょう。そういう方は、ここから先をお読みにならないよう、お願いいたします。

第0日目。雨の夜、サド(思悼)セジャ(世子:世継ぎ)は突然飛び起き、剣を携え下水を抜け、父王(英祖)の居る慶熙宮を目指す。それを見たサドの正室ヘギョングン(恵慶宮)は実家に、王(英祖:義父)や夫や子供セソン(世孫:世継ぎの孫)の命が危ない、と駆け込む。しかしサドは、父王の寝所の前で、何故か、立ち尽くす…第一日目、1762年7月4日。サドの産みの母ヨンビン(映嬪:側室でサドの母)がヨンジョ(英祖)の許を訪れ、昨夜の息子サドの行動を詫びる。側で聞いているのは、夫の英祖より50歳も若いチョンスン(貞純)王后だ。英祖の行列は景華門に進む。父王が景華門に向かったと聞きサドは覚悟を決める。吉事ならば、景華門ではなく曼安門を通るのだ。サドは妻であるヘギョングン(恵慶宮)を冷たく一瞥して宮殿に向かう。英祖はサドに、セジャ(世継ぎ)の証である冠と寛衣を外せと命じる。その様子を、門の隙間から、息子(セソン(世孫))が見ている。英祖は、武器の詰まった棺桶を見せ反逆の証だとし、刀を投げ与え、自ら命を絶てと息子に命じる。しかし、サドの臣下たちがなだれ込み、サドを止める。サドは、臣下を振り切り、石畳に頭を打ちつけて死のうとする。英祖は、米櫃を持って来させる。額から血を流すサドは、自ら米櫃に身を投じる。英祖は自ら米櫃の蓋に釘を打ちつける。その時、幼い孫(セソン(世孫))が走り寄って、祖父英祖に涙ながらに父の命乞いをするが、英祖はセソンを遠ざけ、釘を打ち続ける…時は遡る。英祖は、幼いサドの書に目を細める。幼いサドは、祖母イニョン王妃(英祖の義母)、貞聖王后(英祖の正室)、実母ヨンビンの笑顔に囲まれている一方で、厳しい教育や独り寝の孤独が続いていた…二日目。英祖は米櫃を見つめる。臣下が、サドに関わる者たちを宮殿から追い出したと報告する。サドもそれを聞いている。英祖は、サドを平民に落とす王命を書くよう臣下に命じるが、誰も望まず、英祖は自ら筆を取る。そこには、英明であったサドは10歳で学業を放棄、楽士、僧、妓生と交わった、とある。そして、サドの聞く前で、楽士、僧、妓生の頸が刎ねられる。その惨劇の前で、サドの正室ヘギョングン(恵慶宮)は、幼くしてサドに嫁いだ頃を思い出す…幼いサドが幼いヘギョングン(恵慶宮)に犬を抱かせて、その姿を描いている。英祖が背後から近づき、ため息を漏らす。孔子の書ではなく西遊記や水滸伝を喜び、書画を好み、外で遊び色黒な息子が好ましくないのだ…そして、三日目を迎える…

李氏朝鮮第21代国王ヨンジョ(英祖)に、韓国映画界で三本の指に入る超のつく名優ソン・ガンホ、息子で世継ぎサド(思悼)セジャ(世子)に、「ベテラン」と本作に主演して僅か数週間で2000万人を集めた新たなるドル箱スター、ユ・アイン、サド正室ヘギョングン(恵慶宮)に、映画はほぼ十年ぶりムン・グニョン、サドの生母で英祖側室ヨンビン(映嬪)に、演技派女優チョン・ヘジン、英祖の義母で先王正室イニョン王后に、韓国映画界を代表する名女優キム・ヘスク、ヘギョングン(恵慶宮)の父に、名脇役パク・ウォンサン、重鎮キム・サンノ(金尚魯)に、名ドラマ『アイルランド』からずっと大ファンのイ・デヨン、サドの妹ファワン(和緩)ウンジュ(翁主)に、子役出身美少女チン・ジヒ、英祖の50歳も離れた後妻チョンスン(貞純)王后に、モデル系正統派美少女ソ・イェジ。特別出演では、成長したセソンで李氏朝鮮第22代国王チョンジョ(正祖)に、二枚目人気俳優ソ・ジソプ。

まず一点目。これは、全く個人的で熱烈なイ・ジュニク監督への思い入れから来るものです。イ・ジュニク監督は、韓国映画界で最も肌の合う監督です。何せ「ラジオ・スター」(2006)から「願い/ソウォン」(2013)まで連続6本が五つ星ですし、その前の「王の男」も今から思えば五つ星にすべきだったでしょう。それは、国家滅亡、秀吉侵略、ベトナム戦争、幼女凌辱といった悲劇・絶望を描きながらも、そこには監督独特の冷静と諧謔が散りばめられているからです。ところが、本作には、全くそれが感じられません。他にイ・ジュニクならではの描き方があったに違いない、と期待外れ感が半端ではありません。ついでに、超名優ソン・ガンホについても同じです。折角ソン・ガンホを使いながら、彼が出せたに違いない、可笑しみとか人間臭さとかを封印したのも、全く納得できなかったりします。他の役者でも代われるような役は余りに勿体ない、と言わざるを得ないでしょう。そして、二点目。イ・ジュニク監督への不満もありますが、そもそもこの物語自体が、個人的には全く受け入れられない事に気づきます。父が子を米櫃に押し込め衰弱死していく様子を8日間も見守る、という陰惨なプロット自体、耽読したことのあるトマス・ハリスやリドリー・ピアソンの猟奇スリラーにも登場しませんし、聖書やギリシャ悲劇の兄弟殺しや親子殺し合いとも異質です。日本の定番「忠臣蔵」が必ずしも世界に通用しないように、朝鮮で有名なこの悲劇は、いくらそれなりの因果があろうと、いくら美談が周りに存在しようと、いくら名監督の下に名優が演じようと、そもそも、個人的生理的に受け付けられない、そこに何の美学も様式美も感じることが出来ない、ということなんだと思います。残念ながら、そういうことなんだと思います。

出来るだけ客観的を装うならば、映画的には、ほぼ五つ星作品だと云えるのかもしれません。ローレンス・オリヴィエが描き演じるシェークスピア悲劇を思わせる重厚な出来ばえだとも云えるでしょう。ただ、個人的には、イ・ジュニク監督への過度の期待と、物語プロットへの拒否感ゆえ、全く評価しえない、というのが正直な感想です。残念です。