パレスチナにユダヤ人国家を建設しようという思想である。
聖地エルサレムの「シオン(ZION)の丘」にちなんで名付けられた。
「シオニズム」は、当初、「民なき土地に、土地なき民を」を
スローガンとしたが、パレスチナを「民なき土地」にするためには、
そこに暮らしている人々を追放し、あるいは殺すことが必要であった。
現在のイスラエル政府の「シオニズム」は、 人種差別的な
イデオロギーと軍事思想に基づいているといえる。
(左)ヤセル・アラファトPLO議長 (右)タカ派のシオニストであるネタニヤフ
※ パレスチナ人は、半世紀以上たった今も450万人もの
人々がその土地を追われたまま、ヨルダンを始め、レバノン、
エジプト、シリア、湾岸諸国などで難民生活を強いられている。
100万近くの人々がイスラエル領内で人種差別的な
厳重な監視下の生活を強いられている。ヨルダン川西岸、
ガザ地区では、それぞれ170万人、100万人の人々が
イスラエル占領軍の極限的な抑圧のもとに置かれている。
イスラエル国内を巡回するイスラエル兵
1987年12月、イスラエルへの抵抗運動「インティファーダ(民衆蜂起)」が起きた。
インティファーダの中心となったのは10代20代のパレスチナの若者たち。そして子供たちである。
ほとんどがイスラエルの占領の中で生まれ、育った世代である。闘争手段は石一つ。戦術を石に限定
しているところが、この運動を広げた。これはやがて「石の革命」と呼ばれるようになる。
イスラエル兵は催涙ガスだけでなく、実弾も発射した。多くはゴム弾だったが、
そのゴムの中心部は鋼鉄の塊だったりした。そのため、犠牲者が続発した。
犠牲者をいくら出しても闘いが終わらなかったのが、インティファーダの特徴であった。
当時の国防相ラビン(のちの首相)のインティファーダ対策は熾烈を極めた。
「石を投げる者の手足を折れ!」と命令したことは、広く知られている。
1990年11月時点の犠牲者は、死者900人、銃撃による重傷4万9000人、
打撲傷2万4000人、手足の骨折1万6000人、流産3500人、催涙ガスの
負傷者3300人で、投獄されたパレスチナ人は総数2万5000人であった。
なお、注意してほしいが、
「反シオニズム=反ユダヤ主義」ではない。
「ユダヤ」は民族と宗教の名称である。
これに対して、「シオニスト」とは、イスラエル国家の
反アラブ拡張主義・強硬路線を支持する「政治的立場」
を意味する。ユダヤ人でなくともシオニストとなる場合もある。
また、本質的にシオニズムとユダヤ思想は別物である。
シオニズムを批判しているユダヤ人も多く存在する。